「所持金に支配される」ものではない

私は自他ともに認める倹約家だがというか「財布の中身が100万円でも不要なものは買わない」し、「たとえ借金を作ってでも必要なものは購入する」というだけのつもりだ。

何にお金を使うのかは「自分が必要と思うかどうか」であり「たまたま財布に入っている金額」ではないということだ。

私の趣味である将棋とか屋内ゲーム(非電源)は比較的お金がかからない趣味だからという僥倖もあるのは認めるが(「思考機会自体」が私にとっての最高の娯楽であり、存在意義なので)。

そもそも「財布の所持金に支配されて金を使おうという気」にならない。なので、そのままいくと「ケチ」ということになるらしい。

断捨離が流行のようだが、わたしの場合そもそもモノを購入する度合いが少ない(単に整理整頓能力が低いので、モノを増やしたくないだけなんだがw)。

貯金も資産運用もあまり計画的ではないので「なんかほっといたら勝手に貯まってる」という感覚が近い。(まあ金額的にはしれたものだがw)

好きなだけ飯を食っておきながら、スポーツジムにお金を払ってやせようという感覚もよくわからない。これに近いだろうか。

「ラクしてやせたい」というダイエット思考をもつこと自体が「肥満者」という証左ではなかろうか。「苦労してでも痩せたい」と思えなければ痩せるのは大変だろうし、仮に痩せても「ラクして」という思想がある限り、痩せた状態を維持できないでしょ?

CIA(内部監査人)や行政書士資格から「ルールについて」、将棋の趣味から「格上との戦い方」に特化して思考を掘り下げている人間です。