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ふりかけをぶあつく
ふりかけ、近ごろはお弁当ぐらいでしかみかけないような気がする。あるいは外食をすると、紫蘇のゆかりが彩りにちらしてあったりする。いずれにせよ、それは主役ではない。ちょっと風景をひきたてるためのものであって、それでごはんをどんどんたべるためのものではないだろう。おかずはべつにある。ふりかけは、あくまでおあいそ。
子どものころには、ふりかけの地位はもうすこしたかかったような気がする。ちょうど「のりたま」がテレビコマーシャルをさかんにやっていた時期で、それをたっぷりかけてごはんをたべたらさぞおいしかろうとおもったものだ。ただ、たくさんかけようとすると、とめられた。ふりかけは、そんなにたくさんかけてはいけない。うっすらと、ぱらぱらと、ふりかけるから「ふりかけ」なのだ。ドサッとつみあげるものではない。たとえほかにおかずがなく、ふりかけごはんで腹をみたさねばならないようなときでも、そこは厳格にまもられていた。
長じて、自分自身がふりかけをかうことはたえてなかった。おかずがたりなければ味噌でもつけておけという乱暴な食生活で独身時代をすごしたからだ。ふりかけをかうようになったのは、息子がお弁当をもってでるようになった保育園のころからだろう。そして、自分自身がそれをたべるのは、半端にあまったものを処理するためにつかうときぐらいで、やっぱりそれは端役にすぎなかった。
母も、おそらくふりかけを必要としないひとだ。その母のパントリーに、なぜ、この10年近くまえに製造されたとおぼしきふりかけがつかいさしでのこっていたのか、よくわからない。
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ふるいのが気になるけれど、このふりかけ、なにか加熱する料理につかえそうなものでもない。ふるくなった乾物は、フライパンで乾炒りするとうまくいく場合がおおい。けれど、海苔や胡麻や、いろいろなものが混在しているこのふりかけ、こがさないように炒るのはむずかしそうだ。においをかいでも、それほどわるくなっているようすもないので、ふつうにふりかけとしてたべることにした。
今回は消費してしまうことが目的だから、ケチケチしない。ごはんにこんなにぶあつくつもらせたのはたぶんはじめてだ。それだけでなく、豆腐にもかけた。案外とおいしい。いい意味であてがはずれた。
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