見出し画像

トマトシチューは甘納豆ではできない

母のパントリーをかたづけていたら、「塩トマト甘納豆」なる謎の製品が出てきた。賞味期限は2016年に切れているから、製造から10年近くたっていると推定される。それよりなにより、なぜこの製品が母のパントリーにやってきたのか、謎だ。

というのは、母は信仰に近いほどの「減塩」主義者だからだ。これは高齢になって健康を気にするようになったから、というのではない。もっと若いころから、「塩は身体によくない」といいつづけてきた。おもしろいのは、それが必ずしも現実の行動とかみあっていないことだ。母の「塩分」は、おもに色で判断される。だから、色が濃い食べものは、おおむね「塩分がきつい」に分類される。これはべつに母にかぎったことでもなく、世のなかに薄口醤油のほうが濃口醤油より塩分が低いと誤解している人はけっこういたりする。食塩水は無色透明なのだけれど、そこが意識されることはあまりない。もうひとつの母の判断基準は、「塩」とパッケージにかいてあるかどうかだ。だから、「汗をかく季節に塩分補給を」みたいな、ある意味説得力のある表示は、おそろしいものでもみるような表情で避ける。「塩パン」は買わないし、「塩鮭」みたいなものも敬遠する。反対に「減塩」とか「無塩」とかいてあれば、無条件で「おいしい」と判断する。そういう母のもとに、「塩トマト」なる製品がやってくるのはどうかんがえても想像できない。だれかの土産物にでももらったのかもしれない。
そうであれば手つかずでのこっていそうなものだが、その一方で母は無類のトマト好きでもある。おそらく、トマトにつられて味見に開けてみたのだろう。そしてひとくち食べて、そのまま放置された。だから、せめて密封状態であればまだよかったのに、開封された状態で何年ものあいだ、パントリーにねむっていたらしい。

であれば、やはり加熱調理すべきだろう。甘納豆式に砂糖でかためてあるのなら、煮物にすればシチュー状になるのではないかとおもった。というのも、丹波の名物に黒豆の甘納豆というのがあるのだが、これは少量の水を加えてすこし加熱するだけで黒豆の煮物になる。そういうことを実体験として知っていたから、「じゃあ、塩トマトの甘納豆なら砂糖を加えたケチャップみたいになるんじゃなかろうか」とおもったわけだ。

そこで、玉ねぎや鶏肉、人参にキャベツを加えて、煮こんでみた。けれど、予想に反して、トマトは粒のままのこった。結局、シチューっぽくはない、なんだか煮ものと炒めものの中間みたいな料理ができあがった。いや、これはこれでわるくなかったのだけれど、ちょっとくやしい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?