脚本:魔王

登場人物:
花田……30歳女性、真っ黒の髪を一つに束ねてかっちりしたスーツ姿。仕事の出来るOL。

山口……32歳女性、少し茶色がかった髪にパーマをかけている。ガーリーな服を好む。

東………35歳男性、花田・山口の上司。爽やかで一見イケメンに見えるが、女好きの既婚者。

部長……57歳男性、花田・山口・東の部署の部長。あまりやる気はない。

ゆみ(幼)……4歳くらいの女の子。

ゆみ……高校二年生女子。髪は短く、明るそうに見えるが、リストカットを繰り返している。


〇夏、横断歩道、夜、仕事帰り。
   信号待ちの人たちはみんな汗を拭いつつスマホを眺めている。
   花田、疲れた様子で正面を見ている。ふと目を下に落とすと、カッターが落ちている。何の気なしに手を伸ばして拾う。カッターを手に取り、まじまじと見つめる。
花田N「午後九時の交差点で、カッターを拾った」
   信号が青になり、スマホを眺める人たちが一斉に動き始める。
   花田、しばらく動かずにカッターを見つめている。
花田N「これは、『そういうこと』なんだろうかと、ふと考えた」

〇職場、昼、デスク。
   花田、寝不足の顔で部長のデスク前に立っている。
   部長、椅子にだらしなく腰掛け、書類を眺めている。
部長 「……ふうん。なるほどね」
花田 「……いかがでしょう」
部長 「うん、まあいいんじゃない」
花田 「ありがとうございます」
部長 「けどねぇ」
花田 「はい」
部長 「うーん、まあ、もうちょっと考えてくれたらもっと良いのが出そうではあるよね」
花田 「……はあ」
部長 「花田さんには期待してるからさあ。こんなもんじゃないでしょ? 今回、山口さんも企画書出してるから、そっち採用かな」
花田 「……はあ」
   部長、書類をデスクに置いて席を外す。
   花田、寝不足の目を擦り、デスクに戻る。すかさず東が背後に現れる。
東  「部長ヤバいね。あんなふわっとした理由で却下なんてさ」
花田 「……そうですね。でも私にも落ち度はありますから。もっと本気ですればよかったですね」
東  「いや、俺は花田ちゃんの案でよかったと思うよ? 見てたしね、花田ちゃんが頑張ってるの」
花田 「……ありがとうございます」
東  「ねえ、今夜空いてない?」
花田 「(即答で)空いてません」
東  「ずっと『空いてない』ばっかだね。いつだったら空いてる? 今夜お疲れ様会も兼ねてさ、飯行かない? もちろん全額俺の奢りで」
花田 「すみません、忙しいので」
東  「じゃあいつ空いてる?」
花田、東がなれなれしくデスクに置いている左手を見る。薬指の指輪が光る。
花田 「しばらく空いていません。……じゃ、お昼行ってきます」
東  「あ、俺も行こうかな」
花田 「今日私約束あるので」
東  「じゃあ明日はどう?」
   花田、東を軽くあしらいながらオフィスを出ようとする。
   山口の机の横を横切る。山口、花田を睨みつけながら目で追っている。
   花田、それに気付いて通り過ぎた後ちらりと山口の方に目をやる。

〇職場、夕方、デスク
   花田、パソコンに向かって作業をしている。
   山口、後ろから近づく。
山口 「ねえ、花田さん。進捗状況はどう?」
花田 「ああ、はい。こんな感じで……(と体を動かしパソコンの前を開けようとする)」
山口 「ちょっと見せて(と体を無理に捻じ込む。持っていたコーヒーの入れ物が傾き、花田のデスクとスカートにかかる)あっ!」
花田 「あっ……つい!」
山口 「やだ、どうしよう、ごめんね。こんなつもりじゃなかったの、パソコンデータ平気?」
   花田、パソコンをチェックする。特に何も変化はない。
花田 「……ああ、よかった。なんともないです」
   山口、あからさまにイラついた顔を一瞬見せる。が、すぐ申し訳なさそうな顔に戻る。
山口 「どうしよう、ごめんね、花田さん。スカートが」
花田、自分のスカートに目を落とす。シミになっている。
花田 「あー……」
山口 「ごめん、花田さん。クリーニング代出そうか?」
花田 「……いえ、結構です」
山口 「(食い気味で)そう? 本当にごめんね、ちょっと私も手洗ってくる」
   山口、濡れたデスクをそのままにオフィスから出て行く。
   花田、少し迷った後、自分の鞄を漁り始める。
東  「花田ちゃん」
   花田、頭上に目を向ける。爽やかな笑顔をした東が、男性物のハンカチを差し出して立っている。
花田 「あ、いや、大丈夫です」
東  「全然大丈夫じゃないでしょ」
   東、わざわざしゃがんでデスクを拭き始める。
   花田、面倒なことになったなあと思いながら自分のハンカチも探す。
東  「今日災難だね、マジで」
花田 「……そうですね。もういいですよ、ハンカチ汚れますし。洗濯してきます」
東  「いいって。部下が大変なときは助けるのが上司の仕事だからね」
花田 「(呆れた顔で)……ありがとうございます」
   花田、ふと入り口に目をやる。
   手を拭きながら帰ってきた山口が、東を見ながら鬼の形相で立ち尽くしている。

〇横断歩道、夜、冒頭に戻る。
   冒頭のカッターを拾う映像が流れる間、次のナレーションが流れる。
花田N「『女の仲はドロドロしている』。そんな言葉が今や古臭いものになって、風化しつつあるこの時代」
   花田、カッターを咄嗟に鞄にしまい、人ごみより少し遅れて横断歩道を渡り始める。
花田N「正直、女の仲はドロドロしていると思う。男もドロドロしている。結局、誰でもそうだ。気に食わないことがあれば潰しにかかる。自分を中心に、世界を回したくなる。自分のために回転する世界を、求めている」
   花田、横断歩道を渡り切ったところで立ち止まる。道路わきに、いくつもの花束。
花田N「……痛ましい事件だった。平和な街で突如起きた通り魔事件。あれから時間は経って、この花束はここを通る人たちの背景になってしまった」
   花田、ふと鞄に目をやる。
花田N「……もしこの場所で、さっきのカッターを出せば、どうなるだろう」
花田の視線が、鞄に吸い込まれるような映像。
×××
   (イメージ)
   花田がカッターを取り出し、かちかちと音を立てて刃を繰り出す。夜なので刃が多少光る程度しか見えない。
   正面から来た人が花田の肩にぶつかり、文句を言いたげな顔で花田を見、その後刃の出たカッターを見る。顔に恐怖が走り、叫び声を上げる。
   スマホを見ながら歩いていた人たちが何事かと顔を上げ、長く刃の出たカッターを認識し、パニックに陥る。
   花田の、無表情ながら目に光をたたえた顔がアップになる。
×××
花田N「世界は、私を中心に回り始めるだろうか」
   花田、呆れたように首を振る。
花田 「(小声で)……馬鹿みたい」
   花田、肩にかけた鞄を握り直し、帰路に着く。

〇職場、昼、山口のデスク周り。
   山口が甘い声で泣いている。
   部長や東も、山口のデスク周りに集合している。
山口 「あの子がっ……! あの子が悪いんです! 私のこと嫌いだから……だから手柄を横取りなんかしようとしたんでしょ!」
   花田、自分のデスクの椅子に半端に座ったまま、口をぱくぱくさせている。
部長 「ちょっと失礼……(と、花田のパソコンをいじる)確かに、山口さんのデータが花田さんのパソコンに移された履歴があるねえ。どういうことかな、花田さん」
花田 「違……それは一昨日山口さんに頼まれて……」
山口「(食い気味に)ほら! いつもそうやって嘘をつく! 私が教育係してた頃だって、しょっちゅう嘘ばっかりついて私のこと騙して……」
   山口、大袈裟に大声を出し、東になだめられている。山口はどこか満足げでもある。
部長 「うーん、困るなあ花田さん。言ったでしょ? 期待してるって」
山口 「都合が悪くなったらだんまりなんてひどい。そんな人だなんて思わなかった」
   花田、何を言おうとしても山口に遮られる。
花田N「人間は、理不尽だ」
   花田、悔しいのを飲み込んで鞄を掴み、トイレに逃げ込む。
花田N「誰だってそうだ。誰もかれも、世界の中心になりたがる。そのためなら、どんな手段だっていとわない」
   花田、ハンカチを探そうと鞄に手を突っ込む。何か硬い物に触れ、驚く。ゆっくりとその硬い物を取り出す。拾ったカッターが出てくる。
花田N「もしかして、昨日拾ったこのカッターは、私が世界の中心になるためのものなんだろうか」
   かちかちと刃を繰り出す。刃先が少しサビている。
花田N「簡単だ、簡単なことだ。いつも夜鶏肉を切る時みたいに」
×××
   (イメージ)
   花田の一人称視点。足音と呼吸音。がちゃりとドアを開けると、泣き真似をしている山口と、それを慰めている人たちの集まりが見える。驚いたようにこちらを見る山口に近付き、カッターを振り上げる。悲鳴が聞こえる。
×××
   元の場面に戻る。
   花田、カッターをひっくり返す。取っ手の部分に、サインペンの消えた後がある。それをなぞり、名前であることを確認する。
花田 「……たなか、ゆみ……?」
×××
   (イメージ)
   お姉ちゃん、と呼ぶ声がする。ハッと顔を上げると、そこにトイレのドアは無く、代わりに段ボールを持った小さい女の子がいる。段ボールの中には、おりがみが入っている。
女の子「カッター、何に使うの……?」
×××
   ハッとした顔で顔を上げる花田。視線の先にはトイレのドアしかない。一筋だけ、涙が伝っている。もう一度サインペンの痕を指でなぞる。
花田 「(絞り出すような声で)……何でもない、大丈夫」

〇横断歩道、夕方、まだ明るい時間帯、仕事終わり。
   花田、冒頭と同じように疲れ切った顔で真っ直ぐ前を見、横断歩道に立っている。誰かが花田にぶつかる。
ゆみ 「あっ……すみません」
花田 「いえ、大丈夫です」
   花田、ゆみの長袖のセーラー服を見る。ゆみは地面に目をやり、何かを探しているので色んな人にぶつかっている。
花田 「……あの」
   ゆみ、顔を上げる。
花田 「もしかしてだけど……カッター探してたりする?」
   ゆみ、驚いたように目を大きくする。
ゆみ 「なんで分かったんですか」
花田 「ああ、じゃあ君がゆみちゃんだ」
   ゆみ、うなずいて俯く。周囲の人はスマホを触っている中、二人だけは顔が見える程度の斜め下を向いている。
花田 「……あのカッター、私が拾ったよ」
   大型トラックが横切る。二人の前髪が風に揺れる。
花田 「……あのカッター、長いこと大事にしてるんだね」
ゆみ 「……はい」
花田 「幼稚園くらいからずっと?」
   ゆみ、無言。
   信号が青に変わる。二人とも並んだまま、無言で横断歩道を渡り終える。
花田 「あのさ、ゆみちゃん。あのカッター、私にくれない?」
ゆみ 「え?」
   花田、道に置いてある花束に目をやる。
ゆみ 「……どうしてですか」
花田 「なんで、って言われると難しいんだけどさ。なんていうか、その……このカッター持ってるだけで、世界の中心になれる気がするの」
ゆみ 「(少し笑いながら)え?」
   花田、頭を掻く。
花田 「なんていうんだろ、その……この先何もかもうまくいく、お守りみたいな気がして」
ゆみ 「お守り?」
花田 「そう、お守り」
   しばらくの沈黙の後、ゆみ、噴き出す。
ゆみ 「なんですか、それ」
   花田、噴き出す。
花田 「分かんないね」
   ゆみ、少し目を逸らして花束に目をやる。
ゆみ 「……いいですよ」
花田 「え?」
ゆみ 「いいですよ。私のカッター、お守りにしてください」
花田 「ほんとに?」
ゆみ 「はい。多分その方が、幸せだと思います。私も、カッターも、えっと、あなたも」
   ゆみ、ぺこりと頭を下げて走り去っていく。
   花田、鞄の中に手をやってカッターがあることを確認し、深呼吸してゆみと逆方向に歩き始める。
花田N「きっと私たちは、いつでも世界の中心になれるのだ」

   終

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