見出し画像

本屋に行くこと、旅すること

はじめに

本記事は、Bookstore Aid基金に関連して、本屋についてのあれやこれやを書いていくものとなります。

Bookstore Aid基金については、以下URLをご参照ください。この基金の賛同人として、末席を汚しております。

なぜBookstore AIDに賛同したのか

本題に入る前に、なぜこの基金に賛同したのか、書いておきます。理由としてはとても簡単。自分の趣味(+α)がなくなるのが嫌なので、このまま黙ってていいものではないと思ったからです。仮に終息後、本屋巡りを再開したとして、自分の中で「少しでも本屋を救う(という言葉はおこがましいかもしれませんが、適切な表現が思い浮かばなかったのでこちらを使います)ことができたのに、できるはずの場所にいたはずなのに何もしなかった」と思いたくないということも理由としてあります。

本屋行き始め

本屋、特に新刊書店に行き始めたのは2014年あたりから。ちょうど友人と当時白山にあった双子のライオン堂に行って以降。月に3回くらい行ったことが本屋巡りの始まりです。その前だと講義終わりに神保町の古本屋街ですが、意識して本屋に行き始めたのがライオン堂以降なので、これを本屋巡りの始まりとしておきます。色々な人とライオン堂で会いました。今でも交流のある方が結構います。自分が間借りを始めたのも、ここでの交流があったからです。

本屋に行くこと

なぜ本屋に行くのでしょうか。今、本自体はインターネットでも買うことができますし、行く意味が特にないという方もいるかもしれません。自分もすぐ必要な本はインターネットを使って買っています(基本的にhontoとかe-honとか日本の古本屋をメインで使っています)が、それ以外は本屋に立ち寄ったり、古本市で買ったりしています。

「本屋に行くと本に出会える」とはよく聞く話ですが、これに加えて色々な人と出会えるのが本屋だと思っています。今年の頭の連休で長崎へ本屋巡りに行った時も、神田だったら話すことがなかったであろう古本屋の店主や自分に書誌学の勉強を勧めてきた店主など、様々な本屋の方と機会がありました(今の本屋巡りでは書誌学の本は蒐集対象となっています、出版史系と一緒に勉強するために)。皆さんは、なぜ本屋に行くのでしょうか。

本屋を旅すること

ここ数ヶ月の情勢によって、本屋を目当てに旅することができなくなりました。個人的なことですがGWに予定していたイギリス本屋遠征(ヘイ・オン・ワイに宿泊予定だった)と来年予定していた北欧・中欧遠征を数年単位で延期せざるを得なくなりました。ということを言いたいわけではなく...

本屋を目当てに色々な場所へ行くことの面白さは、前述した色々な人や本屋に会えるだけでなく、ご当地の本にも会えることです。沖縄の県産本に見られるように、各地域でのみ流通している本があるので、その場所で買うという楽しみが出てきます。また、地域に根ざした古本屋だったら、郷土史系の本が充実しているので、旅先のことを詳しく知りたかったらやはり本屋へ行くのがベストだと思っています。

そんな本屋旅行、基本的には「公共交通機関を利用する」という制限を設けています。公共交通機関を使っても、最終的には自分の足で本屋へ向かうので、自然と町を歩くことになります。町の雰囲気を感じながら、本屋で歴史などを吸収し、よりその町を知ることができるので、公共交通機関を使用しています。また、旅は五感をフルに使ってやることがあります。そんな時に出会う本は、すぐではないけれど、きっと読むことになると思っています。見知らぬ町で、感覚を研ぎ澄ませて本を買う、そういう旅もまた、いいものです。今は前に行った町を、町の写真や本屋の写真とともに振り返るだけですが...

本屋って、「夜空の果ての本棚の国」なのかもしれません。

おまけ

おまけとして、Bookstore AIDのような取り組みがあるのか軽く調べていたら、太平洋の向こう側、アメリカではSave Indie Bookstoresという取り組みがあることがわかりました。


#bookstoreaid



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?