真のほめて伸ばす=相手も気づいてない長所を探し出して褒める、おべっかに非ず

2つの副業(将棋教室&公認内部監査人セールス)で他人様にものを教える機会は多くありました。

で、当然ながら「褒めて伸ばす」なのですが、「おべっか・お世辞・美辞麗句」を並べ立てたところで効果はほとんどありません。
むしろ、あきらかに太っている人物に「スタイルいいね」とかういうと敵意を買うだけです(笑)。デメリットの方が大きすぎるのは一目瞭然です。

本当の「褒めて伸ばす」はちゃんと本人すら気づいていない褒めるポイントを探し出して先回りして褒めることを言います。

「おべっか・お世辞・美辞麗句」しか言えないのは「長所を探す能力の欠如」という指導者側の問題でしょう。

具体的な長所探しの手法としてですが・・・。たとえば一般に「人を比較するのは良くない」と言いますが、私は大いに「比較」してます。

複数の生徒さん同士を比較すれば、一方がもう一方の完全上位互換ということはなく、それぞれが他方よりも優れているポイントがあるもので。こうすれば両者を褒めるポイントが見つかるわけです。

何事も表裏ですから、解釈によって褒めるポイントは無数にあるのです。

「あいつには褒めるところがない」という指導者は、私からすれば「あなたに長所を探す能力がないだけでしょう?」となります。

「煩く騒がしい生徒さん」と解釈するか「元気にあいさつする生徒さん」と解釈するか。
「陰気で元気がない生徒さん」と解釈するか「落ち着きのある生徒さん」と解釈するか。

同じ物事でも大概のことは解釈の表裏で「褒めるポイント」にできるものです。注意するときのコツも褒めてから窘めるくらいがちょうどよく、聞き入れてもらいやすいです。「元気いいなぁ。ただ、ちょっとだけ声のトーン落としてくれるかい?」くらいですかね。

「大概のこと」から外れるのは犯罪行為や自分や他人を傷つける行為くらいでしょう。

「いいことをした時に褒める」という受け身ではなく、「いいところがないかと常に伺い、隙あらば褒める」くらいの積極性が欲しいと個人的には思いました。

長所を探す能力はほぼイコールで「幸福解釈能力」につながりますので、これが高い人間は主観的・相対的に楽天家であり、幸福であることが多いようです。

CIA(内部監査人)や行政書士資格から「ルールについて」、将棋の趣味から「格上との戦い方」に特化して思考を掘り下げている人間です。