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Kちゃん。

梅雨の時期、
身体がだるおも〜くて
理由はないけどメンタルも
だら〜んとして。

雨の日はおしゃれで好き何だけど、
人生で1番最低最悪な知らせが入った
あの日も雨だったので
たまに思い出しちゃう。


わたしはもしかしたら
色んな理由をくっつけているだけで


あの日いらい、もう二度とこんな
悲しいことがおきないように、、と、
バカみたいに走っているのかも。


あの日私の中にできた
大きな穴、、というより空間は
いくら自分で努力したって
大切な人が増えたって
同じ色では埋まらなくて


そこを埋めるために
もう広がらないように
必死に生きているのかも。


喪失感は
時間が解決してくれる何て嘘で、
10年たっても埋まらない。


でもその埋まらない喪失感が
なければもしかしたら
今の私はここにはいなくて


私という人間を語る上では
かかせないスパイスになっている事は
たしかで。


色んな感情をきっと
その穴が吸い込んでくれていて。

言葉にできない想いも
綺麗に浄化してもらっているのかも。


そんな事を言葉に乗せたら
彼女の死を肯定するようで
本当は認めたくはないのだけど
やっぱり事実で。


息子が色んな事を拗らせていて
色んな思考が脳内で
大渋滞しているのだけど


私のあの経験を通して
創られてきた価値観は
最後にはいつもシンプルな答えに
導いてくれる。


『生きていればいい。
欲を言えば、笑っていてほしい。』


息子と同じ病気の人の話しを
聞かせていただく機会が
とても多いので


そんな時はいつも
想像力の扉をフルオープン。


いくら想像を張り巡らせても
同じ気持ちになんて
きっと1%もなれなくて
一生想像の域を超える事が
できないことなど
百も承知なのだけど


それでも
彼が抱えている荷物の重さを
いつも必死に想像していて。



いわゆる健康な人よりも
おもーーい荷物と身体を
抱えて生きていかなければ
ならない彼は


もしかしたら
もう全てが嫌になって
全てを投げ出したい気持ちになったり


その怒りの矛先を
自分や人に向けてしまいたくなる事が
長い人生の中であるのかもしれない。


そんな時に
一瞬でもいいから、
私の顔を思い出して
ブレーキをかけてくれたら...


そんな存在になれたらそれだけで
私の子育てはハナマルなのかも。


あの事件のとき、
自分にとっては
ひだまりのような存在だった
彼女にとって、
私はそうではなかったんだ...

何でそうなってしまう前に
思い出して連絡できる存在に
なれなかったんだ...


数日前に電話で話したときに
どうして気付けなかったんだろう...


と、今だってずっと
ずっとずっとずっとずっと一生
自分の不甲斐なさと無力さを
抱えて生きているのだけど


"大切な人のひだまりで
いられる女性になりたい。"


という気持ちは
(相手が望むなら)
家庭でも仕事でも
全てにプラスに働いている気はする。


もし私が好きな事だけを
突き詰めて仕事にしていたら
きっとまた全然違う
生き方をしていたと思うのだけど



生きる事に直結する
"働く"ことをテーマにして
働いているのには、ベースに
"生きる活力を持てる人を増やしたい"
という思いもあるのだと思う。


おもーい、わたし。


でも、きっとそうなんだろうな。



とにかく今日はとても
Kちゃんが恋しい。

この感情にはいつも蓋をしないでむきあうのだ。


雨を歌に乗せた曲を
雨の日にまったり1人で
聴いている時間がとても好き☔️

今日の作業BGM


21時から在宅ワーク相談。
今日は朝からずっとzoomだなー。

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