パトリック・ラフターが教えてくれたこと

昨年12月から、大学の部活の先輩の紹介で地域のテニスクラブに参加させていただいている。
しばらく遠ざかっていたテニスに再び向き合って、あらためてその楽しさを実感するとともに、YouTubeなどでテニスの動画を見る機会が増えた。

テニスはNBAと違って「自分がやる」スポーツなので、無意識に、自分のプレーのために参考になりそうな動画を選んで見てしまう。
僕はネットプレーが好きなので、ネットプレーヤーの試合動画を探すのだが、そもそも最近の男子プロには純粋なネットプレーヤーもしくはサーブアンドボレーヤーはいないのであった・・・そうして結局辿り着くのが、僕が中学生でソフトテニスを始めた頃からずっと好きな選手、パトリック・ラフターだ。

オーストラリアの真ん中の北の方、クイーンズランド州マウント・アイザ出身のテニスプレーヤーであるラフターは、華麗さと荒々しさを併せ持った純粋なサーブアンドボレーヤー(フェデラーやサンプラスのようにストロークとネットプレーを織り交ぜる変幻自在なオールラウンダーではなく、もっと愚直にサーブアンドボレーをデフォルト戦術として使う選手)だった。そして、このスタイルで世界ランク1位になった最後のプレーヤーである。

同じサーブアンドボレーヤーでも、ラフターは圧倒的なビッグサーブを前提にしたタイプ(サンプラスとかイヴァニセビッチとか、ベッカーみたいな、全員古いけど)ではない。もちろん、サーブの威力はすごいのだが、ラフターの場合はプレーの主軸はサーブよりもその後のネットプレーに置いている。ファーストサーブから確率の高いスピン系のサーブを厳しいコースに入れ、ファーストボレー、セカンドボレーで仕留めることが試合を通して絶対的なプランとなっている。

サーブアンドボレーは、時代遅れのプレースタイルと言われている。ラケットの進化や、おそらくいくつかの新しいテニス理論によってストローク主体のトッププロが増え、ネットプレーは効率が悪いとされ過去の産物になってしまったのだ。

サーブアンドボレー、もしくはネット主体のテニスは、勇敢で超攻撃的に見え華がある一方で、儚いプレースタイルだ。
相手にプレッシャーをかけボレーやスマッシュなどウィナーの嵐を見舞いボコボコにできる日もあれば、相手のパッシングが良い日はあっさり何本も抜かれ、何もできず負けることもある。
それでも決してスタイルを変えずに、ネットに出て戦うラフターが大好きだった。

しかし、僕がラフターが好きな理由は、不器用さが可愛らしく思えるとか、プレーの無骨さが逆に良いとか、ギャンブリングなプレーがハラハラドキドキするからとかでは決してない。
僕がラフターを尊敬している理由は、賢くて、強いからである。

ラフターが教えてくれることは、攻撃がいかに守備意識と安定感を前提に成り立たせなくてはいけないかということだ。

ラフターのサーブは安定感抜群のスピン(順回転)サーブが主体で、スピードのあるファーストサーブもワイド、センター、ボディと打ち分けるが確率は一般的なビッグサーバーよりもずっと高い。そして鋭く跳ねる(僕は読んだことがないけど、越前リョーマのツイストサーブを想像してください)ことで、レシーバーがハードヒットしたりコースを突いたり、はたまた相手のスピードを利用してカウンターパンチのリターンをしたり、そのいずれもしにくいような絶妙なサーブになっているように思う。

そしてラフターのネットプレーは、完璧な技術と得点嗅覚、そして危機管理能力に支えられている。
ネットに出れば、抜かれれば失点の逃げ場のない世界になることはわかりきっている。そのためにラフターは前述のサービスだけでなく、様々な球種とコースのアプローチショット(ネットに出るためのきっかけにするショット)とそれに応じたポジショニングと読み、さらに試合中のデータを利用した相手のショットコースの読みによってその時その時の最高の一手を選択しているのである。
ここまでやって初めて「攻撃は最大の防御なり」と言えると僕は思う。
"攻め・イコール・守り"は、ラフターが教えてくれた、ネットプレーヤーの合言葉。

ラフターの世界1位の在位期間はわずか1週間。そして彼自身も28歳という若さで引退。散り際も桜の花びらのように儚く、それもまたかっこいい。
イケメンなのに不思議な親しみやすさがあり、その飾らない感じもいい。
あとはストロークでのラリーとか、ネット以外のプレーはなんとなくインチキ臭いところも(実際は決してそんなことはない)いい。

そんなラフターは現在どうされているのかとネットで調べたら、少しふくよかになられてちゃんとシニアツアーには参加されているようでした!同世代の選手たちに比べて劣化度合いが激しく見えるのは、プレースタイルの都合上しょうがない。
ラケットがPrinceからDUNLOPに変わっていて、なんだか少し寂しくもあり微笑ましくもあった。変わっていくから、人生は美しいと誰かが言っていたような気がする。
僕はまだPrince使っていますよ!

どこかの芝のコートで、ローボレーを打つ1999年頃のラフター

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