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醤油麹はふるくてもOK?

実家からもちかえった賞味期限切れの食品シリーズ、今日は醤油麹に挑戦した。賞味期限は8年前の2015年。ちょっとしたチャレンジだ。

もっとも、発酵食品の賞味期限はあてにならない。たとえば納豆なんかは賞味期限が切れてからのほうがうまいようにおもう。味噌なんかは三年ものが薬とかいうぐらいらしく、ふるさに一定の価値があるぐらいだ。古酒についてはいうまい。ふるけりゃいいってもんでもないだろうから。
この醤油麹、まだ父親が生きていたころ、最初に肺癌がみつかるまえ、現在の菜園よりもひろい畑をつくっていたさいごのころにかったもののようだ。ということは、おそらく大量にとれる胡瓜を「もろきゅう」にしてたべていたときのものだろう。父親がわかいころは実家のあたりは純農村で、ほとんどの日常食は自給するものだった。すこしいけば市場ぐらいはあったが、時代はスーパーマーケットが登場するはるか以前で、味噌なんかは各戸で手前味噌をつけるのがふつうだった。醤油を自給していたかどうかはわからないが、醤油のもとであるもろみは、味噌とはべつに夏前に仕込んでいたようだ。そのもろみを、胡瓜につけてくう。父はそれがすきだった。
この醤油麹、おそらく「もろみ」としてつかわれたのだろう。ちなみに、スーパーで「もろみ」としてうってるもののおおくは嘗め味噌であって、もろきゅうにしてもうまくない。もろみは醤油をしぼるまえの麦麹と豆の発酵物であって、かなり塩からい。水っぽい胡瓜とよくあうわけだ。父はスーパーの「もろみ」には不満だったので、この醤油麹はきっと気にいっていたのではないだろうか。
これが中途半端につかわれたまま死蔵された正確な理由はわからないが、推測はできる。母はむかしから「薄味」にこだわるひとだった。カギカッコつきにしたのは、実際のところ、彼女の「薄味」はうすあじでもなんでもないからだ。味ではなく、目で判断してる。色が濃いと「うわ、からそう」と声をあげる。食塩には色がついていないのに、色が濃いと「塩分がたかい」と判断する。だから、この醤油麹も、ひと目みて「こんな塩分のつよいもの、健康によくない」とおもって、手を出さなかったのではないか。とくに父の体調がおちこんでからは、いくらもろきゅうの季節になってもありえない選択になってしまっていたのだろう。
さて、この醤油麹をどうくうか。本来、そのまま胡瓜にでもつければいいのだが、さすがに8年ものにもなるといきなり生はこわい。炒めものの味つけにでもするかなあとおもいながら庭の草ひきをしていたら、まちがって馬鈴薯をぬいてしまった。ちいさないもが土のなかからころがりでる。これだなと、あと何株か、ほりだした。

ビー玉ぐらいのおおきさの新じゃがは、かわをむかずにそのまま油炒めにするとおいしい。ふつうは味噌味にするのだけれど、きっと醤油麹でもだいじょうぶだ。ついでなので、鶏肉もおなじくらいのおおきさにぶつ切りにして、いっしょに炒める。仕上げに醤油麹をいれて、さっと加熱したらできあがりだ。

この濃い色、母は絶対にたべないだろうな。ま、これにかんしてはたしかにすこし塩からかった。塩分がきついからふるくてもだいじょうぶだったのだろう。味はしっかりしていた。なお、うしろにうつっている豆腐は、やっぱり賞味期限の過ぎたからしをつけたもの。こっちもどうにかなっている。

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