SOSを出した先に
私が一歩踏みだせたなあ、と感じるときってなんだろうなあと考えたら、
それは、自分から今私はしんどいんです、助けてください、とSOSを出せたときだということにたどり着いた。
SOSっていうとちょっと大袈裟だけど、SOSを出すこと、他人に助けを求めること、弱みを見せること、それは私にとって、大きな恐怖ととてつもない勇気を必要とする。
私なんかに時間を割いてもらうのは申し訳ない。
助けてもらったらその恩をどうにかして返さないと。
使えない、弱い奴と思われたら嫌だな。
などなど、思うことはたくさんある。
長女かつ発狂するお母さんの代弁者かつ「育ててやってるんだから」と言われて育ったからだろうか。
しっかり者で物わかりの良い私でないといけない、という思い込みが染み付いていた。
年を重ね、いろんな人に出会う中で
「もう少し人を頼れるようになるといいね」
「隙がなさすぎるよね。もう少し弱みを見せてもいいんだよ」
「甘えられる人と出会えるといいね」
そんな言葉をかけてもらうことも増えた。
たしかに。
頼って弱みを見せて甘えてみたい!
と思う。
でも、どうやって?
そのやり方を、私は知らない。
ダメな自分はどこにも受け入れてもらえないので、ダメな自分が出てきたら、もうそこに居続けることはできなかった。
高校の時、部長をしてた写真部も突然辞めちゃったし、幹事長してたサークルもなんかそんな感じだった。うまくいかないことがあると、ボロが出る前に去ってしまう。
大学生のとき、インターンをしてたNPOもそんな感じだった。
インターン活動充実してたけど、就活とか卒論とかやることが増えて行って、疲弊してきて、うまく物事を回せなくて、ダメな自分が見えてきて、あーもうダメだ!!なんでこんなことやってるんだろ?もうやめたやめた!はい、さようなら。
こんなつかえない自分、もういらないでしょ。
そんな感じになるはずだった。
いつものパターンではここでおわり。
でもここには続きがあった。
そこには、そんな自分に向き合おうとしてくれる人がいた。
ダメな自分を受け止めてくれようとする人がいた。
もう少し、ここに居たいと思った。
投げ出して終わりにしようとする自分を変えたいと思った。
初めて自分のために、誰かに相談してみようと思った。
これが私の一歩だった。
何人かに相談に乗ってもらったけど、みんな共感的にきいてくれたし、話を聞いてもらい荷が軽くなった。
相談に乗ってくれた人たちとはその後も関係は続いたし、NPOも最後までやり切ることができた。
なーんだ。
ところで私は一体、何に怯えていたのだろう?
大学を卒業して、働くようになってからも、本当に少しずつだけど、相談したり頼ったりすることができるようになった。
先月も、業務量がドーンっと増え、心身に響いてきたので、上司に相談し、少し配慮してもらった。
その後回復して、今は問題なく働けている。
昔の私だったらそんなの申し訳なくて耐えられなかっただろうけど、今の私にはできるのだ。
困難にぶち当たったとき、助けてくれる人がいると信じることが。
ダメな自分でも居続けようとすることが。
背を向けてしまっていた続きの世界を進むことが。
一歩踏み出して、他人を少し頼ることができたら、世界は少し優しく見えて生きやすくなった。
私は知らなかった。
自分の弱みを見せた先を知らなかったから、怖かった。
でも救難信号を出した先に、手を伸ばそうとしてくれる人がいること。
その手を信じて掴みにいける自分がいることを知れてよかった。
いつもその通りとは全くいかないけれど、知っているだけで強くなれる気がする。
「ちょっと今しんどいんです」
そんな弱々しい言葉が、私の大きな一歩になった。
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