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パンを焼く その1 - 食費に注目したらこうなった

パンはちょっと贅沢だという感覚が、昭和の日本人である私にはある。実際、1食あたりの価格でいったら、パンのほうが米よりも割高だろう。だが、原料の価格までおとしこんだら、米と小麦粉では小麦粉のほうがやすい。昭和30年代、ある大臣が「貧乏人は麦をくえ」といって炎上したのはふるいはなしだが、実際、米と麦の政府売渡価格は、6倍以上のひらきがある。ちなみに政府買入価格のひらきは2倍程度だから、この逆ざやは輸入小麦が圧倒的にやすいことをしめしている。このあたりは余談だが。
とにもかくにも、麦はやすい。もしも食べものを栄養価ではかるなら、そしてその栄養価の基準として熱量をもちいるのであれば、米と麦はほとんどかわらない。小売価格までいったら6倍ということはないのだけれど、それでもやすい。
パンが割高にかんじるのは、それが加工食品だからだ。だから、小麦粉から自分でつくるなら、米よりもやすくなる。実際のところ、米だって生ではくえず、炊飯という加工をじぶんでしなければならない。だったらパンを焼くのもおなじではないか。いや、なかなかそうもいかない。

20年ほどまえまでは、自分でパンを焼くといったら、かんたんなことではなかった。基本的にはオーブンが必要だ。オーブンのあるキッチンといったら、それはやっぱりかなりの料理ずきのものだろう。たとえば私の母は料理がすきだから、まだわかかった1970年代にガスオーブンをかった。当時のキッチン器具には、かならずといっていいほどレシピ集がついていた。まだまだ「これをつくりたいから」とかうのではなく、手にいれてから「で、これでなにができるの?」という順番の時代だったわけだ。めあたらしい器具には、めあたらしいレシピが用意される。オーブンのレシピ集にはローストビーフや焼豚、グラタンやパイなど、当時あじわったこともないような御馳走がならんでいたが、印象にのこっているのはクッキーとパンだ。どちらもいろいろな種類のものがうつくしい写真とともに掲載されていた。
パン屋でうっているようなパンは、オーブンがなければ焼けない。そんな常識をくつがえしたのがホームベーカリーだ。初期の製品は1980年代後半からあったそうだが、安価な家電製品として一気に普及をはじめたのは20年ぐらいまえからではなかろうか。粉と水と、あとはごく少量のドライイーストと塩があれば、手軽にパンを焼くことができる。

けれど、私はまだホームベーカリーがなかったころから、パンを自作しようとしてきた。単純に食費をしぼりたかったからだ。食費をさげるためだけなら、米を小麦粉に変えればいいことは、すでにしっていた。ほんとうに金銭的な余裕がなかったわかいころには、小麦粉と水でホットケーキのようなものをつくってたべていた。インド風にチャパティーといったら、すこしはかっこうがつくかもしれない。けれど、そういう耐乏生活はながくつづけられるものではない。
パンは基本的には小麦粉と水とごくわずかの塩からできているから、チャパティーと栄養的にはほとんどかわらないはずだ。けれど、発酵という過程で、なにかがかわる。だからこそ、手間をかけてでもつくるのだろうし、長い歴史を生きのびてきたのだろう。パンだったら、毎日のようにたべてもあきない。米飯を毎日たべてもいやにならないのとおなじだ。
パンづくりは、おおきくわけて2つの工程からできている。発酵させることと、焼くことだ。わかかった私は、オーブンがなければ焼けないとおもっていたが、雑誌の記事かなにかで鍋焼きパンなるものの存在をしった。肉厚でふたがきっちりできる鍋をつかえば、むし焼きのようにしてパンが焼けるという。たまたまそれにぴったりの鍋があったので、ためしてみようとおもった。発酵そのものは、ドライイーストをつかえばそれほどむずかしいことでもないということもわかった。

そんなふうにしてパンをつくりはじめたのがもう30年以上もまえになる。この時代のことはそれは長い話にもなるので、べつでかこうとおもう。その後、ひっこしで環境がかわったり生活スタイルの関係でながい中断があったが、十数年まえからまたパンを焼くようになった。理由はいくつかあるのだけれど、最大のものはやっぱり「そのほうがやすい」ということだった。やすさの理由は、もちろん、小麦粉がやすいということだ。
このころにはもうホームベーカリーは安価になりひろく普及していたのだけれど、私はむかしながらの鍋焼きパンからはじめた。キッチンにガジェットをふやしたくなかったというのがおおきい。つづけられるかどうかわからないものに投資するのもはばかられた。なにしろ、そのころは数百円の食費をケチらなければいけないような経済状態だったのだ。一戸建てにくらして家族もいるようなりっぱなおとなが金にこまるというのも奇妙なことではあるのだけれど、どうも私たちはそういう時代にいきているらしい。
紆余曲折をへて、最近はすっかり方法がおちついた。まず、生地を冷蔵庫から出して、ひらたくのばす。できるだけうすくのばす。そして、オーブントースターにいれる。

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オーブンではなく、トースターだ。それは単純に、トースターならむかしからキッチンにある、という理由でしかない。オーブンはない。うすくのばすのは、トースターの場合火がとおらないからだ。そのかわり、7〜8分も加熱すれば、ふっくらとしたパンが焼ける。

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いや、「ふっくら」というのはウソだ。ゴツゴツと、あらっぽい表面は、たとえばロールパンのような柔らかさでもクロワッサンのようなサクサクでもない。しいていうなら、フランスパンの表面のようにかたい。ただ、そこまでパリッともしていない。それでも、あついうちにわってみれば、それなりにふくらんでいることがわかる。

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こんなパンを、とくに3年ぐらい前からは継続的に焼くようになっている。こまかなつくりかたとか、ここにいたるまでの曲折だとか、もうすこし、日をあらためてかいてみたい。

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