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利賀で凹んだ演出家が#DWS2018_wingに参加してきた

2018年8月13日〜16日。
お盆の真っただ中に行なわれた、演出家のためのワークショップに参加してきました。
正式名称は『〜正しく致命傷を負って現場に帰るための〜 ウイングフィールド×花まる学習会王子小劇場 ディレクターズワークショップ』
です。長いので以下DWSと表記。

DWSのだいたいの概要なんかは、こちらの過去記事に読みやすくまとめられているのでどうぞ。
また、今回のDWSについては、Togetterに「#DWS2018_wing」のハッシュタグでツイートがまとめられています。

この記事では、自分が経験した4日間について書き殴りました。
ありえないくらい実りの多い日々だったので、そのシェアを図ります。3日目の夜に書いたり、後で追記したりしているのでちょっと散漫になっていますが、ご了承ください。1万字弱あるので、時間のある時に読むことをおすすめします。

まず、結論から言うと、結局準備が大事だったなぁと思います。
初日の演出プランのプレゼンはボロボロだったけど、それはおいといて、僕の身体は意外と準備ができてたんだなぁと思って、それも含めて、まず準備の段階から、振り返りをしていきます。

●DWS、自分にとって必要?
 そもそも準備っていうか、今の自分にこの薬(DWS)が必要か。そこが大事。何のために参加するのか。この必然を自分の中に持っておかないと、結局準備にも身が入らない。壁にぶつかった時、向き合う意味を見出せず、粘れない。誰かの意見を知りたいと思っても、踏み込めない。何のために参加するのか。確信が持てなければ、多分今回ほどの収穫はなかっただろうと思います。

●僕にとっての核心
 まず、マイムで古典戯曲を上演すること。そのことで、マイムのイメージを拡張していくこと。それはブレない目標で、そのためには演出技能の向上は不可避でした。幸運(?)にも、利賀演劇人コンクールに参加できることが先に決まって、「順序逆だろ」と思いつつ、「どうせ利賀で思いっきり凹むから、それをDWSでぶつけられる」という目論見がありました。これは結果、その通りになります。
 京都には、僕より若くてしかも既に結果を出している、魅力的な演劇作家(演出家に限らない)が本当にたくさんいて。僕にとって「客観的な指標として分かる演出技能の向上」は死活問題でした。

●初めて出会う人との創作
 加えて、DWSの特徴である「当日決まるメンバーとの創作」という事実に、必然を感じるか。感じられなければ、「いつもやってる稽古場ならこうはならないのにな、あーあ」で終わります。
 僕は、DWSの応募書類に書いたことによれば、「マイムの強度は、技術か、哲学か」との問いをこのDWSに持ち込んでいます。マイムは、身体技術を共有した仲間と、技術で魅せる芸なのか、あるいは、身体感覚に対する捉え方(=哲学)がマイムであって、それは現場で出会う人とも探っていけるものなのか。前者であれば、マイムは構造的に閉じたものなっていかざるを得ません。でも後者なら、どんどん広がっていくものになりうる。それは創作としても。それを試みる場としてDWSはぴったりでした。

●課題戯曲を読む時間を作る
 僕は利賀で上演審査のトップバッターだったので、自分の団体の審査が終わった後の1週間、最高の環境で課題戯曲を読むことができました。自分の演出作品に対する講評を、問いの核として胸に持ちつつ、日々上演される全国から参加する若手演出家の上演と、それに対する日本第一線の演劇人の講評。それを聞いては「演出って何だろう」という考えが毎回更新されては、改めて課題戯曲を読み直す。ここまで贅沢な時間の使い方ができたのは幸運としかいいようがありませんが、でも自分の心持ち次第かなとも思います。
過去の自分にこの段階で何かアドバイスができるとしたら、「プランはまだ決めきれないよ」ということ。一緒に作るメンバーは当日決まります。俳優ももちろんその日に決まるし、どんな柄(年齢や見た感じの個性)を持った人が演じることになるかわかりません。その時に、自分がやれるプランの幅を広くとっておくために、戯曲を読み込んでおく。そういうことなのかなと思います。2日目の夜、ファシリテーターの広田さんからもらった言葉で「必然を見出す力」というのがありました。全部自分が望むように誂えて上演できないってことは当たり前にある。それでも「必然」を見出して、必然と見做して、信じて、作る。
 古典戯曲と呼ばれるほどのテキストなら、どんな誂えでも、必然を見出せるだけの厚みがある。それを信じる。集まってくれたメンバーを、必然と信じる。
 そのためにも、ちゃんと読んでおくこと。複数の訳を読む、作家論の本に目を通す、作家の別の本に目を通す、これくらいは図書館で出来ます。
 「自分にとって何が面白いか?」は、稽古場で決まります。でもその可能性を広くとっておくために、戯曲をちゃんと読んでおくのです。

●演出プランを作る
 僕が参加した今回のDWSでは、前年に東京・王子小劇場で最後として開催されたDWSと違い、演出プレゼンによる投票、選出はありませんでした。今回、もしその選考があったら、僕は落ちてました。
 今回の演出家枠4名(ファシリテーターの広田さん除く)、泉さん・古後さん・西野さん・豊島の得票数は、それぞれ40点台半ば・20点台後半・40点台半ば・20点台後半でした。確か。土俵にすら上がれなかったわけです。しかも結構な差で。今考えると、これは本当に悔しいことです。
 まず前提として、演出プランと、演出プレゼンは違います。これは意外と大事。
 先に演出プレゼンの話を。
 自分なりに、マイムという前提を活かした戯曲への興味の持ち方、アプローチはある程度整理しているつもりでした。スライドも、一応原稿だけ用意した。ただし前日に。いきなりスピーチ始めると、意外と、しどろもどろになります。原稿で書いてたことも、言わずに終わってしまったりします。これは勿体ない。もしかしたら、言いそびれたことで、興味を持ってもらえるチャンスを逃したかもしれない。伝え方を工夫しなかったせいで、あと少しで引っ掛けられた人を逃したかもしれない。
 プランを伝える作業は、どうせ、メンバーにもすることになります。それが限定された場と空間に設定されているかだけの違いで。なので、無駄にはならないので、「伝えられるように」準備しておくこと。

●改めて、演出プランについて
 僕は今回、かなりブレずに作れました。他の班と比較しても(広田班は除く)。それも幸運としかいいようがない気がするのですが、それだと何の役にも立たない分析なので、ちょっと考えてみます。
 自分の個性をどう認識するか、かもしれないなと思ってます。現状では。
演出プラン=何がしかの仕掛けのアイディア=自分の個性、と見做してしまうと、その「仕掛けのアイディア」が即物的なものだったとしても、それを捨てられません。それが、「自分が」戯曲を上演する前提条件になってるから。意味なくても。
 じゃあ、自分の個性って何よ?って話なんですが、「何を疑ってるか」かもなと思ってます。現状では。1つを選ぶ「これだ!」より、1つを選ばない「これじゃないだろ」の方が、自分の動機として切実で、選択肢が多くて、発展性があるんじゃないかな。
(追記:この文章は3日目の夜に書いてます。この後、テントを使った演出にこだわりぬいた古後班が、最終日にヒットを打ちます。ので、執着するのも大事かもしれない。)

==ここから語尾が丁寧語じゃなくなります==
   ==臨場感をお楽しみください==

●1日目
 前述の通り、準備はしてたけど不足があり、プレゼンは失敗。集まってくれたメンバーに話を聞くと、半分くらいは第一希望。嬉しい。結果論になるが、期せずして僕の上演にとってのベストメンバーだった。これはマジで運。
 稽古場は舞台以外に客席・楽屋・控え室・DIVEとあり、ローテーションで回していく。初日の稽古場は舞台。とにかく体を動かさないとうちの班は話にならない、という動機でチョイスした。戦略的に考えて、舞台稽古を後日に残していた班もあったみたいだ。でも、ここで舞台にしといてよかった。
12時から稽古開始で15時15分から経過発表なので、3時間強しかない。マジで時間がない。
 まず、身体の感覚を持ってもらうために歩き回ったり、即興的なムーブメントを試してみることで、僕が思う「マイムの哲学」の共有を図る。感触、悪くないが、俳優自身で展開を探るところまでは盛り上げきれず。とにかく考えてきたプランというか振り付けというか段取りを、無理くり、つけれるところまではつけ切って発表を迎えたかったので、飯を食う時間もほとんど取らずに、進めていく。腹が減っていくこともあり、みんな少しずつ疲れていく(当たり前)。
 身体感覚をドラマに置き換える、その感触を受け取ってもらうことを重視。マイムなら自分で身体感覚を捏造するんだけど、初日は装置ありで上演することを選択。足元の不安定さを感じるために箱馬で橋を。相手との距離ルールを厳密にするために、胸の間に寸角を挟んで落とさないようにする、など。後半の山場で机に上がる予定も、机に立つのは劇場からNG。ムーブとして机の上に上がるのも難しく、段取りをつけられたのはそこまで。ショーイングの時間となる。
 発表は5班中、1番目。ちなみに2日目も3日目も1番目を選択した。俳優の感覚が冷めないし、そのあと気楽に観れるので、絶対1番がいいと思う。
ショーイング。僕がつけた段取りを忠実にやってくれる俳優たち。特に「こんなはずでは」というところもなく、「いまはここまで」という出来。
 講評。
 棒は、箱馬は、何だったんだとの指摘多し。上記の通り説明。他、言葉が頭に入ってこない、電球の位置の意味は、など。あんまり覚えてない。
 他の班のショーイング。それぞれに面白い。特に泉班は、プレゼン通りの展開が3時間の稽古で見事に立ち上がっていて、出色の出来。どういう頭のキレしてんだこのチームは、と思う。

 のあと、広田さんの、演出への個人アドバイスタイム。
本質的かつ実践的な助言をいただく。以下、箇条書きで記す。
・様式が観客に伝わるかどうか、共有されてるかどうか。
・アイディアで限界まで俳優を追い込めるか。飽きる前に。
・もっとわかりやすくて強い負荷はないか。肉体の強度をどう出すか。
・言葉がある必然、マイム的想像力と言語的想像力。
・演出家自身に身体感覚があるのだから、見せて、むしろ俳優に「君が言語化してよ」と問いかけることで、腑に落としてもらう。
・テキストの信じ方。

のち、タバコを吸っている北川さん(怖いと思いきや優しい。最終日に僕のことを年上だと思っていたことが発覚)にお願いして意見をもらう。
・数学的に捉えることで身体に置き換えることができるというのは面白かった。
・負荷になってるのか。
・訓練なしで、持ち得ない身体で、スリリングは出せるのか。
・テキストの力。
・コモンな動きを信じてもいいのでは。めっちゃ書いてあるト書きとか。
など。
 書いてみてわかるが、共通する意見と、それぞれの意見があり、どちらも必要な情報だった。めっちゃありがたい。割とそのまま採用させてもらったりすることになる。
 居残り稽古をするより、初日は演出家自信の頭を整理すべきという判断が多く、他の班も含め皆19時ごろに帰る。
 2日目に向けた課題として。まずうちの班だけ発表が最後まで通せていないので、振り付けを最後までつけてしまうことを念頭におく。加えて、講評を消化した振り付けプランをイチから考え直す。それを実現するための時間配分など。22時から1時くらいまで頑張って、5時半に起きて、8時半まで頑張って考える。

●2日目
 10時稽古開始で15時15分からショーイング。
 とにかく前から振りをつけていく。やや強引。衣装を持ってきてもらうお願いをしていたので、お昼に衣装も選ぶ。意外と素敵な衣装が揃ってホクホク。何とか最後まで振りをつけて一回通してみて、経過発表の時間となる。
 照明は豆電球一発、音響は拍子木のみ、衣装あり、という状態だったので、うちの班だけ、ほぼほぼスタッフワーク含め総力体制での上演となる。
のおかげもあってか、俳優の集中力も良く、かついっぱいいっぱいであるスリルもあり、客席の集中も悪くない印象。
 講評。
 初っ端、泉さんから「何を面白いと思ってるかわからない。身体でボルクマンをやる必然は?」との問いかけあり。答えられず。ほか、「振り付けを見せられても」との指摘多し。振り付けって…とやや拗ねかけるも、北川さん指摘により、我に帰る。反省。
 2日目から講評の場が活発になっており、やや厳しめの印象。でもこういう観客との接し方はやっぱり貴重。無自覚に観客を選んでることにも気づかされる。
 他の班のショーイング。全体的に初日の方が面白い。みんな意外と迷走しているようである。

広田さんのアドバイスタイム。
・戯曲のコア。必然を見出す力。必然と見做す、信じ込む。
・コンテ(ンポラリーダンス)寄りの演出にしては、テキストに寄りすぎる。動きが意味に従属する。
・戯曲から生まれた動きは面白くならない。根っこに「イメージ(※演出の世界観)」があって、そこから「言葉」と「動き」が生まれていれば、それがバラバラでも、むしろその距離・ズレで持って観客の想像力を引き出せる。
・戯曲に負けない体のルール。

例によってタバコを吸っている北川さんにも話を聞きにいく。
・戯曲は、ドラマトゥルギーは必要なのか。
・テキレジで身体との親和性を取る、とかはむしろ小さいコマンド。
・戯曲のドラマトゥルギーを再構築するのか、それとも今やってるやり方でいくのか。

 2日目はすべての班が居残り稽古を選択。
 3日目に向けた課題としてテキレジがまず念頭にあったため、戯曲を読み込む一助とすべく、豊島班から意見を募る。具体的には、今自分がつけている振り付けや段取りについて、演じる側・見る側の解釈として違和感を感じている部分がないか、僕がいまいち消化しきれないテキストの記述について、みんなはどう消化しているか、あるいはしていないか、僕なりのボルクマンの解釈を、豊島班の俳優でしかできない必然としてどう消化していくかなど。
 演じる俳優側の解釈を通して、見落としていた可能性などにも気づかされ有益な時間。俳優=大形くんの若さを豊島班の軸とし、該当シーンに浮かび上がる若き日のボルクマン、ロマンチストでエゴイストなボルクマンの葛藤を中心にブラッシュアップしていくことを班のメンバーと共有。20時頃まで話し合い、特に稽古などはせず解散。

 帰宅後、頭の中でテキレジの方針をまとめ直し1時頃就寝。5時半に起きてテキレジにかかり、8時頃仕上がる。
・言葉の密度を上げるべく説明部分を省略。
・ムーブメントをつけた長ゼリフは、動きを信じてみる実験としてバッサリカット。
・過去を回想するシーンはセリフを現在形に変更。過去の決断を「いま」起こっている出来事として現前させる。
他、装置についても「整合性が取れてない」と言われることにビビって2日目でやらなかった要素もぶち込むことを決意。

●3日目
 10時稽古開始で15時15分からショーイング。
 4日目は場当たりと上演のみなので、3日目が実質最後の稽古日。
 自分なりのテーマは「いかに手放すか」。
 演出としての準備の仕事は家で片付けてきたので、どうやって班のメンバーを自由にするか、その力を借りられるかに現場での自分の労力を注ぐ。
 前半の稽古場は受付。
 これまではいきなり身体を動かし始めていたところを、テキレジの方針説明、一行一行の意図の解説から入る。また、振り付けのシーンは変えるつもりだが自分では振りを用意していないこと、俳優自身で動きを探していくことを試みたい旨を共有。
 テキレジ箇所も結構複雑で覚えにくいため、俳優がセリフを確認する時間を15分ほど取り、その間に演出助手・稽古場助手と装置の追加要素について相談。わざと(わざと!)実現性の低い、理想の脳内イメージだけがある状態だけで持ってきたので、どうやったら実現できるかアレやこれやと話す。結果、それぞれからのアイデアにより、美的な強度がありかつ実現可能なプランができたため、採用。つくづく自分ひとりで最後まで考える必要はないのだと思い知る。また、このへんの作業をきっかけに、助手に「どう思います?」と意見を聞きやすくなった。思わぬ副産物。多分、頼ることに少し慣れたのだと思われる。
 俳優にテキレジをもとに喋りながら簡単に動いてもらう。想像していた聞こえ方と違った部分を随時修正していく。また、ここは「振付」でいく、と決めていた部分について、俳優に動いてもらって、それを積極的に楽しむ。普通に楽しかった。こういうことをやりたいんですけど、どういう動きができそうですかね?という問いかけに、ボルクマンである大形くんから「首の上だけ動かす」という結構ストイックな案が出る。やってみるとドンピシャであったため、即採用。大形くんが活躍すると班全体が活気付く。今回、そういう人間が集まってくれて本当にラッキーだった。
 後半の稽古場は客席。
 見学枠の人や運営の人もいるので、メンバーにも僕にも若干の緊張がうまれる。受付の広さでは試せなかった仕掛け、振り付けを形にしていく。自分に課したルールは「ジャッジしない」。やってみたあとに俳優が「どうですかね?」みたいな感じになってもお口をチャックして言わない。面白かったことや、ここはこうできたんじゃない?とか思っても、絶対言わない。仕方ないので他のメンバーから俳優に意見が出る。俳優が勝手にトライする(僕が「じゃあもう一回」とか言わなくても)。すると不思議なことに、俳優の固さが少しずつほぐれて、動きがみるみる大きく、自由になっていく。これは誰が見てもわかるレベルの変化だった。稽古場で「待つ」ことの難しさと大事さを思い知る。
 新しくぶち込んだ要素を形にする作業になんとか区切りをつけ、一回通す。経過発表の時間となる。
 例によって一発目。
 ちょっと驚かせたい仕掛けもあったので、幕をしめて準備する。が、結局スタートする前に仕掛けが外れてネタバレとなる。これはご愛嬌。俳優の集中も悪くない。テキレジに対しても新鮮な反応が生まれているように思った。
 講評。電球一発の暗さについてなど。意外とテキレジについては意見なし。その後、他の班のショーイング。引き続き迷走を感じるも、古後班は何かしらの一歩を感じた。
 3日目の「夜」が実質的に最後の稽古時間となるため、演出家ミーティングでは全班が居残りを表明。ただし豊島班は20時までとした。流石に疲れが溜まっていたことに加えて、フィードバックに対する抜本的な対策をする場合、どうしたって僕が考える時間が一晩必要なので、それを稽古場で他のメンバーを残してやるのは体力的にやりたくないという判断。ただ、今考えるとここでもう一回、ひっくり返すことが、あるいは、できたかもしれない。結果論だけど。
 稽古場所は舞台。

広田さんのアドバイスタイムは、広田班の稽古もあるので短めに。
・観客に届くか届かないか。自分の感覚の一番鋭いところに基準点をおくのか。
・何を徹底してるのか。身体の強度として、絶対100点を取りに行くのは、どの部分なのか。

例によって北川さんを探してタバコ場に行くも、運営は小屋でミーティング中。抜けていただいて話を聞く。ありがたい。
・2日目の方が予想不可能なスリリングさがあった。親切・不親切とスリリングは両立可能な気もする。
・理か美か。理があるとどうなるか予測できる。美でもって圧倒する、感動させる、って言うのがやりたいことなんじゃないか。

 班のメンバーにもらった意見を共有。4日目に向けた方針(大きな変更はしない)を伝える。なんだかんだと打ち上げみたいな会話をしつつ、稽古場を開ける19時半となり、豊島班解散。その後の運営側との舞台打ち合わせを行う。が、照明も音響もきっかけがあまり無いためあっさり終わる。20時ごろ退館。
 コメダ珈琲にてこのブログを2日目のところまで書いたところで23時となりタイムアップ。帰宅。就寝。

●4日目
 場当たり・上演の順番を決める。豊島班は3番目。
 朝の合間の稽古時間を使ってアップ、振り付けの再確認。
 「理(屈)を超えた美でもって殴る」を自分の中のテーマとし、さらに自分にとっての美をブラッシュアップするため、「一旦手放した俳優を改めてジャッジする」ことを試みる。
 結果から言うとこれはあまり有効な手ではなかった可能性が高い。振り付けの練度は上がったが、俳優の「失敗に対する恐怖」を引き出して、無用な緊張を生んでしまった。
 バタバタと場当たり、ゲネを済ませ、DIVEにて、発表まで1時間弱の空白時間。すでにダメ出しは伝えてあるので、俳優の時間の使い方に任せる。
 発表は3番目。
 やはり緊張感が違う。俳優のミスもこれまでより目立つ。が、それは他の班も同じか。目新しい要素が今日はないので、自分でも余計にそう感じたのかもしれない。両手を挙げて「お疲れ様でした!」とは言いづらい出来。が、自分の試みに対する結果としては「俳優を縛るのは良くない」と言う指針が明確になったので、良しとする。
 他の班の発表について。

広田班、リアリズム的な会話の密度が段違いに上がっている。特に女優の成長が著しい。4日間でどうやってこの状態までディレクションしたのか…。

西野班、少しずつ意味のあるディレクションになってきた気はするものの、読みが甘いのでそもそもドラマの目標地点が低すぎる。

泉班、初日の衝撃を越えてくれない。

古後班、テントに拘った意味が着実に可視化される。もう少し早くここまで来れていたら。

 講評。
 俳優の身体、ダンサーの言葉などの視点から意見が出る。他、テキレジについてや舞台の暗さ、見えにくさについてなど。最終日なので自分も熱くなりつつ、自分の演劇観やマイム観を言葉にしていく。自分の上演が、その人が興味を持つ、何かしらのきっかけになったから質問してくれるんだと思うし、これまで触れることのなかった種類の人と出会って言葉を交わしているという実感があり、楽しかった。
 その後、ワールドカフェ。
演出が5つの場所に分かれ、他の参加者がそれぞれを回って、質問し、会話する。
一番理解し、応答するのが難しかったのは、「俳優がムリしてるように見える」という指摘。そもそもムリさせたいのだが、だがムリにムリしてるように見せたい訳ではない…などと考えていくと、ごちゃごちゃとしてきて未だに整理しきれていない。他、この後はどういうことをやっていくの?という質問を度々受けるも、その都度その都度で自分の答えが変わっていることに気づき、困る。
 最後に居酒屋に全員が移動し、打ち上げ。本当に自由に移動し、喋る。
 広田さんに「なぜ女優があそこまでうまくなったのか」を質問したり、北川さんに世界の流れを視野に入れた日本のコンテンツとしての演劇の戦略について話を聞いたり、他の班の人との出会いがあったり。
 正直飲み会はどんな場所でもあまり楽しめないタイプの人間だが、自分が演劇に対してどういう興味を持っているか、どういうアプローチをするかを散々共有させられた後にみんな話をするので、楽しい。楽しかった。

以上でザクザクっとDWSの自分なりの報告をまとめてみた。
最後に、飲み会で北川さんがよく使っていた「インヘリット」という言葉について。
「inherit(受け継ぐ)」というのは、DWSに数少ない演出枠で参加させてもらった人間として、一番重要な使命だと思う。
この経験は自分にとってめちゃくちゃいいものだったし、単純にDWSのシステムは創作にとって本当によくできた仕組みだと思った。

だからこれをシェアしたい。
DWSに参加する前の僕は必ず読むだろうし、他の誰かが読むかもしれない。その可能性を信じて。


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