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卵料理はひかえめに

卵はひとり暮らしのつよい味方だ。ひとり暮らしにかぎらない。一品たりないときのサブメニューにもなれば、おもいきってメインディッシュにもなる。時間がなければたまごかけごはんや炒り卵のようにして一瞬でたべられるし、キッシュのように手間をかけてもおいしいものができる。なんならゆで卵にしてからおでんにいれるような、さらに時間のかかることまでできる。もっとも私はおでんの卵は好みではない。実家でおでんに卵がはいるのは、父が好きだったからだ。ずっといらないと私がいいつづけて、ようやく最近になって「そういえば私もあんまり好きじゃなかった」と、母がいった。それでもかわらずおでんに卵をいれつづけるのは、やはり亡き夫への追憶なのだろうか、それとも単純に習慣でやってしまうのだろうか。
便利だから、息子がいるときにはかなりの確率で朝飯に卵をだす。息子がちいさいころは炒り卵やチーズオムレツみたいにくずして加熱していたのだけれど、中学校にはいったあたりだったか、「目玉焼きのほうが好き」と、ぽつんといった。それからは、朝には目玉焼きが基本になった。そのほうがつくるのも楽だ。熱したフライパンに油をしいて卵をわりこみ、ふたをして30秒。あとは予熱でうまくいく。
そんなふうに朝飯に卵をつかうようになって、むしろ卵の使用量はへった。どうせ朝につかうから夜はべつのものにしようとおもうからだ。そして朝寝坊の息子はおそくまでねていて朝昼兼用の食事になることが多い。そうなると、昼飯対応でべつのものをつくり、卵は結局つかわない、ということもふえる。そして、息子がいない日には、「せっかくの卵はあいつがかえってきた日にとっておこう」と、温存することになる。なんだかんだいって、6個入りとか10個入りのパックを2週間とか3週間かけて消費するのがここ3年ばかりのことだった。
3年、というのは、息子が高校生だった時期だ。遠方の高校で寮生活をしていたので、かえってくるのは週末のみ。それも、学校行事なんかでいそがしくなると週末も寮にとまる。とくにさいごの1年は、コロナに用心して移動をひかえたせいで、週末も寮にとまることがふえた。夏休みもみじかく、だから去年あたりから急に、私はひとり暮らしにちかい生活をおくるようになったわけだ。
その息子、この春から大学生になり、すこしは大学にちかい私の母、つまり彼の祖母の家で生活するようになった。とはいいながら、実際に生活したのはまだ1週間にすぎない。1週間で学校が登校禁止になり、オンライン授業に変更になったので家にかえってきた。コロナの拡大状況によってどうなるか予断ができないのだけれど、登校できるようになったらまたむこうにすむことになる。しばらくは二重生活になる。

私の母は高齢になってしまったので、とくにコロナ以降、買い物は私がすることになっていた。この春から息子が同居するようになって買い物は彼の担当となったのだけれど、「おばあちゃん、卵、好きやなあ」というのが彼の最初の感想だった。ひとり暮らしだけれど、母は毎週10個入りの卵を買い物にたのむ。それだけ消費するのだ。ときには6個入りのパックを2つとか、たのまれる。10個ではたりないときもあるようだ。息子は週に2回、10個入りのをたのまれたそうだ。2人前だから倍、という勘定だろう。
世間でどれくらいが標準なのかしらない。卵は便利だからどんどんつかえばいいというのが、母のかんがえだろう。便利だから、必要なときのためにセーブしておこうというのが、私の頭のどこかにある。だから、冷蔵庫にはたいていいくつかの卵がある。卵は産卵日から常温でも2週間ぐらい、冷蔵庫なら3週間ぐらいはもつのだ。そうはいっても、あまりながくおくべきでもない。ということで、結局は「あ、こりゃそろそろ消費しないとまずいな」と思って卵料理をつくることになる。写真は、そんなおりにつくった納豆オムレツだ。いろんな方法があるが、これは納豆をすこしいためておいてから卵でとじたのだったとおもう。納豆オムレツは、息子がちいさいころにはよくつくったものだ。妻の得意料理でもある。そのあたりの話は、またべつの機会にでもしよう。

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