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全ては嘘でありデタラメである。

どうも!3時寝推進委員会です。

有難いことにこのnoteの総閲覧数が100回を超えました!今日はその記念に、わたしが高校生だったときに書いたブログを公開したいと思います。

今となってはもうこのブログを書いたとき、どんな顔で、どんな気持ちだったのか、思い出すことができません。
だけど、多分、当時と同じ状況になったとしても、今のわたしにはこの文章は書けない。

当時のわたしの文章を、みなさんに読んでいただけたら嬉しいです。
その上で、今のわたしも愛してほしいな、は傲慢だけど、ちょっと本音です。


以下、『全ては嘘でありデタラメである。』(2020年2月執筆)

 簡単で上手くいくことなんてさほど無い。誰かのことを許せない。意味のないことに腹を立てたり。世界は盲目で、私が生きていることを知らない。ただ、難しい話がしたい。

 自分自身と対峙する。鏡を見ると吐き気がする。人間は見えない部分が多すぎる。複雑な構造の一枚の皮に巧妙に隠された裏の裏を、陳腐な私に見抜くことはできない。大抵の人間はできないことをやろうとしない。大切なのは結局表面だ。見えない部分を見ようとはしない。だが大抵の人間について私が語れるはずもない。根拠なんてひとつもない。

 私さえ私を知らない。アイデンティティを喪失寸前。だからと言って本当にどうでもいい。私にとってとてもどうでもいい私自身のことが、誰かにとって興味あるはずがない。その誰かももはやいない。

 ここに書いてある私は私ではない。「自分は特殊能力を持った主人公になれるのか、気付く日が来る」本に書いてある。特殊能力は欲しいけど主人公にはなりたくない、という願いには柔軟に対応してもらえるだろうか。大した意味はない。

 教師への反骨心も、学校への愚痴も、生徒会室前に溜まっていく“みんなの声”も、いつか誰かの「そんな時もあったな」になって浄化できたらいいな。無駄なものなんてひとつもないと思いたいけれど。価値のないものにしか宿らないものがあると知りたいけど。高校生にしかない無敵を信じて水没したい今は。

 ここに書いてあることは私による妄想で空虚。全ては嘘でありデタラメである。と信じてる。

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