ムチについて無知

■エホバの証人が“虐待”指摘に徹底反論「一部の批判的な人たちが間違った情報を広めている」
(弁護士ドットコム - 11月21日 18:51)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=149&from=diary&id=7645436

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私は20年以上前だが、若気の至りで「論理的に論破できないか?」という実験として2年間エホバの証人Tさんの訪問を受けていた。Tさんは感じの良い紳士であり、人間的に好感が持てる方だった。結局、「信仰は論破できない」というありきたりな結論で終わったわけだが(苦笑)。

私は「非神論者=神様がいようが居まいがかまわないが邪魔しないでほしい」という思考なので、ほぼ絶対になんらかの宗教に入信することはないと思う。ただ、微レ存くらいの可能性で、何らかの宗教に入信するとしたらエホバの証人かもしれない、くらいには思っている。

、「教祖と平信者での生活レベルの差」を見れば大概の宗教がインチキだというのは明白だ。また、大概の宗教は皆「いいこと」を言ったり書いたりしているが、主に教祖によるご都合主義な言行不一致が多いのだが、エホバの証人に関しては上記の問題がほぼ皆無なので、その点を私は好意的に見ている(といっても教義自体に明らかな矛盾があるので入信するまではいかないわけだが)。

おそらく布教活動できる程度には彼らの教義を理解しているので、信者じゃない割には比較的好意的(というか知った上で中立的な見方)が出来てるほうだと思う。

で、うちの奥さんが「むち打ちはひどい」とのことで、エホバの証人の教えについて、多少レクチャーすることがあった。

この信仰でよく話題になる代表が「輸血拒否」だったのだが、統一教会の話題から、なぜか派生して「むち打ちという虐待」の話が出てきている。世俗権力と結びついてないがゆえに忖度や圧力で守られることがなかったのだろう。

とりあえず、宗教としての経緯、その背景(歴史的・地域的)は考慮する必要がある。現代日本の感覚だとムチ打ちというのは違和感が大きい。「アメとムチ」「愛のムチ」という言葉もあるように当時の西洋ではムチ打ちは寄宿舎などでしつけの一環として普通に行われていたわけだから。

もし私がエホバの証人の布教活動を広げるためのアドバイス(?)をするとしたらとかいろいろと思うところはあったのだが、そもそも彼らは教条主義な傾向が強いので「いらんお世話」だろう。また、むしろ私はその「融通の利かなさ=ご都合主義を持ち出せない不器用さ」を彼らの良さとして好ましく思ってるのでアドバイスをしようという発想からして我ながら矛盾を感じている。

CIA(内部監査人)や行政書士資格から「ルールについて」、将棋の趣味から「格上との戦い方」に特化して思考を掘り下げている人間です。