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パンを焼く その2 - ふるいおもいで

わかいころの私がパンを焼きはじめるきっかけになったのは、友だちのさりげないひとことだ。「で、パンは焼くの?」もちろん、その言葉が出るまでには伏線がある。
その夏、私は会社をやめたばかりだった。なにをするともきめていなかったけれど、5年間、まじめにはたらいたつもりだったので、もっと自由なことをしてみたいとおもっていた。たとえば冒険家だ。ただ、その夢はあっさりと骨折というかたちでくだけちった。2週間ほどの入院で手術をし、いったん退院となったものの、ギプスでかためられた足では、買いものにも不自由する。買い出しを友だちにたのんで、アパートに籠城をきめこむことになった。
その怪我をする直前に小麦粉を買いこんでいたのは、会社をやめて経済的な不安がおおきかったからだ。小麦粉はやすい。それだけが理由だった。けれど、これが籠城に役立った。むしあつくなっていく時期、パンを買いおきしたらすぐにかびがくる。かびないように冷蔵庫にいれたらかたくなる。その点、小麦粉は保存性がよく、たべるぶんだけ焼けばいい。晩飯には米をたくけれど、朝と昼は小麦粉に依存する生活がはじまった。
ただし、この段階ではまだパンは焼いていない。小麦粉80グラムぐらいに卵1個をわりこんで水をくわえ、フライパンで焼いたホットケーキのようなものをつくることがおおかった。

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そういう話をサポートにきてくれた友だちにしたのだとおもう。そのなかで私は小麦粉がやくにたつことをおおげさにいったのだろう。ホットケーキみたいなものをやいているけど、もちろん小麦粉はパスタやうどんの原料だし、クッキーのようなお菓子もやける。インドではチャパティーやナンになるし、ヨーロッパ世界ではパンになる。最強じゃないか、みたいに展開したのだろう。
骨折による籠城はながくつづいた。運がよかったのは、ちょうどその数ヶ月まえから高校時代の同級生が徒歩だと「ちょうどスープがさめるぐらいの距離」にひっこしてきていたことだ。だから彼はちょくちょくと私のようすをのぞきにきてくれた。やがて再度の入院のあと、ギプスがとれ、あしをひきずりながら、私はリハビリ生活にうつった。そうなってみると、私はたんにぶらぶらしているだけの無職にすぎなくなっていた。それでも、そんな私のところに彼はよく顔をだしてくれた。仕事がえりにワインをかかえてくることもあった。
「で、パンは焼いてるの?」みたいなことを彼が口にしたのは、そんな折のことだ。もちろんこれは、私が小麦粉でなんでもできるみたいなことをいったのをおぼえていたからだ。時間はたっぷりあるのだし、そろそろパンでも焼いてるかなと、そうおもったのはふしぎでもなんでもない。

その時点で実際に私がどの程度、パンを焼こうとしていたのか、あまりに時間がたちすぎていて正確におもいだせない。それ以前になんらかの試行をしていたような気もする。天然酵母をとろうとして柿の実をつぶして実験したのをおぼえているから、それは秋のことだろう。としたら、やっぱり骨折のリハビリ中だ。友だちのひとことがあったからそういうこころみをはじめたのか、あるいはそういうこころみをやって挫折していたあとで、友だちのことばがせなかをおしたのか、どちらかわからない。いずれにせよ、彼のことばがあって、私は本格的にパンを焼きはじめた。
天然酵母は、果実の表面なんかにすんでいる野生の酵母だ。それをつかまえて培養するのは、むずかしいことではない。問題は、その過程で雑菌もいっしょに培養してしまうことだ。うまくいけばその雑菌は天然酵母ならではの風味をくわえてくれる。けれどたいていの場合は、そううまくはいかない。ひどい場合には、あきらかに酵母がまけてしまい、「くさってるわ」ということになる。
だから、本格的にパンを焼くようになったら、そこは安直にドライイーストをつかうようになった。ただ、ドライイーストはタダではない。やすいからと小麦粉を主食にするようになったことをおもえば、そこはどうにかしてやすくおさえたい。そこで、1回パンだねを発酵させたら、そこからすこしの生地をとりわけておいて、次回のたねにつかうという運用にした。こうすると、とちゅうでだんだんと雑菌がふえていくのだけれど、3回から4回ぐらいはつづけてつかえる。ヨーグルトの種菌も、市販のプレーンヨーグルトからとるとだいたいそんなかんじだから、キッチンの菌環境が一般にその程度なのかもしれない。
そして、生地ができたら、これをきっちりふたのできる厚手のなべにうすく油をぬっておいて、むし焼きにする。これが案外とうまくいった。こがさないように弱火で加熱するのだけれど、時間をかければしっかりと中まで火がとおる。ふくらみは、オーブンで焼くほどにふっくらといかない。どっしりしっかりしたパンになるが、それでも、パンではある。スライスして皿にならべてだしたら、だされたひとが無条件で「パンだ」とおもう程度にはパンになっている。
毎日焼くので、いろいろなバリエーションをつけてみた。干しぶどうをまぜこんだぶどうパンとか、ライ麦粉とかそば粉とか、いろいろな粉もまぜてみた。きな粉がふくらみがわるいというのは発見だった。グルテンのはたらきを阻害するのかもしれないとそのときは仮説をたてたが、検証まではできなかった。

そんなふうにパンを焼くようになって、3、4年ほどはけっこうまめに焼いていたのではないかとおもう。パン種が古いのですっぱくなることがおおかったけれど、それはそういう味わいだとおもってたのしんでいた。やがて当時すんでいた東京のアパートをひきはらうことになり、ひきこもりがち無職っぽい生活が、根無し草の放浪生活へとかわっていった。そうなって、パンはいったん焼かなくなった。もうずいぶんとむかしのことになってしまった。

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