聞くべきか、聞かざるべきかはさして問題ではない

知覚(インプット)では「違和感がある」「違和感がないか」の2択。

判断(『イウトプット』)は「信用している」「信用していない」の2択。

発言(アウトプット)は「単刀直入ストレート」「婉曲やわらか変化球」の2択。

とりあえず違和感があった時点で信用の有無にかかわらず確認はする。むしろ、信用していればこそ直接聞ける。信用していない相手の場合は直接聞かず、こちらが違和感を感じていることを悟られないように探りを入れる。

直接聞く際は、ストレート化変化球かはTPOや相手に応じて変える。違和感があるのに相手に気づかって聞かないという選択肢は原則と私にはない。聞くタイミングをずらすくらいはするが、未確認で一生謎として抱えるくらいなら、多少気まずくなろうが相手に確認をすることを私は選ぶ。

周囲に少なからぬ迷惑もかけているだろうが、少なくとも「前に進む」にはこれが一番良いと確信している。悩むくらいなら相手に聞いてしまおう。悩んだところで正解にはたどり着けない。たしかに正解にたどり着くのが幸福とは限らないが、自分のあずかり知らぬところで事態が進行するのは何とも気持ち悪いと思うので。

自分の望む結果ではないとか、自分と異なる意見だと分かればこそ次の手を打てる。わからないのでは手の打ちようがなく、放置あるいは運任せとなる。とりあえず自分の人生をしっかりと生きたいので、悪い結果が予想されることにこそ積極的に突っ込んで早期に確認を行うようにしている。・・・悪い結果に耐え切るだけの自信があればこそ取れる方法なのだろうけど。(人生で守るべき大切なものが絞り込まれていると致命傷を負うような急所は小さいので、致命傷にはそうそうならないものだ)

聞かないと決めたなら、前提条件が変わらない限り一生聞かず、墓場まで持っていくと決めてしまうほうが悩まずに済む。無関係な第三者についつい愚痴ってしまうくらいなら、とっとと相手に直接聞く。

CIA(内部監査人)や行政書士資格から「ルールについて」、将棋の趣味から「格上との戦い方」に特化して思考を掘り下げている人間です。