感情制御のロジック

おそらく私自身は感情制御は上手なほうだと思う。

何か不快な事象が発生した時「感情的になるかどうか」は性格等によるところが大きい。

「感情的にならない方法」をいくら頭で理解しても、いざそういう場で感情的になってしまった時点で、頭の中が真っ白になり全部吹っ飛んでしまう可能性はままある。

とはいえ、一定程度はロジックによって感情の制御が出来るのではないか?という思いつきで本記事を記してみる。常時そういう考えや価値観が自分の中で根付いていれば軸となり、いざと言う時に感情的になったり慌てたりと言うのを防げるのではなかろうか。

なお、あくまでも私個人の方法論と言うか価値観なので万人に適用されるとは思っていない。

①本気で守らなければならないものは存外少ない=自分の領土(自衛防衛義務あり)

たくさんのものを守ろうとすると守備範囲が広がってしまう。地位や名誉、意地やプライド、経済的特権から電車の並び順まで要素は無数に有るわけだが、本当にクリティカルなことは存外少ないと思っている。

「たいしたことない問題」にそもそも感情的になる=必死になる理由はない。「たいしたことない」「どっちでもいいけど」と言いつつこだわってしまう場合はその人にとってはたいしたことなのだろう。

守りたいものが多い人はそれを維持できる能力さえあれば成長しやすいという一面も有る。自己成長のためには自分の分相応より「ほんの少し大きい守備範囲」でほんの少し無理をするのが最善な気がする。

私自身は能力よりも狭い守備範囲でラクをしてしまっているという自覚が有る。感情制御の意味ではプラスだが、負荷がかからない状態=無理をしない状態なので自己成長にとってはマイナスだとも理解している。


②ヒトは分かり合えないのが当たり前=時に相手が攻め込んでくる理由

我が家の家族中は非常に良好だと思うが、それでも時には口論になる。まして生まれも育ちも価値観も異なる他人との間で意見が異なるのが当たり前だろう。特定の問題で特定の意見の合致を見たとしても細部まで突き詰めると食い違いが有るのも当然だ。

「意見の違い」はさしたる問題ではない。それを「許容」できないから初めて問題が生じるものだ。

つまり相手の意見を許容できれば感情的になる=必死になる必要はないわけだ。

そっちはそう思うんだ。ふうん。こっちはこう思うけどね。

ってなもんで、「違い」を許容できれば争いになりにくい。無論、相手がこちらに攻め込んできたら(=相手が意見を押し付けて来たら)自衛の反撃はすればよい。だが、調子に乗って相手の領土まで攻め込むと兵站が伸びきり寸断、各個撃破されるおそれもある。

③第三者目線=状況の俯瞰

自分が当事者ではなく、他人事であるかのごとく視点を持つと冷静になりやすい。とりあえず目を瞑って深呼吸、自分の後頭部から自分を見下ろしているイメージあたりがよいか。

この第三者目線は視野が狭くなるのを防ぐ効果もあるので、日常から意図的に繰り返しておくと良い。(えてして感情的になっている時と言うのは視野が狭くなっているものだ)

ふとした瞬間に自分を含めた全体像を想像する。これができる余裕がある時は大概最善を尽くせるものだ。

<余談だが、私は普段から「これは夢ではないか?」と疑う癖があるので明晰夢(夢の中で夢だという自覚がある)を見る確率が高い。これなども普段常時からそういう目線を持っている賜物であろう>

全体の俯瞰には「時系列」も含まれる。一定の結果を収めるまでは一喜一憂せずに推移を見守ったほうが良い。

CIA(内部監査人)や行政書士資格から「ルールについて」、将棋の趣味から「格上との戦い方」に特化して思考を掘り下げている人間です。