責任能力による減刑への違和感

世間一般の処罰感情との差が良く問題となる「責任能力がないゆえの無罪や減刑」。私もご多聞に漏れず「責任能力よりも結果責任だろうに」と思う人間である。

健常な人間が同じことをやったら処罰を受ける。だが、責任能力がない奴には責任を背負わせられないという論理。

一定の筋は通っているが、何か心に引っ掛かる「違和感」のようなものがずっとあった。

単純に「健常者との差」だと思っていたが、それを指摘しても「責任能力の差」だという反論が存在する(反論として認めるかどうかはともかく)。

罪を行った場合、その天秤の反対側に「罪に見合うだけの罰」がのっからないことが私の違和感の原因のようだ。

「そいつに責任を背負わせられない? じゃあ、誰が責任を取ってくれるのか?」

現状の答えは原則として「無い袖は振れない」である。一応、保護監督者でもいれば監督者責任は問えるようだが、現実的には著しく制限が多い。 その心身に問題があった人物が「入院させられる」のは、あくまでも「処罰」ではなく「治療」のためだから責任を負うわけではない。

今のままでいえば「ビンボー人に迷惑をかけられてもそいつから賠償金は取れない」のと同じで「責任能力のない奴に迷惑をかけられても責任を取らせることもできない」となっているわけだ。

だが実際にどうしようもない「金銭的なモノ」と違って「責任」ならそいつ本人にとらせる道があるように思える。「そいつに責任能力がないことは分かったが知ったことか。どうでもいいからブチ込んでくれ」は可能なはずだ。感情的には大いに理解、納得できる話である。

またそういった人物が再犯した場合、処罰や治療が不足していたことになるんだが、その判断ミスをした裁判官や弁護士にも一定の責任を背負わせなければフェアではないように思えて仕方がない。解せぬ。


CIA(内部監査人)や行政書士資格から「ルールについて」、将棋の趣味から「格上との戦い方」に特化して思考を掘り下げている人間です。