障碍者差別と障碍者区別の峻別

津久井やまゆり園事件、および伊是名氏の車いす事件に想起して

まずは被害者やその関係者各位には衷心より哀悼の意を表します。

この事件を受けてネット上でも両方の意見が出ています。とりあえず私としては「障碍者不要論や排除論を唱える過激派」と「それに対する反対意見、障碍者への同情派」というとらえ方をしております。

先に申し上げると意見は人それぞれなのが当然です。生まれも育ちも価値観も異なるわけですから下される判断や結論も違うのが当然です(思想の統一となると一部の独裁国家くらいのものでしょう)。そして各人の考えは尊重されるべきですし、同様に他人の考えも尊重すべきものでしょう。考えを表明する自由もありますし、それに対して感想を持つくらいの自由はそれぞれにあるものです。

ただ双方向の意見に対して私なりに思うところはあります。なお、誰にも意見を強制するつもりはありませんし、強制されるいわれもありません。

①過激派について
いわゆる「障碍者はいないほうがよい」的な意見です。本心から言っているのか、炎上狙いなのかは断言できませんが、「彼らの存在が社会的な負担になる」とか「彼らにとってもこの世からいなくなったほうがよい」とかの過激で反社会的とも取れるご意見です。

彼らの主張の「根拠(前提・理由)」を私なりにとらえると。
「障碍者が健常者に比べて一定程度不利なこと、できることが少ないこと」
「健常者よりも社会資源を余分に消費していること」
そして「結論(主張・結果)」は
「障碍者は健常者よりも社会的に有用ではない=排除してもよい」
というあたりでしょうか。

根拠については私も「客観的事実」だと思います。不必要に、あるいは侮蔑目的で繰り返すものではありませんが差別というわけでもなく、単なる事実の指摘でしょう。

ただ、これらの前提から結論に至る過程、展開に無理があります。論理飛躍というか「短絡的」に見えます。「だから排除してよい」という部分ですね。

社会的有用性を叫ぶなら、たとえば車いすの物理学者、ホーキング氏あたりは私を含め、たいがいの人間よりも有用でしょう(笑)。ある障害があるという一点の理由だけで「有用性による排除」の対象にはできないわけです。

これに対して予想される反論は「一部の得意な事例を持って結論を出すな」くらいでしょうか?

そもそも「有用性」のラインをどこで引くのか?それは誰が決めるのか?という部分の論証が必要なわけですが、相模原の事件の彼をはじめ、「誰が」「どこで」の部分を「俺が」「障碍者かどうかというただ一点で」決めていることが「短絡的」なのです。果たして、そのように主張する彼ら自身の「有用性」はだれが決めるのでしょうか?

むしろ、こんなに弱い根拠で感情的な結論を出してしまえる彼らの決断力にある種の感嘆を覚えます。・・・「思考することに障害をお持ちなのかな」と若干の心配とともに。

むろん、私は彼らの思考に障害があるとしても、彼らを排除しようなどとは思いませんし、彼らの思考を変えようとも思いません。彼らの大半がそうしているように、「単に事実を指摘し感想を述べるだけ」にとどめます。


②同情派について

過激派のすべてに反対しようとしても無理ですし、感情的な意見に感情的に言い返しても得るところはないでしょう。過激派も同情派も、私もあなたも。思考はそれぞれのものですから、他人が変えようとしても極めて難しいものです。

「理詰めで正論を論理的に言えば変えられるはず!」

と言っても、論理は論理を理解しない相手には通用しません。赤ん坊や動物を説得して考えを変えられないのと似ています。両者ともに一定以上の論理性を有する場合という極めて限定的な状況でのみ、相手の思考を変えられる可能性があります。

なので過激派の言い分の中でもあたっている部分についてはちゃんと認める必要はあります。彼らの前提とする部分はすべてが外れというわけではありません。「かわいそう」という道場だけでは実際に「誰が障碍者の面倒を見続けるのか?」という現実的な部分が解決しないのです。

伊是名氏のように社会資源が有限であるという事実を無視した過大な要求にいたるのは論外でしょう。丁寧に必要性を訴えるべきでした。強い言葉で敵対意見を糾弾すると必ず反発を受けます。賛同者には喝采を浴びて一時は気持ちいいかもしれませんが、最終目的は相手に同意してもらうことのはずです。

③総論

過激派が現実に偏り過ぎだとすれば、同情派はともすれば理想に偏り過ぎな傾向がありそうです。

ただ、過激派の「結論」は極めて危険ですし、そこを指弾するのは無駄ではないと思われます。特に「他人の権利侵害」という「行動」にまで及ぶ過激派はいわば「ガン細胞」のようなもので、早急に糾弾、排除せねばなりますまい。

CIA(内部監査人)や行政書士資格から「ルールについて」、将棋の趣味から「格上との戦い方」に特化して思考を掘り下げている人間です。