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愛情

俺は小学校生活の6年間ずっといじめられていたから人との思い出なんてものはひとつも無いが、1年生の時に育てたアサガオは今も鮮明におぼえている。思えばその頃のことがきっかけで農学部のある大学に入学したのかもしれない。

小学1年生の春からずっといじめられていて友と呼べる者もなく、教師にもいじめを黙認されていたのでいつも休み時間は図書室にこもり大好きな昆虫図鑑を読み漁っていた。

初夏、生活の授業でアサガオを育てることになった。俺は花に興味はなかった。花が好きになるなんて女みたいだったから。俺はアサガオに群がる虫を見ることが楽しかった。アリでもアブラムシでもテントウムシでも俺の観察対象だった。

誰かと遊ぶことが無かったからアサガオをずっと世話していた。世話をしてもらえなかった誰かのアサガオにも可哀想だったから水をあげていた。俺の事をいじめていた奴のアサガオにも水をあげていた。おかげさまで俺のクラスのアサガオはみんな可憐な花を咲かせた。その反動で花が好きなキモイ男として見られ、いじめはより過激になった。

花びらに筋が入った模様や縁が白くなった模様、斑(ふ)が入った葉が昔の人たちの頑張った成果だとも知らずに俺は夏休みの宿題であったアサガオの観察日記にその様子を書き連ねていた。

理科の授業でアサガオの斑入りの葉を使ってヨウ素デンプン反応を見る実験をしても当時の俺はよく分かっていなかった。

その10数年後に大学でヨウ素デンプン反応を細胞レベルで化学反応を見る実験をした。小学校でした勉強が大学の勉強に繋がっていた。俺は少し感動した。

そして俺は大学4年生の卒業研究で花弁に白い筋が入った絞り模様の個体や縁が白くなった覆輪の個体はメンデルの法則が関係していると専門的に学んだ。小学校でした勉強が大学の勉強に繋がっていた。俺は少し感動した。

大学で研究していたハナショウブの中の肥後花菖蒲と肥後朝顔が肥後六花に代表される仲間だったので趣味で肥後朝顔について勉強していたが、遣唐使とともに日本にやってきて江戸時代に品種改良が盛んに行われていたらしい。花菖蒲と同じように品種改良されていたのならば、絞り模様や覆輪模様、斑入りの葉は日本の元号が天保あたりの人たちの努力の賜物だと考えられる。1865年にグレゴール・ヨハン・メンデルがメンデルの法則を発表するより前に日本では、それらしきモノが確立されていたのだろう。

アサガオは数百年の時を超えて俺に一生好きになれるものを教えてくれた。そして小学校で学んだことが繋がりに繋がって大学でも学ぶことが出来た。小学校6年間ずっといじめられていい思い出なんて無に等しいが、小学1年生の頃に育てたアサガオは俺が大学生になっても俺のことをずっと見守ってくれていた。

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