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人参は、もっとつくりたいけれど

まだわかいころ、かりた畑で人参がよくできた。おもしろいようにあまい人参がふとった。大根かとおもうほどふといものまでできた。なにがよかったのだかわからない。あれ以来、あんないい人参ができたことはないから、私が豊作の原因でないことだけははっきりしている。
人参は、いろいろとつかいまわしのきく野菜だ。なにもなければバターソテーにすればそれなりの一品になる。和風洋風を問わず煮物にいれればいい彩りになる。うすくきって中華炒めにつかえるし、ほそくきってサラダや和えものにいれることもできる。だから年中ほしい。実際、スーパーにいけば一年中いつでも手にはいる。そして、家庭菜園でも比較的時期をとわずつくりやすい。
なので、人参はできればこまめにまきたいとおもっている。春先、あたたかくなってきたらすぐにまき、時期をずらしながらまいていって、秋、冬まできらさないようにしたい。けれど、そんなにうまくいったことがない。
今日収穫したのは、去年の秋にまいたものだ。ずいぶんとながいことかかって、ようやく指よりすこしふといくらいまでそだってきた。まいたのがおそすぎたのだけれど、ちいさな草姿のままで冬をこして、そだちはじめたのだ。そのつぎには、春にまいたのがおいかけてきている。まだ数センチだけれど、ここからのびていくだろう。ということで、いまのところは、比較的順調だといえなくはない。

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もっとも、この時期の人参、息子にいわせれば「いかにも草の根っこみたい」な味がする。みた目にも色はうすいし、あまみもない。おなじたねからそだてても、冬にはもっとあまくなるはずだ。芹科の野菜特有のくさみがある。
このくさみともいえる香りが、香草としての人参の身上でもある。そしてその香りは、葉っぱのほうにつよい。だから母はよく、肉料理の香りづけに人参の葉をつかっていた。まだ母がわかかったむかしのことだけれど。そして、炒めものにもよくつかった。
私も数日前には、玉ねぎとベーコンの炒めものに、葉っぱと根っこの両方をきざみこんだ。野菜がすくないときには、こんなものでもそれなりに食卓のにぎわいにはなる。舌ざわりはよくないが、こまかくきざめばなんとかなる。

Iにんじん

いまのところは順調な人参だけれど、いつまでもこの好調はつづかないだろう。この季節は、すこしぐらいほうっておいても草はそれほどのびない。けれど、ここからどんどん、雑草の成長がさかんになる。そして梅雨時になれば、雨がつづいて数日畑をみないだけで、風景が草だらけに一変してしまうはずだ。そうなったらもう、いまさら除草してあらたにたねをまく気にもなれない。そだっているはずの作物も、きっと草にうもれてしまう。
あきらめるのははやい。今年こそは、人参ぐらい、きらさないようにつくっていきたいものだとおもっている。

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