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【議論/詭弁】④ 詭弁を見抜くための『論理病をなおす!』 その2

こんにちは、白山鳩です! クルッポゥ!

マガジン『能ある鳩はMBA②  ビジネススキルで豆鉄砲』では、ビジネススキルにまつわる情報を発信してまいります。


前回の記事では香西先生の『論理病をなおす!』から、

「多義あるいは曖昧の詭弁」

「不寛容の原理」

について見ていきました。



今回はその続きとして、

「藁人形攻撃」

「人に訴える議論」

「性急な一般化」

といった、議論の落とし穴について見ていきます。


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詭弁の型② 藁人形攻撃

さて、今回も前回に引き続き、『論理病をなおす!』から、詭弁の類型を追っています。


まずご紹介するのは、「藁人形攻撃」です。


藁人形攻撃とは、
相手の主張を、こちらが反論しやすいように(故意に)ゆがめて表現する詭弁である。

その歪曲には、
言葉の言い換え、
単純化、
誇張、
拡張、
絶対化、
一般化、
文脈からの切り離し
等の様々な手段が、多くの場合複合されて用いられる。

言うまでもないことであるが、
藁人形が生身の人間に比べて打ち倒しやすいように、
歪曲された相手の主張は、実際のものよりも攻撃に対して脆弱なものとなる


これだけ読むと、前回の記事でも出てきた「多義あるいは曖昧の詭弁」と似ているようでもありますね。


1つの言葉の定義がしっかりしていないことから生まれる詭弁が、

「多義あるいは曖昧の詭弁」でした。


しかし、「多義あるいは曖昧の詭弁」が「同じ表現を別の意味で解釈する」のに対し、

藁人形攻撃は、「相手の表現そのものを言い換える」

のだと香西さんは指摘しています。


同書内の、こんな事例を見てみましょう。

「最近の学生はあまり勉強しない」
と発言した学部長の言葉を受けて、
自治会委員長が、

「ただ今、学部長から、最近の学生は馬鹿だという旨の御発言がありましたが……」


ある特定の語の解釈を巡って論戦するのではなく、

「最近の学生はあまり勉強しない」

→「最近の学生は馬鹿だ」

というように、言葉そのものを変えてしまうのが「藁人形攻撃」というわけですね。


08_01_驚き


藁人形攻撃の類型:「単純化」「滑りやすい坂」

さて、藁人形攻撃にもいくつかの類型があります。

まずは、「単純化」


「小学校の国語教育では、まずしっかりと漢字を覚えさせることが重要だ。」
「では、あなたは漢字さえかければそれでいいと言うのですか。」

これは「単純化」に分類される例である。
相手が「○○」と言ったとき、
「○○でありさえすればそれでいいのか」と言い返す


こうして、
相手の主張を単純化し、
極論に変貌させ、
愚劣で脆弱なものにすり替えてしまうのだ。


2つ目は「滑りやすい坂」

いわゆる「風が吹けば桶屋が儲かる」、

すなわち、勝手な因果をどんどんつなげて極端な結論に導くことを、

「滑りやすい坂」と呼んでいます


さて、風が吹けば桶屋が儲かるの因果関係を確認してみましょう。

風が吹く
→砂が舞う
→眼病を患い失明する人が増える
→盲目の人の代表的な職業だった三味線弾きが増える
→三味線の材料となる三毛猫の川が欠かせないため、猫が減る
→ネズミが増える
→ネズミが増えた分多くの桶がかじられる
→桶屋が儲かる


「単純化」も「滑りやすい坂」も、

「言葉をいつのまにか極端な内容にすり替える」

ところが、まったく同じ考えだと言えそうです。


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詭弁の型③ 人に訴える議論

続いては、「人に訴える議論」です。


人に訴える議論とは、
ある人物の議論に対して、その議論の妥当性を問うのではなく、

その人物の人格、
発言の動機、
実際の行動や過去の発言との整合性等を問題にすることで、

その議論そのものを否定しようとする詭弁
である。


要するに、

「おまえが言うな!」と呼ばれるやつですね。


相手が人格や品位にもとるところがある蛆虫であれば、

そんな人間が口にする議論にはどんな無礼を働いてもよい

という考えです。


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「人に訴える議論は詭弁」とするのが普通だが……

論理学では、「人に訴える議論」は詭弁である、とされるそうです。


「タバコは健康に毒だから止めた方がいいですよ」

と上から目線で言ってきたのが、

タバコをふかせるヘビースモーカーだったら、

「おまえは自分のやってることがまだわからんのか!」

と普通は感じます。


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しかし一方で、「タバコは健康に毒だから止めた方がいいですよ」という主張そのものに着目すると、

いくらこのヘビースモーカーが言動不一致のように見えるからと言って

「タバコは健康に毒だから止めた方がいいですよ」という主張自体も間違っているとするのは詭弁だ、というわけですね。


人と論とは切り離せない:人に訴える議論は詭弁か?

しかし香西さんは、

「人と論とは切り離せないと思っている」
「人に訴える議論は、あながちに詭弁とは判定できない」

と述べています。


第一に、何らかの言論は、
それが誰かによって語られ、書かれることによって初めて存在することができる。

言葉は常に誰かの言葉として現れ、
現象的には人と論を切り離すことはできない。
第二に、今指摘した事実により、
人は論の一部となり、
その正しさを論証するための根拠を補完する役割を果たす。


この第一、第二の論点は、会社の中でもよく見られますね。

ただの平社員が何かを言っても上司の課長は全く取り上げないくせに、

同じことを後になって部長が言い始めたら、

途端にごまをするというようなパターンです。


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常に強い者の見方をする「ぶりぶりざえもんスタイル」であっても、

「誰が言っているか」は現実には重要だ、というわけです。


01_02_ノーマル・バスト


加えて、この後、第三のポイントが述べられます。

第三に、われわれが人でもって論を判断しようとするとき、
決して無闇に人と論を混同させているのではない。

われわれが論の判断に人を介在させるのは、
その「人」が「論」の評価にかかわるかもしれない場合に限られる。


さきほどのヘビースモーカーの例で言えば、

「タバコは健康に毒だから止めた方がいいですよ」

という言葉が真実だったとしても、

このヘビースモーカーはその主張を自分自身には適用させるつもりがない。


「じゃあ、その程度の『真実』なら、聴く耳なんて持たないよ」

と言われたもしょうがない、というわけです。


これが、「人と論を切り離して考えよ」というのが難しい理由です。


詭弁の型④ 性急な一般化

さて、最後は「性急な一般化」をご紹介しましょう。


性急な一般化とは、
少数の、
あるいは不適切な事例の観察から、
それらの事例にみられる性格を、それらを含む母集団全体の性格と決めつけてしまう詭弁
である。


同書では、

A高校の生徒三人が万引きで逮捕されたと聞いて、

「A高校の生徒は本当に質が悪いな。」

A高校の生徒全員が悪者であるかのように判断する

というパターンが挙げられています。


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ちょっとした事例をもって全体を判断することが「性急な一般化」であり、

「これは詭弁である!」

と、一般的な論理学では指摘されるというわけです。


性急な一般化は偏見と結びついている

さて、このような性急な一般化ですが、

「実際には順序が逆だ」

と香西さんは指摘しています。

どういうことか。


すなわち「二、三の少数の例を一般的な常識に拡大している」のではなく、

むしろ、「既に自分の中に常識として備わっている偏見で、二、三の例にも当てはめている」のであり、

これは人間の持って生まれた性質が原因である、としています。


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少し長いですが、以下、引用してみましょう。


より本質的な問題を考えてみたい。
われわれが性急な一般化を犯しているというとき、
われわれはほんとうに少数の事例から一般化しているのであろうか。

例えば、近所に住むイタリア人が、帰宅途中の女子高生に何やら話しかけているのを目撃した。

ここからある人は「イタリア人は女好きだ」と言うかもしれないが、
それはその人がすでに「イタリア人は女好きだ」という偏見をもっているからで、
決して女子高生の事例から一般化したわけではない。

その人でも、リヒテンシュタインの人間が女子高生に話しかけているのを見たとしても、
「リヒテンシュタインの人間は女好きだ」
と言ったりはしない。


(中略)

つまり、性急な一般化が行われるとき、それがなぜされるのかといえば、
われわれがすでに一般化された偏見をもっており、
新たな事例がそれと整合するからである。

先の例で言えば、
われわれはすでに「A高校の生徒は質が悪い」という偏見をもっていた。
万引きの事例は、その偏見を強化する材料に使われたにすぎない。

もちろん、こうした偏見も、何らかの具体的事例の積み重ねによって形成されたのかもしれないが、
すでに偏見がかたちづくられた後では、
その事例の数や内容が適切であったかどうかは、もはや判断のしようがない。


人間が偏見を持つのは、その方が判断のためにいろいろと考えなくて済むからです。

行動経済学では、「ヒューリスティックス」と呼ばれています。


人間の脳は、普段から考えるのを面倒くさがり、なるべく楽をしようとします。


そこで、判断を下すときにはいちいちゼロから考え始めるわけではなく、

直感で素早く回答を導く機能が備わっています。


「過去の経験や学習から覚えた知識でいち早く回答を導こうとする機能」

=ヒューリスティクスというわけです。


性急な一般化は、人間であれば避けられない「思考の癖」だということを理解しておけば、この詭弁にはまるのを回避できるかもしれません。


自分の発言はたいてい曲げられる

さて最後に、藁人形攻撃に関する次のような文章を引用して、この記事を終わりとします。


誰でも、自分の主張が捻じ曲げられて解釈されたら激怒して抗議する。
が、自分は他人の主張を歪曲して平然としている。

歪曲されるような曖昧な主張をする方が悪いのだ。
これは、この問題に限らない。

譬えは悪いが、
他人の物を平気で盗む泥棒も、
自分の物を盗まれたら腹を立てるだろう。

他人の言葉に傷つきやすい人は、
自分が他人を言葉で傷つけることに無神経である。


そして、

むしろ人間とはそうしたものだと心得て、この詭弁への対処法を考えたほうがいい」

と香西先生は指摘しています。


03_02_悲しみ・バスト


職場の人間、あるいはビジネススクールの生徒や教師たちと会話しているときに、

「自分はそんなつもりで発言していないのに、言葉を捻じ曲げて解釈していないか?」

と感じることはありませんか?


悪意を持ってか持たずかはわかりませんが、平気で他人の意見を曲解する人がいます

特にビジネススクールでは、

「生徒の発言を授業の流れの都合のいいように曲げて板書する教師」

というのを、鳩はこれまで何度も見てきました。


しかし、そんな藁人形攻撃の使い手たちは、

「他人の意見を『曲解』しようとするって事は、

逆に『曲解』されるかもしれないという危険を、

常に『覚悟して来ている人』」

というわけでもなさそうです。


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むしろ、

「おれのいうことは正しい。

おれのなすことも正しい。

おれは天下にそむこうとも、

天下の人間がおれにそむくことはゆるさん

と考える、『三国志』の曹操タイプの方が多いように見受けられます。


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そんな世の中で、

「詭弁がこの世に存在するなんておかしいよ!」

とナイーブな声を上げるよりも、

むしろ人間とはそうしたものだと心得て、この詭弁への対処法を考えたほうがいい」のでしょう。


まとめ

さて、今回ご紹介した内容を振返りましょう。

藁人形攻撃】

言葉の言い換え、
単純化、
誇張、
拡張、
絶対化、
一般化、
文脈からの切り離し
等の手段により、
相手の言葉を別の表現に変えてしまい、これを攻撃すること
滑りやすい坂

・「藁人形攻撃」の1つ
・勝手な因果をどんどんつなげて極端な結論に導くこと
(例)風が吹けば桶屋が儲かる
【人に訴える議論】

・ある理論と、その理論を唱える人の人間性を結びつけて、理論を否定すること
(例)禁煙を説くヘビースモーカー

・しかし本質的に、「人と論とは切り離せない」
【性急な一般化】

・少しの事例から、全体を判断すること
(例)女子高生に声をかけるイタリア人を見て……
 ⇒「イタリア人は女好きだ」と判断する

・実際には、既に備わっている偏見の目である事例を見ている
詭弁を使ってくる人間に対して怒るよりも、
むしろ人間とはそうしたものだと心得て、
詭弁への対処法を考えたほうがいい


次回の記事では、引き続き議論の話を続けていきます。

今度は香西秀信さんの本の3冊目『論より詭弁』から、

引き続き詭弁の奥深さを探っていきます。



お楽しみに。

to be continued...



参考記事

記事の中で出てきた、「ヒューリススティクス」については、こちらの記事をご覧ください。


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