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【感想】『西欧近代を問い直す』と「価値観のアップデート」の罠

こんにちは、白山鳩です! クルッポゥ!

マガジン『本を読んだら鳩も立つ』での本のご紹介です。


前回の記事はこちらです。↓↓↓


今回は『西欧近代を問い直す』を通して、現代社会の市民の精神を西欧近代から見ていくとともに、

「価値観のアップデート」という言葉に潜む不寛容さについて考えていきます。


1つの記事あたり、だいたい5分で読めますので、お気軽にスクロールしてみてください!


西欧近代とは何か

『西欧近代を問い直す』は、京都大学の名誉教授である佐伯啓思さんの「現代文明総論」という講義をもとに、1冊の本としたものです。


『西欧近代を問い直す』は、近代社会の生みだした「進歩的」「普遍的」と言える価値観に疑問を投げかけています


西欧近代は、
合理的科学にせよ、
自由な個人の観念にせよ、
基本的人権にせよ、
民主的な政治理念にせよ、
主権的国民国家にせよ、
市場競争主義にせよ、
普遍的な理念を生み出しました。

少なくとも、彼等は、それを普遍的な理念とみなしてきました。

そして、実は、われわれ日本人もそうです。


(中略)

私が本書で試みたことは、このような見方、いってみれば歴史観・世界観に疑義を呈することでした


『西欧近代を問い直す』では、近代とは何かを明らかにしていくために、

ルネサンス以降のヨーロッパ史における社会の変化やさまざまな思想を辿っていき、

そしてその末に、「伝統的価値や規範から解放され、それを打破して『近代』が出現するという『進歩主義』の図式」を批判しました。


02_02_怒り・バスト


「近代」の価値が別に間違っているわけではありません。

その「近代」を普遍化し、それを伝統的社会と対立させて理解する「近代主義」が間違っているのです。

そして、この弊害は、とりわけ西欧的価値を普遍的なものであるとみなして、伝統的な価値規範に置き換えていった今日の日本に著しいのではないでしょうか。


かつての社会の伝統的価値や規範を否定し、

「近代の生みだした普遍的な価値観こそが正しいのだ!」

と主張する近代主義を、同書は否定します。


そして、「近代主義」「進歩主義」が限界を迎え、ニヒリズムを生んでいるのだと主張するのです。


西欧進歩主義の壁~ニヒリズムの時代へ

『西欧近代を問い直す』は、ニーチェの「ルサンチマン」の考えを参照しながら、「道徳」がいかにして生まれたかを見ています。

ちなみに「ルサンチマン」とは、弱者が強者に覚える憤りや憎悪、非難といった感情のことです。

今日の道徳は、権力側にいる強者を倒すために集まった弱者による自己正当化だとニーチェは主張しています。


近代的道徳は、弱者のルサンチマンの結果だということです。

弱者は、強者を打倒して支配を確立しようとしたとき、自分たちには道徳的な正しさがあるといった。
「正義」があるということですね。

しかし、それはあくまで弱者のルサンチマンの産物であり、いいかえれば、弱者の権力欲にほかならないわけです。


「ルサンチマン」から近代的な道徳を作り出し、「自分こそが正しい!」という錦の御旗の下で道徳や正義をもっともらしく掲げる近代人を、

ニーチェは、飼いならされた動物の群れー「畜群」と吐き捨てています。


08_01_驚き


そして、ニーチェは「ニヒリズム」を説くのです。

ニヒリズムには二つの意味があります。


①無根拠のものを信じている
・ルサンチマンのなかから生み出した幻影である「自由」「平等」「誠実さ」「正直」「従順さ」といった理想的な価値観は、
一種の虚偽であり、
虐げられた弱者が生みだした「平民道徳」であって、
無根拠に過ぎない。

無のものを、あたかも理想か実在するもののように信じることがニヒリズムである。
②人間は価値を生み出すことができない
・「何が正しくて何が悪い」という価値を保証する基準が近代にはない。

・たとえば、「どうして人殺しが悪いのか」と理由を聞いても、説得力のある答えはできない。「駄目なものは駄目だ」と否定する絶対的な価値観である聖書のようなものは、もはや存在しない。

・よって、人間には価値を生み出すことはできない


現代はニヒリズムの時代である

こうして、ニヒリズムが支配する現代では、人々はどのような行動をとるのでしょうか。


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○冷笑主義(シニシズム)
・価値の基準が消滅しているので、ありとあらゆるものを疑い、何かを信じて行動することができない。

・世の中の出来事をただ冷ややかに批判し、嘲り、建設的な参加はいっさいしない。
○熱狂主義(ファナティシズム)
・シニシズムの逆。あることをいとも簡単に、しかも熱狂的かつ排他的に信じてしまう。
○刹那的な快楽主義(ヘドニズム)
・確かな価値は存在しないのだから、その場しのぎの快楽に耽る。


現代では、ニヒリズムによりこれらの主義が入り混じって存在しているのだと、『西欧近代を問い直す』では説かれます。


そして加えて、もう一つ重要なニヒリズムとして、「科学主義(サイエンティズム)」が指摘されます

・ニヒリズムの世界では、価値観を持って世界を眺めることができない。

・すると、世の中の事象は全て、事実の羅列に過ぎない。

・「世界観」「人間観」「歴史観」といったものから切り離された科学の知識は、価値判断のための指針にはならない。

・科学以外のものを「それは非科学的だ」といういい方で排除してしまうニヒリズムが生まれている


このような、ニヒリズムの派生物に深く侵されてしまっているのが「西欧近代」なのだというのが、本書の結論です。


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「価値観のアップデート」の罠

さて、以上が『西欧近代を問い直す』のダイジェストでした。

この考えを援用しながら、最後に、「価値観のアップデート」という考え方について見ていきましょう。


ここ数年で「ポリティカル・コレクトネス」という言葉が定着し、

「キャンセル・カルチャー」という概念も市民権を得つつあります。


そうして、「正しくない」行動をした人間を見て、

価値観がアップデートされていないヤツだ!

と叩いて、溜飲を下げるという行為が繰り返されています。


しかし、鳩はこの「価値観のアップデート」という言葉に、気持ち悪さを感じています


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「アイツはアップデートできていないぞ!」

「キミはアップデートできているね、よしよし」

と、叩く側は、自分の「最新の理性」こそが正しいとしているように感じられるのです。


「基本的人権」という「間違いのない普遍的価値観」を自分は備えていて、これを採点基準にしている。

他人の抱えている価値観を、啓蒙主義で正してやろうという姿勢が、「近代主義」「進歩主義」の過ちそのものに見えてならないのです。


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「自分と異なる考えの人間に寛容になる」というのが、本来のポリティカル・コレクトネスであるはずです。


しかし、どちらかというと、

「同じ価値観に考えをアップデートしろ!」

不寛容な社会になってはいないでしょうか。


もちろん、

「人をいじめてもいい」

「マイノリティは差別してもいい」

と言いたいわけではありません。

「極端な考えだって歓迎しろ!」というのは、相対主義者の過ちだと思っています。


しかし、「ダイバーシティ・インクルージョンを認めない人間は去れ!」というような自己矛盾の社会は、優しさに欠けるのではないかとも思うのです。


押しつけの価値観に合意できない人たちは結局、何も信じられず、ニヒリズムに陥ってしまうはずです。


既に破綻しているはずの「西欧近代の普遍性という理念」を引きずるニヒリズムの現代がアップデートすべきものがあるとすればそれは、

「寛容さとは何か」

という価値観ではないかと思う鳩です。


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さて、次回は、『最新公用文用字用語ハンドブック』を見ながら、文書を書くときの基本的なルールの一例を見ていきます。

お楽しみに。

to be continued......


参考文献

・佐伯啓思(2014)『西欧近代を問い直す 人間は進歩してきたのか』(PHP文庫)


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