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玄米。くうべきか、くわざるべきか

これまでの人生のなかで、何度か玄米をくう生活をしたことがある。たべたことがある、ではない。すくなくとも数ヶ月以上、白米ではなく玄米をたべつづけた経験、という意味である。
最初は、東京でひとりぐらしをしていた時代だ。そのころの私の自炊には、「安くあげる」以外の動機はなかった。金がないから、自炊する。言葉をかえれば、金があるなら自炊はしたくない。だから、ふけばとぶようなちいさな会社の安い給料ではあっても、毎月の給料がでているあいだは外食が主体になっていた。朝食は会社に行く途中でパン屋によってパンをかい、昼食と夕食は、会社のちかくのラーメン屋やとんかつ屋でくう。あるいは、朝食はおにぎりで、昼食はパン、夜に外食ということもあった。東京の外食はたかいのだけれど、そのころはまだ、がんばってさがせば500円とか600円で満腹になる定食を出しているところもあった。そういうところの特定のメニューをローテションすることで、どうにか食費を1日1000円程度で維持できていた。それが、会社をやめたとたんにそうもいかなくなった。アパートの近くにやすい定食屋がすくなかったこともある。かわりに値段割にボリュームのある弁当屋はあったけれど、なによりも定収入がなくなっていた。はいってくるものがなければ、でていくものをしぼるしかない。こうして私は自炊を再開した。
自炊をするなら米だ。いまでは米はスーパーマーケットでかうものだが、当時はまだ米屋が健在で、スーパーでは日陰者あつかいだった。米屋の店先にはいろいろな米がならんでいたが、しばらく思案して、胚芽米というのをかった。たまたまそこに、東京都が胚芽米を宣伝するポスターがはってあったのをみたからだとおもう。そういうものが存在することもしらなかったから、好奇心をひかれたのだろう。
胚芽米は、おもいのほかにうまかった。だが、それよりも私の注意をひいたのは、パッケージにかかれた説明だった。なるほど、ビタミンやミネラルは胚芽におおくふくまれている。精白することはその栄養豊富な胚芽をすてさることになる。だから胚芽米はすぐれている、というのがその能書きだった。けれど、それをよんでいるうち、「じゃあ、玄米のほうがもっとすぐれてるんじゃないの?」という疑問が私のなかにうかびあがってきた。精米によって栄養価がうしなわれるのなら、その工程はいらないんじゃないの、とおもったわけだ。
いま、スーパーマーケットでうっている米は、精米されてからパッケージづめされ、各店におろされる。当時の米の流通システムはそうではなかった。町のあちこちにある米屋は精米所をかねていた。米屋には、30kgいりの紙袋で、玄米がとどく。米屋の店のおくには巨大な精米機があって、声がきこえないぐらいのかしましい音をたててうごいていた。あたりにはうっすらと糠がつもっていたりもした。それでも米屋がなければだれもご飯がたべられないのだから文句をいうひともいなかった。そういうもんだとだれもがおもっていた。
だから、米屋には、ごくあたりまえに玄米があった。特別なものでもなんでもない。その後、米屋が衰退していくなかで一時、玄米はすこし入手しにくくなった。特別な商品になってしまったからだ。いまでは、玄米が白米より割高なことを「玄米でたべるためのお米は栽培方法からしてちがうから高価になるんだ」みたいな説明までみかけるようになった。そういう商品もそりゃあるだろうけれど、白米はもともと玄米だ。玄米で流通させても買い手はおおくない。たくさん売れるものほどやすくなるという資本主義の原理によって、白米はやすい。それが本質的な理由だとおもう。
ともかくも、玄米に興味をもった私は、何度か胚芽米をかったその米屋で、おそるおそる「玄米はうってもらえるんですか?」とたずねた。愛想のよいおばさんは、「値段はおなじだけど、かまわない?」とこたえた。精米しないからといってやすくはできないよ、というわけだ。「政府米は値段がきまってるからね」と、公定価格表をみせてくれたりもした。量り売りの時代だから、茶色い紙袋に2kg、秤のうえできっちりとはかって、800円ぐらいだったようにおもう。
このやりとりからわかるように、この玄米、特別栽培米でもなんでもない。だいたいが、まだそのころはそういう制度もなかった。ようやく「自主流通米」みたいなのが大手をふって販売されるようになっていたころだ。さすがにそれを「ヤミ米」みたいに表現するひとはいなくなっていたが、まだまだ管理流通制度のなごりはあった。米穀手帳は廃止されていたかもしれないが、まだまだ身分証明書としての有効性は社会的にみとめられていた。

玄米は、炊飯がなかなか手ごわい。白米とおなじようにたいても、うまくいかないことがおおい。言葉をかえれば、うまくいくこともある。うまくいったら、白米よりちょっとかたいぐらいの食感で、あじはわるくない。水加減なのか、火加減なのか、浸水時間なのか、なにが影響するのかわからないが、うまくいくときと失敗するときの落差がおおきい。ちなみに、これは別途かくつもりなのだけれど、私は鍋で飯をたくひとだ。この時代にはそろそろ玄米がたける高機能型炊飯器も市場に登場していたとおもう。そういうのをつかえばまたべつの話になったのだろう。現代なら、もっと機能もあがっているから、気軽に玄米もたけるのかもしれない。
だから、この時期、あまりながくは玄米食をつづけなかった。2年ぐらいだったのではないだろうか。しかも、朝食や昼食はパンやホットケーキでやすくあげることもおおく、さらに外食や弁当屋を利用することもすくなくなかったから、けっして玄米を毎日たべていたわけではない。そのうちに興味が雑穀のほうにうつったこともあって、やがて玄米はたべなくなった。

そこからしばらくして生活スタイルがかわると、まず、米をかうことがほとんどなくなった。なにかともらう機会がふえたこともあるし、あちらこちらと所在がきまらないなかで、よその飯をくうことがおおかったからでもある。玄米をもらえば玄米をくうし、白米だったらこだわりなく白米をたく。居候の先でだされた飯が白米であっても玄米であっても、おいしくいただく。
京都にすんでいたときには三条あたりに玄米食のおいしい店があって、機会があればいくようにはしていた。年に2回、1ヶ月ぐらい連続のとまりこみでやっかいになった方の家では、玄米食ならぬ玄麦食を経験した。1年のうち100日をすごした農場は、基本が玄米食に卵かけだった。だから、玄米はよくくった。たきかたでずいぶんと印象がかわるのだというのが、さらによくわかった。なによりも、世の中、自分以外の人々がどういう感覚で玄米食をやっているのかが、よくわかった。
玄米食は、どちらかというと思想だ。とくに主流であるのは、「玄米食は健康にいい」という観念だ。その根拠はけっこうはばひろい。どまんなかにあるのはおそらく「玄米は精白米よりも自然にちかい。自然なものほど健康にいい」という神話だろう。そこから右によると「精米機は近代以降のものであり、伝統的日本人は白米をたべていない」という保守思想になり、左によると「玄米は第四の栄養素である繊維質の補給にベストだ」という科学主義になる。もちろんその周辺に無数の主張がある。そして、そういった思想のあとに、「玄米はおいしい」「玄米をたべたら健康になった」といった体験がつづく。けっして体験がさきにあっての思想ではない。
私は、そういった思想を否定も肯定もしなかった。いまだにそうだ。なぜなら、否定したり肯定するだけの論拠を自分自身もたないからだ。それ以上に、玄米思想に興味がないからだ。もちろん、江戸時代にはたしかに現代的な意味での白米をたべていたひとはおおくはないが、同時に現代的な意味での玄米をたべていたひともいなかった、とかいう事実は、おもしろいなとおもったりもする。これに関してはもう昭和初期のエッセイにもかかれているぐらいのことだから、保守思想的玄米主義者のあいだでも前提としてはきちんとおさえていたりもする。繊維質が健康に重要だというのは自分自身の体験としてもなるほどとおもったりもする。ただ、どっちにしても、「なるほどね、だからどうなの?」程度の感覚でしかない。

そんな時代をへて年齢を重ね、やがて私は半年ほどの期間、玄米食を信条とするひとを居候としてうけいれることになった。いままで自分がさんざんあちこちに世話になってきたのだから、当然のことだとおもった。そして、玄米食にこだわりのない私と、玄米食にこだわるそのひととがいるとき、炊飯を2とおりにする必要を私はかんじなかった。だから、その期間、私は玄米食をつづけることになった。もうちょっというなら、そのあとも、とくに生活を変化させる必要をかんじなかったから、玄米食をつづけた。こだわりがあったわけではない。なので、玄米食をやめたのも、なにか思想的な転向があったということはない。
結婚したとき、たまたま私が玄米をたべていたから、玄米生活をつづけた。けれど、妻は元来胃腸がじょうぶではなく、どうも玄米はこたえるようだった。なので、「じゃあ、白米にしようか」と、あっさりと玄米はやめた。あいかわらずお米はもらうことのほうがおおかったけれど、白米でもらったら白米でいただき、玄米でもらったら精米していただくようになった。コイン精米機はあちこちにあったから、それで不便することはなにもなかった。

その後、かなりながいこと玄米はたべなかったけれど、息子が小学校高学年のころから、1回の炊飯時、白米に一にぎりか二にぎりの玄米をまぜるようになった。というのも小学校低学年のころからだろうか、息子が便秘がちになり、なやむことがふえてきていたからだ。便秘にはいろいろな原因があるが、対策のひとつとして食事中の繊維質をふやすのは比較的効果がある。手っとりばやく繊維質をふやす方法として玄米をおもいだした。ちなみに、完全玄米食にするとたべにくくなる。食がほそい息子にはしっかりたべてもらいたい。また、非精白の穀物の繊維の量はけっこうおおいので、ごくわずかまぜるだけで効果がある。たとえば圧偏大麦をまぜた麦飯で、麦を1割もいれる必要はない。そういう知識もあったので、七分づきの米に玄米をすこしだけまぜるようにした。

そして、それはいまもつづいている。息子は、そのほうが「かおりがいい」とか「あじがいい」みたいなことをいう。たべなれたあじになってしまっている。結果的にうまくいったのだろう。
その後、息子が高校にすすみ、寮生活をするようになって、またも私が玄米をたくことがふえた。これは単純に、精米にいくのがめんどうだからにすぎない。お米はふるい友人から30kgの袋でわけてもらう。それを10kgずつコイン精米所にもっていくのだけれど、うっかりすると白米がへっているのに玄米がのこっているのに気がつくことになる。すぐに精米にいけないときなんかに玄米をたいて時間かせぎをする。自分ひとりなので、それはそれでべつにかまわない。
とはいえ、思想的な玄米主義者からみたら、たぶん私のたべかたは異端中の異端だ。というのは、たとえば3合の玄米に1合の白米をまぜてたく。白米と玄米を混合してたくひとは、すくなくとも私に玄米飯をくわせてくれたなかにはひとりもいなかった。邪道中の邪道なのだろう。けれど、私はこの方法を、東京で玄米をたいてた時代に習得していた。玄米だけをたくとけっこうな確率で失敗するのだけれど、白米を1〜2割まぜると、ほとんど失敗しない。それは鍋で炊飯する私の方法とも関係しているとおもうので一般化するつもりはない。それでも、うまくいく方法があるときにそれをとらないのもおかしい。思想的に「それは自然ではない」とか「日本人にあるまじき」とか「健康がまもれない」みたいにブレーキがかかることもない。もともと思想には無関心なのだ。だから、「今週は息子もかえってこないし、玄米たくさんあるし、玄米でもたくかなあ」とおもったときには、たいてい、白米をまぜて米をといでいる。

玄米、くうべきか、くわざるべきか、そんなことは結局のところ、私にはどうでもいいのだ。腹がへれば飯をくうし、そのときに、白米があれば白米、玄米があれば玄米をくう。両方あったら、在庫のつごうとかをかんがえて、ときによったら玄米をくう。そのときに、息子には、彼のすきな白米に玄米を一つかみだけまぜた飯をくわせてやりたいなとおもう。そのほかには、とくにこだわりはない。
あまりかんがえずに、なりゆきでやるから、自炊はつづく。最近、ようやくそういう境地にちかづいてきたのかなとおもう。呼吸をするのにかんがえるひとはあまりいない。あるくときに右足と左足、どっちをまえにだすかをかんがえることも、ふつうはない。自炊も、そこまでいって本物なのかもしれない。

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