200708「情報収集」「仮説構築」

監査でもマーケティングでも将棋でも推理モノでも応用可能な思考法の転用である。

まず目次は以下の通りである。
①「量的情報収集」選択肢を広げていく。事件や課題の全体を把握する。ここまでは世間一般の情報収集と大差無い。とりあえず入手できる情報を集める。
②「仮説構築」前工程で得た情報をもとに仮説を構築する。
集めた情報の多数部分に着眼すればマーケティングに、両端や違和感に着眼すれば監査の仮説に使える。
③「質的情報収集」選択肢を狭めるための情報収集。仮説を補完する情報を集めていく。仮説を立証したり、仮説を修正したりして、真相に近づいていく。

では各論、その①は情報の量的収集である。ここは世間一般で言われる情報収集とほとんど大差無い。情報の質よりも、まず量を集めることで事件や課題の全体像を把握し、仮説を立てるのが当面の目標である。予断を持たず、とりあえず集めやすい情報を集める。集めた情報は選択肢を広げていくためのものなので、私は「拡散情報」と呼称している。

集めた情報の共通項や多数部分に着眼すればマーケティングになるし、両端や証言と事象の誤差に着眼すれば監査やうそ発見に使える。嘘に気づくのは比較的簡単である。難しいのは真相に至ることだ。その場合は現場調査が最有力である。

②や③に比べて特徴が少ないので、面白みが少ない。そこで情報の歪みについてもう少し語ろう。情報の中身はもちろんだが、ニュースソースの確認もとても重要だ。事件の当事者や利害関係者からの情報はゆがんで当然だろう。その歪みを把握して修正できれば歪んだ情報すら有効に活用できるものだ。歪みを修正した情報を活用するのは勿論だが、加えて「なぜそいつがそのように情報を歪めたのか?」もヨミをいれる材料にできる。

前工程で得た情報をもとに仮説を構築する。前日分に書いた通り、目的によって着眼する情報は異なる。情報の多数部分や誤差の部分、両極端の部分などに着眼することで仮説は構築されていく。

たとえば通常行わない行動、発生しない事象の裏には、通常では考えにくい理由や事件があるものだ。以前書いた「つるかめ算」を用いた仮説からさほど進歩していないので今書けるのはこんなものか。

なお「仮説を考える時間があるならその時間を情報収集や捜査に当てるほうが良いのでは?」という疑問を持つ方は少なからずいる。その前提は「量を収集することで質の収集に追い付ける」ということなのだろう。
私見では「大量の情報は質の良い情報の代用にならんことも無いが、極めて効率が悪い」というものになる。不要な情報の中から必要な情報を探り出すのはかなりの手間である。いくら正解の知識があるといっても毎回図書館いっぱいの本を検索する気持にはなれないものだ。次工程の質的な情報収集につながるが、指向性を持って必要な情報だけを集めていくのはそれだけ効率が良い。

仮説を立てる意義は「たたき台」である。軸になる仮説をという基準を定めることで「質の良い情報」と「質の悪い情報」を見分ける判断基準が初めてできるのだ。

たとえば、ある人物が窃盗をしたとして、その手法の仮説があればこそ集める情報を定めることができる。たとえば自動車に積んで逃げるつもりだったなら、最寄りの駐車場や当時の交通事情の情報が質の良い情報となるし、郵便で自宅に送ろうとしていたなら、郵便の出荷場の位置や集荷時刻の情報が質の良い情報となるわけだ。

情報を全部「量」の集め方をしても広く浅くなりすぎて、たいした掘り下げができないものだ。

そうそう、「思考を転用するということだが、情報収集をどこで将棋に絡めてるんだ?」という疑問が起こりえるので、それにも答えを記しておく。将棋の場合は相手の玉を詰めるために必要なコマ、反対に自分の玉がつまされるのに必要なコマというものがある。それを把握することで相手を詰めるために必要なコマだけを集めに行ったり、反対に自分が負けになる駒を渡さないようにしたりするところが非常に類似している。

選択肢を狭め、行動を決定するための質的な情報収集。世間一般で有能だと思われる方は意識的か無意識的か知らないがこれをしていると思われる。

質が高いか低いかは感覚ではなく、仮説に基づいて決まってくる。前工程でたてた仮説を立証するための指向性をもった情報収集である。仮説があるおかげで意味のある調査や質問ができる。仮説が立証されればほかの選択肢を消去できるし、仮説が誤っていた場合は仮説を消去できる。私は「収束情報」と呼称している。間違っていると認識したら意地を張らずに修正をするだけの話である。誤りが軽微な場合は仮説を適宜修正することで対応することも多い。

量から質への転換を図るだけで、短い時間で効率的に物事を分析できる。逆転裁判でもコナンでもデスノートでも同じことだ。むしろ、これらの視点で見ればあれらの作品にたまにある「ご都合主義」や不合理にも気づくことができる。

例えばの話「仲間に誤解されて不当に疑われてる。自分は潔白だから相手を訴訟する準備がある。」という情報を聞くのは量的情報収集になる。

「普通、誤解なら訴訟ではなく、誤解を解く準備をするはずだ。」と違和感に気づき、「むしろ、その仲間の疑いは正当なものではないのか?」と仮説を立てるのが仮説の構築。

そして、仮説を成立させる証人や証拠を求めて現地調査をするのが質的情報収集というわけだ。非常に単純な話である。

なお、この件では「そこ(現地調査)までしないと信用してもらえないなら、信用してもらわなくて結構です」というその相手のセリフが決め手となり、現地調査に行き、証拠を見つけました。

無実の人間はほぼ絶対に言わないセリフです。裏を返せば「信用してもらわないでいいから、現地調査だけはしないでくれ!」という本音が透けて見えましたので。

CIA(内部監査人)や行政書士資格から「ルールについて」、将棋の趣味から「格上との戦い方」に特化して思考を掘り下げている人間です。