「パントマイム」と " Mime "

日本語で「パントマイム」というと、見えない壁やロープのこと。

でも英語で " Mime " というと、まったく違うものです。

↓以下の記事を和訳しました

Mime artist - Wikipedia, the free encyclopedia

==========

 マイム、あるいはマイムアーティスト(ギリシャ語で「ミモス」(まねをする人、役者))とは、物語を言葉なしに、身体の動きを通して表現すること、あるいはマイムを演劇の手段として、あるいは、パフォーマンスアートとして使用するもののことである。かつてイギリスでは、そのようなパフォーマーは一般的にmummerと呼ばれていた。また、マイムを演じることは、映画やコントなどで俳優が複数の作品において一貫したキャラクターを演じるサイレントコメディとは区別されている。

 パフォーマンスとしてのマイムのもっとも古い形は、古代ギリシャにおいて見られ、その名前も、パントミムスと呼ばれる一人の仮面ダンサーから取られた。しかしそのパフォーマンスは必ずしも黙っている必要はなかったようである。中世ヨーロッパでは、マイムの初期の形としてmummerや後にdumbshowが登場した。19世紀初めになって、パリにおいてジャン=ガスパール・ドュビローが、現代の私たちにも馴染みのある、「白塗り」に「喋らない姿」などの、マイムの特徴を形作った。

 コメディア・デラルテと日本の能に強く影響を受けたジャック・コポーは、俳優訓練に仮面を用いた。彼の教えを受けたエティエンヌ・ドゥクルーはこれに強く影響を受けてマイムの可能性の探求を始め、コーポリアルマイムによってマイムを高度に彫刻的な形態へと発展させ、マイムを自然主義の領域の外側へと連れ出した。また、ジャック・ルコックのトレーニングメソッドは、マイム及びフィジカル・シアターの発展に大きく貢献した。


映画

 マイム芸術における主要な論考はエティエンヌ・ドゥクルーのものより前には存在しておらず、19世紀以前に行われたマイムの再創造は、種々の情報を解釈することによって推測するしかない。しかしながら、20世紀は新たなメディアをもたらした。映画である。

 初期の映画ではその技術的制約のため、物語は最小限の対話によって語られなければならず、それも挿入字幕という大幅に制限された手段に頼る必要があった。そのため、舞台から輸入された、高度に様式化された身体演技がしばしば求められ、それゆえに、マイムはトーキー(音声付き映画)の出現までは映画において重要な役割を果たしていた。マイム的な映画演技のスタイルはとりわけドイツ表現主義映画において素晴らしい効果を上げた。

 チャーリー・チャップリンハロルド・ロイドバスター・キートンといった無声映画の喜劇役者たちは、マイムの技術を劇場において学んだ一方で、劇場におけるマイムアーティスト達の作品に、映画を通して彼らの死後数十年にわたって深い影響を与えている。事実、チャップリンは歴史上で最も語られることの多いマイマーである。

 フランスの有名な喜劇役者であり、作家、監督でもあるジャック・タチは、そのキャリアの初期ではマイムの活動によって人気を獲得しており、のちの彼の映画作品には最小限の対話しかなく、そのかわりに、巧みに演出された無数の繊細なギャグが映画を支えている。先人チャップリンのように、タチは、彼の映画においてすべて一貫したキャラクターを演じており、他の俳優にもそうするよう指示していた。


舞台、路上

 マイムはそれまで舞台上で演じられてきたが、その中でもマルセル・マルソーと、彼のキャラクター「ビップ」が最も有名である。またマイムは、路上パフォーマンス及び大道芸における芸術形式としても人気である。慣習的に、この手のパフォーマンスはピチッとした白黒の服を着て白塗りの化粧をした演者を伴う。しかしながら、現代マイムにおいては白塗りなしに演じられることがほどんどであり、同様に、伝統的なマイムが全く喋らないのに対して、現代マイムにおいては話すことを慎む代わりに、演技中に時々音として声を利用することもある。マイムの演技はしばしばコミカルであるが、シリアスな演技も同様に存在する。


文学

 カナダの小説家、マイケル・ジャコーの処女作「最後の蝶」は、ナチスに占拠されたヨーロッパにおいて、圧制者によって強要され、赤十字の監視団のためにパフォーマンスを行ったマイムアーティストの物語である。ノーベル賞受賞者であるハインリヒ・ベルの「クラウン」は、最愛の人に見捨てられ、酒びたりの貧困生活に落ち込んだ、ハンス・シュナイアーというマイムアーティストの破滅を描いている。ヤコブ・アペルの「道化恐怖症」は、あるマイムアーティストに部屋を貸したことをきっかけに、結婚生活が徐々に破綻していく主人の悲劇の物語である。


ギリシャ・ローマ

 記録されたマイムの一番古いものは、アイスキュロスによる「テーバイ攻めの七将」に登場するテレステスである。悲劇的なマイムはキリキアのプラデスによって、喜劇的なマイムはアレクサンドリアのバスロスによって発展した。

 ローマ皇帝のトラヤヌスはマイムアーティストを追放したが、カリギュラは彼らを寵愛し、マルクス・アウレリウスは彼らをアポロン神殿の祭司にした。またネロは、彼自身がマイムを演じていた。


非西洋の演劇的伝統

 本記事ではこれまで、マイムとの関連や歴史的なつながりを持つ、西洋の演劇様式及び表現技術の集合体としてマイムを取り扱ってきたが、一方で、他の文化圏の演劇的伝統とマイムとの類似は明らかである。

 不正確にもしばしば「ダンス」とラベルを貼られるインドの古典音楽劇は、多様な手のポジションなど、様式化されたジェスチャーと、異なるキャラクター、行動、風景を演じるためのマイム的なイリュージョンを通して物語が展開される、集団演劇の様式である。唱い、音楽そして足踏みさえ、パフォーマンスに加わることがある。また、ブハーラタ・ムニによる演劇についての古代文献ナチャ・シャストラは、ムカブヒナヤという喋らないパフォーマンスに言及している。

 インドの叙事詩、カチャカリは、顔の表情、ハンドシグナル、そして体の動きによって物語が語られる。役者がシーンを演じている間、パフォーマンスに伴って物語を語る歌がうたわれる。

 日本の能は、マスクの使用や高度に身体化された表現様式によって、ジャック・コポーやジャック・ルコックを含む、多くの現代マイムアーティスト及び演劇実践者に多大な影響を与えた。

 しばしばダンスの一形式として語られるが、舞踏もまた様々な演劇実践者によって取り入れられてきた。


マイムアーティスト

・ローワン・アトキンソン

・サミュエル・アヴィタル

・スティーブン・バンクス

・ジャン=ルイ・バロー

・ブルーマン

・ウォルフ・ヴォワート

・トニー・ブラウン

・ジャネット・カラファ

・チャールズ・チャップリン

・マイケル・クルトマンシュ

・アダム・ダリウス

・ジャン=ガスパール・ドゥビロー

・エティエンヌ・ドゥクルー

・ライアン・ドラモンド

・ジョゲシュ・ドゥッタ

・ラディスラブ・フィアルカ

・ダリオ・フォー

・ジョージ・L・フォックス

・クリス・ハリス

・ビル・アーウィン

・アレサンドロ・ジョドロスキー

・ジラー・ラーマン・ジョン

・バスター・キートン

・リンドセイ・ケンプ

・スタン・ローレル

・トーマス・リーブハート

・ジャック・ルコック

・ポール・レグランド

・パルサ・プラティム・マユンデル

・マルセル・マルソー

・エニオ・マルチェット

・カリ・マルゴリス

・カルロス・マルチネス

・ハーポ・マークス

・サミー・モルコ

・トニー・モンタナロ

・ムメンシャンツ

・ステファン・ニーデズィアツァルコスキー

・エイドリアン・ペックノルド

・レンカ・ピチリコヴァ・バーク

・エカテリーナ・ピロゴブスカヤ

・スラヴァ・ポルーニン

・オレグ・ポポヴ

・ノラ・ラエ

・ジーン・シェルドン

・リッチモンド・シェパード

・シールド・アンド・ヤーネル

・レッド・スケルトン

・スチームパワードジラフ

・ダニエル・ステイン

・ジャック・タチ

・パン・トー

・モドリス・テニソンズ

・ティックアンドトック

・ヘンリック・トマスゾウスキー

・ヴァハラム・ザリャン

・アチレ・ザヴァッタ

・パブロ・ジーブズ

==========

(以下、関連書、関連項目、外部リンクについては省略)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?