Reすたーと

名古屋での最後の大仕事。

やっとやっと今日の15時に
私と子ども達は同じ姓を
名乗る事ができそうです。

今家庭裁判所で結果待ち。
(親権は取っているのでNGになる事は
ないみたい。)

ながーーーーーい。

今日も感情がとても忙しくて。

昨日友人がプレゼントと共にくれた
手紙を読んで朝から泣いて

小学校の先生にご挨拶に行ったら
息子の作文を泣きながら渡してくれて、

『お母さんはいつまでもオアシスで
いてあげて下さい』

という先生の言葉と、作文の中身に
涙腺が崩壊してしばらく車から
動けなくなり。

それから家裁に来て
やっと揃った全ての書類を提出し、
色々と協力してくれた
沖縄のお義母さんに連絡。

私が中々離婚を決められなかったのは
本当に可愛がってくれて仲良くしてきた
元夫のおばぁとお義母さんと義妹たち、
そして甥っ子姪っ子の存在が大きかった。

今までも何回も、元夫がやらかす度
離婚しようと思ったのだけど
お義母さんの愛情に免じて許してきた。

今だって、優しくしてもらう度
裏切った気分で
胸が張り裂けそうになる。


でも、どうしてもやっぱり
子ども達の幸せと天秤にかけたときに
あの父親はいない方が良いと
決断するしか選択肢がなかった。


いや、そんなの押し付けだね。
自分の幸せには必要のない人だった。


結婚って2人だけの問題じゃないから
こうして色んな切なさを抱えて
私と子ども達はこの地を離れて
未開の土地に行くわけだけど


みーんな口を揃えて
『さわと子ども達なら
どこにいたって人が集まってくるから
絶対に大丈夫!!』

と言ってくれるので
元々0からスタートしたこの地でできた
仲間たちの言葉を信じて
前に進もうと思う。

何より嬉しいのが、
私の決断を聞いたときに
『あ、、さわちゃんらしいな。』
ってみんな思ったんだって。

昔から見てるところや
考えが行き着く場所が
人とは違うことは自覚していて

"普通"に合わせようとして
苦しんだ若かりし頃も確かに
あったのだけど、

40歳になった今、
やっと自分の価値観をいかして
生きている実感があって。

私らしい

って何よりの褒め言葉。

これだけ思い切ったこと
やっちゃったんだもん。

残りの人生はお利口ぶらずに
ナチュラルに生きていこうと思うよ。

子どもの頃から悲しい事があっても
隠れてこっそり泣くタイプだったのに

この離婚や移住を通して
私はキャラが崩壊して
いつも泣いてる
泣き虫キャラになってる。笑


今まで我慢してきたぶん
全て涙も出尽くしたし、
そのほとんどが悲しいわけではなく
あたたかい涙だったのだから
こんな幸せなことはないと思う。


私には色々足りていないけど
いつも誰かが補ってくれる。
いつも誰かが支えてくれる。


受けた恩恵の有り難さを
一生忘れずに
どこかで誰かに還元しながら
生きていこうと思う。


そして、家裁手続き完了。
これでやっと
私の戸籍に子ども達が入り
同じ名前を名乗れるよ。

Re.スタートだ!!

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