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モスクワ大返し。


10:30


20回は歩いたであろうこの駅へ続く道も、今日で最後だと思うと流石にセンチメンタルな気持ちになる。駅に着くまでを目一杯楽しんで歩いた。駅に着くと、係りのおじさんに言われる前に荷物検査の機械へ向かった。素通りするには、さすがに荷物がデカすぎる。

W杯が終わり、警備体制は明らかに緩くなった。

改札前におじさんたちが立っていることが無いときもある。
この駅ナゴルナヤも例外ではなかった。
おじさんは、検査機械のそばに置かれたパイプ椅子にどっかりと腰掛けていた。だが、僕を見て面倒くさそうに立ち上がろうとしたので、「僕が行くから」というジェスチャーをして座ったままでいるよう促した。

荷物を改めて受け取り、改札へ。
TROICAを改札の検知器へかざす。
こちらのSUICAも1ヶ月フルに利用したので、
元は取れたように思う。
すると灯る赤ランプと鳴り響くビープ音。
明らかに不具合が起こっている。
以前、何故か7分待たないと使えない、という
シチュエーションはあったが、今日はそういう訳ではなさそうだ。

チケット販売窓口へ行き、訳を聞くと、ロシアンビッグマムが
「あなたのチケットは昨日で期限切れ」とあっさり。
1ヶ月分のチケットを6月17日の到着日に買った。
その有効期限は7月16日だった。

盲点。

3回分のチケットを購入する。
「本当に3回!? 1回余らせるの!?」
としつこくジェスチャーで聞いてくるロシアンビッグマム。
僕みたいな人間には、買い物や観光のスケジュールなんて
絶対にないだろう!と言われているような気になる。

「トゥリー」

そのビッグマムの親切心からくる質問を、
右手の指三本ではねのける。

見慣れたナゴルナヤ駅で、最後の地下鉄9番線を待つ。
携帯で時間を見たら、もう11時手前くらいだった。
4駅揺られ、5番線のメトロに乗り換える。
そこから3駅乗り、コムソモリスカヤ駅に着いた。


11:00


モスクワより東側にある都市へのFIFA無料列車の発着駅であるカザンスキー駅と、サンクトペテルブルクなど南に向かう超特急サプサン号が発着するレニングラツキー駅が主要道路を挟んで向かい合う、例えるなら池袋のような駅である。
池袋に例える理由としてはもう一つある。浮浪者の数が他の駅周辺とは比べ物にならないほど多い。

モスクワは特に、浮浪者が目立つ。
そして、警察がそれを特に厳しく取り締まる。
警棒でボコボコに殴り、寝ている者は無理やり抱き起こされ、退散を余儀なくされる。けれど、夜の警備が薄くなる頃を見計らって、また浮浪者はこのモスクワの池袋に戻ってくる。そして、少し雨が避けれそうな場所や、道の端で死んだように眠る。

この光景は、W杯が終わった後より顕著になった。
そして、物乞いも増えた。

とても不思議なのは、ビールかタバコをねだる男ばかりということだ。女性は座り込んで、投げ銭を求める一般的なスタイルだが、このエリアの浮浪者らしき男たちは、ガンガンくる。
そして、酒だけを要求する。
生活に困っている割に、求めるのが酒だというのが解せず、僕は彼らを極力無視して歩いてしまう。カズさんの住むマンションは、駅から歩いて徒歩5分。今日もその間に出会った3人の「Mr.ピーヴァ(ビール男)」たちをガン無視で突っ切った。

カズさんの住むマンションは、Expediaで見つけたレンタル物件。平たく言えば民泊だ。駅から徒歩5分という好立地に、門番が24時間付いていて、安全性もかなり高い。故に、お高い。3日泊まれば、僕がディヤールの家にいた1ヶ月分の料金になる。プロカメラマンとして生計を立てているカズさんは、ちゃんとしたところに寝泊まりしている。3歳上の先輩だが、人生経験や社会人としての豊かさでは、それ以上の差を感じる。

もう顔なじみになった門番のおっちゃんに挨拶する。
「今日もきたのかヤポーニ(日本人)」
おじちゃんも、いつもの挨拶を返してくれる。

扉の下まで行き、メッセージを送ると、カズさんがいつものようにキッチンの窓に現れ、鍵を投げてくれた。1Fの入口がオートロックのため、それを解除する磁石のような鍵が必要で、それを僕はいつも3Fにある部屋から投げられ、キャッチする。部屋に入っていつものように他愛もない話をし、今日の予定を話したりしていたけれど、結局時間だけが過ぎた。


11:30


カズさんは、間も無くして病院に行った。
僕の咳喘息が感染してしまったらしかった。
症状としては、咳が止まらず、しかも咳をすると肺が痛む。
なかなか重症だった。
ロシアの乾燥した空気に、喉が全くついていかなかった。
お腹もある程度大丈夫だったし、熱も出したが1日で引いた。
けれど、喉が最後まで治らなかった。
そして今、それを人に感染(うつ)してしまった。
カズさんには申し訳ないことをした。

マンションに一人になった僕は、正直やることもなかった。
土産もある程度買ったし、そもそも予算が完全に底をついていた。
PCの前に座り、何気なく自分で作った動画を見返していた。

沢山の笑顔が映っているこの動画は、単純に自分の旅記録。
本当にいろんな人に出会えたし、いろんなところへ行けた。

サンクトで仲良くなったイリヤには、「ロシア人よりロシアを旅してるじゃないか!」と驚かれた。冗談で言われた一言だったが、確かに移動している時間の方が長かった。サッカーを見ている時間より、電車に乗っている時間の方が濃かった。日本人、ポーランド人、セネガル人、ベルギー人、フランス人、キルギスタン人、ボリビア人、コロンビア人、ブラジル人、イングランド人にスコットランド人、トルコ人、ベトナム人、メキシコ人とアルゼンチン人も忘れていた。

まだまだいる。

アルバニアにウズベキスタン、あとアルジェリアとモロッコ。
そしてもちろんロシア人。
挙げればきりがないくらい様々な国の人たちと交流し、意見を交換し、そしてみんなで盛り上がった。夢の大会はもう終わってしまったけれど、僕たちはきっとまた4年後に会える。そのとき、僕はさらに大きくなっていたい。
今回も多くの人に迷惑をかけた。
なるべくそれは避けたいと思っているが、やはりまだまだ至らない部分は多い。カズさん筆頭に、日本から来たサポーターの方々にも本当に世話になった。

何かで返せるようになればいいな。
必ずできるようにしよう。

PCをそんな思いで閉じた。


13:30


カズさんが帰っていた。
間も無くして、ホストが帰ってきた。
アルスールというロシアの若者は、彼女を引き連れていた。
「これから部屋を大掃除するので、ちょっと出て行って欲しい」
もともと17日までの滞在という話だったらしいので、
荷物を置かせてもらえるだけでもありがたい話だ。

カズさんと二人、PCを持って部屋を出る。
マンション下の公園で二人、PCをいじりながら時間を過ごした。
僕は飛行機で帰るが、カズさんは列車で日本を目指す。旅程を聞いて唖然としたが、モスクワからウラジオストクまで、7日間ほどかけて寝台列車でロシアを横断し、そこからフェリーで韓国を経由し、日本の港にたどり着くという計10日間の長旅を彼は予定していた。自分でその旅を計画していたくせに、カズさんは何度も後悔の念を口にした。マリッジブルーのようなものなのだろう。僕もブラジルW杯のとき、72時間のバスを自分で予約しておきながら、多少後悔した部分はあるので、気持ちはわかる。

ただ、この人に関しては、旅が始まってしまったら、なんだかんだ楽しんで、10日間を過ごすのだろう。
卓球で一躍脚光をあびる水谷隼の専属カメラマンをはじめ、数々の大きな大会で撮影を行っているプロスポーツカメラマンのカズさんは、とにかくメンタルが強い。簡単なことで折れたり、投げ出したりすることはない。1週間ほど一緒にいたが、とても多くのことを彼から学んだ。ロシア人にしつこく日本語で話しかける関西人は、芯のある男だった。

Wi-Fiを使おうということで、マンション近くのカフェに移動した。このカフェは、ホストであるアルスールが「モスクワで一番美味しいコーヒー店」と太鼓判を押すお店だった。「はいはいでたでた」みたいなリアクションを僕は当初していたが、実際に出してもらったカフェラテはミルクもコーヒーもかなり濃厚かつ豊潤で、彼の言うことには一理ある、と反省したほどだった。

今日も僕は変わらずカフェラテを注文。
カズさんは、謎のビタミンジュースを飲んだ。
数種類の果物をミックスして作られているというジュースは、
ほんの一口もらっただけでその美味しさを理解した。

このコーヒーショップは、
本当にモスクワ一番の店かもしれない。

平日ということもあり、店内は空いていた。
カフェというが、酒も飲める。
バーというが、コーヒーも出す。
もはや二つのお店の差は、本格的な食事ができるか否かのような気がする。レストランとの差を聞かれたら、僕はいよいよ喋らないことを選択しようと思う。それくらい、ロシアの食事情に関してはまだまだ勉強不足だ。
そんな中、ひとつだけ断言できること。

スーパーマーケット最強。

庶民の味方スーパーマーケットは、今回も僕の旅を大いに助けてくれた。水は50円程度で2Lのペットボトルが買える。だが、それ以上にありがたかったのは、ロシアは特にバターが安かった。

旅前半の「パンとバナナだけで過ごす期」において、バターの存在は大きかった。日本で買うよりも100円以上は安く、日本のバターの2倍以上はサイズがある。85%程度の濃さだが、無塩バターでも十分楽しめる味だった。
パンに飽きてきた中盤、「フルーツの種類を増やす期」がやってきた。チェリーと青りんご、そしてトマトである。
トマトに限っては野菜だが、こちらのトマトはフルーツのようにみずみずしく、そしてどれも1kg単位で販売しているので、思った以上に安価で買えた。
最後、終盤にやってきた「いよいよパンに飽きてきた期」には、カップラーメンが鬼神の活躍をみせた。韓国製品だというカップ麺だが、味が5種類あり、価格がなんと60円程度。まさに価格破壊。これぞ貧困救済。

おかげで、ロシアにきて少し太ったように思う。
2つ違う味を買って、ペヤング大盛りのように同時に食べる……
という贅沢食いまでしてやった。

こうして、スーパーに助けられながら、ここまでなんとか最安値の旅をしてこられた。おかげで、決勝のチケットも少しの借金で買えた。全ては、ロシアのスーパーと、食べ物を恵んでくれた人たちのおかげだ。ブラジルの時もそうだったが、いろんな施しを受けた。本当にありがたかったし、心の底から感謝した。
日本でいつも忘れがちな、涙が出るほどの感謝ができる。これも僕が旅を必要とする要素のひとつだと思う。いつも忘れないようにと思うが、やはりだんだん薄れてしまうものである。
今回の帰国後こそ、気をつけたいと思う。


16:00


カフェを後にしてマンションの下に戻ったら、アルスールはまだ掃除をしていた。窓から彼が手を振ってくれたので、英語で「もう戻ってもいい?」と尋ねたら、「まだ全然ダメだよ!」と真顔で言われてしまった。

僕の飛行機は20:15に飛ぶ。

中国東方航空は1時間前までにカウンターに行けばOKだとのことだが、流石にそろそろパッキングの用意がしたかった。荷物もあまりまとまっていないまま部屋に残してきたので、不安になっていた。すると、それを察してなのか「荷物だけ取ってきーや」とカズさんが言った。アルスールには申し訳なかったが、掃除中の部屋にソローっと入り、荷物をとりあえず詰めてコソーっと出て行った。

下の公園に改めて陣取る。
30kgは余裕で収納できるリュックサックに、
そこまで容量のない荷物を一生懸命詰め込んだ。
僕は収納がすこぶる苦手だ。
おそらく20kgいくかいかないか、という荷物量で、
リュックサックがパンパンになってしまった。


17:00


カズさんと与太話をしていて、ふと気づいた。

しまった。
ビールを買い忘れている。

僕が飲む分ではなく、お土産だ。
これはやばい。
カズさんにスーパーへ行くと告げ、走って最寄りのスーパーへ。
すると、仕事終わりのモスクワ人でスーパーがゴッタ返していた。
なんたる不運。
というより、なんたる計画性の無さ……
時間はあれだけあったのに……

ビール4本を手にして、列に並ぶ。
10分くらい並んで、ようやく僕の番が来た。
「クレジットカードで」というと、
おそらくキルギスタン人であろうアジア顔の女店員が
「そのカード私にくれてもいいのよー」という
このタイミングと混み具合で何故そのジョーク!?
という発言で僕を誘って来た。

謎すぎる。

この状況、お互い余裕はないだろう。
しかし、クレジットカードを渡したあとも、
「マチューダ ユウーキィ」とカードにある僕の名前を読んだり、
クレジットカードにキスしてみたりと本気で僕のカードを奪いにきた。

「ニェ」

ロシア語のNOを伝えると、
フンって感じのリアクションとともに雑にカードを返された。
こんにゃろう。
とりあえずスパシーバー!って伝えてドアを開けようとしたら、
「またきてねー、待ってるわよー」みたいなこと言いながらウィンクしてきた。
あの混雑時でも全く動じない彼女は、レジ打ちよりも適職があるように思う。


17:25


走ってカズさんのいるマンション前の公園に戻る。
門番のおっちゃんが「あれ?まだいるのか?」というジェスチャーでおどけてみせてきたが、面白おかしく対応する余裕がなかった。慌ててビールを衣類などに巻いて、衝撃に耐えうる仕様でリュックに入れる。カズさんも少し心配そうに「間に合うんやろ?」と聞いてくれていたが、実は結構ギリギリの時間になりつつあった。

今考えると、この焦りが良くなかったのかもしれない。

18:30が僕の乗るべき本当に最後のシャトル。それがベラルースカヤという地下鉄近くの駅からSVO空港へ出ているのだ。そのシャトルは30分おきに出るため、18:30の便を逃すといよいよ間に合わない。なるべくカズさんと一緒にいようとはしていたが、ビールの件は完全に誤算だった。

今いるコモソモリスカヤからベラルースカヤまでは地下鉄5番線で1本。
だいたい10分程度で着く。
ただ、ロシアの地下鉄はとにかく駅の構内を歩く。
構造が巨大かつ、地下深いのだ。
シェルターの役割まで担えるという地下鉄の駅は、
そのエスカレーターの長さにまず驚かされる。
そして、地下鉄の本数も大会中は増便されていたが、
15日の決勝終了を以って、通常営業に戻ってしまっていた。

それでも5分に1本はやってくるため、まだ大丈夫だろう。

自分を落ち着かせるようにそう思い、
忘れ物がないかを調べた。
カズさんに別れの挨拶をする。
この人とは、ロシアから帰ったあとも、
きっと会う日がくるだろう。
そんな気がする。

握手して、公園を後にした。
門番のおっさんが「元気でな!」的なことを言ってくれた。
「ダスヴィダーニャ!」
さよならを言った。


17:45


久しぶりに背負った20kg近いリュックサックはかなり堪える。
思うように歩が進まない。
それでも必死で早歩きした。

改札前にきた。
さぁ、ここが一番の大勝負。
警備員のおっちゃんたちを突破して、荷物のスキャニングという
時間をショートカットさせてもらうべく、一番内側の改札口に向かう。
改札を入ってしまえば、意外とそこからは追ってこないという
おじちゃんたちの修正を、僕はこの1ヶ月で把握していた。

改札に入ってしまえばこちらのもの。

しかし、荷物がデカすぎた。
直進している僕の左側に改札はあるが、
間接視野右目の端に、僕に気づくおじちゃんが見えた。
ロシア語で何かを言われている。
その言葉が分からないふりをし、改札へ向かおうとした。
おじちゃんの語気が荒くなって行く。
群衆の中に紛れるように、僕は改札を通った。

ロシアで初めて人を無視した。
心がだいぶ痛んだ。

そこまでしたんだ。
絶対に間に合わないと。
というか、乗り遅れなど洒落にならない。
エスカレーターの左側レーンを行くことを選ぶ。
ロシアは大阪と同じ仕様で右側が止まる人、
左側が歩いて上がる人用になっている。
20kg近くのリュックサックを背負い、
下手すると400m以上の長さがあるエスカレーターを一気に歩き登る。
既に汗だくだった。

運良く、ホームに着いたタイミングで電車が来た。
乗る方向が間違っていないかを確認しつつ、とりあえず飛び乗る。
地下鉄のラッシュはひと段落したようで、そこまで混んでもいなかった。
なんとか大丈夫そうだ。
胸を撫で下ろすという言葉以外しっくりこないほど、とにかくホッとした。

そんな僕に悲劇のメールが入ったのは、
3駅目に到着する間際のことだった。


17:56


カズさんからFacebookのメッセンジャーがきた。
何かと思って開けてみたら、衝撃の一言が書かれてあった。
「マンションの鍵は!?」

呼吸が止まりそうだった。

右のポケットに手を突っ込むと、キーホルダーの感触があった。
恐る恐るポケットから引き抜くと、カズさんのマンションの鍵だった。

終わった。

完全に思考が停止した。
……が、帰らないと!という使命感が湧いて来て、
とりあえず鍵を返しに行こうと策を練った。
すると、カズさんが先に打開策を送って来てくれた。
「今どの駅!?とりあえず出口まで持って行くから」
カズさんがパソコンを一旦部屋に持って帰り、
また駅まで行くとしてだいたい僕が引き返す時間とおなじくらい。
7分から8分。

とりあえずこれだ。

すぐに電車を降り、反対側の電車に乗り換える。
電車がこれまた良いタイミングで来てくれたので、
ロスはほとんどなかった。

コモソモリスカヤの駅に着く。
出口脇でカズさんが不安そうに僕を探している。
親身になって心配してもらっていることに
申し訳なさを感じつつも、余裕のない僕は
とにかくカズさんに鍵を渡そうと走った。

荷物が重い。

鍵を差し出すと、
逆に僕が忘れていた喉用の薬を渡して来た。
そして「間に合うんか!?無理ならソッコー戻ってこい!」
と言ってくれたカズさんに別れを告げ、踵を返した。
この人は、どこまでも気遣いの人だ。


18:08


再びシャトルに乗るためベラルースカヤ駅を目指す。
もう、なりふり構ってなどいられない。
迷惑にならないスペースを見つけ、
リュックサックを下ろさずに到着を待った。
その間、ひとつのアイデアが僕に降って来た。
「そうだ、文明の利器、
 オンラインチェックインがあるじゃないか!」

完全に盲点だった。

これさえ済ませれば、最悪荷物が持ち込みになるなど
いろいろ不具合は生じるが、無事に乗せてもらえる気がするぞ。
SIMフリーのi-Phone5を取り出し、Googleを開いて検索。
中国東方航空と打ち込むと、
検索候補に「オンラインチェックイン」があった。
おお、我を救いたまえ文明の利器!!

だが、入力を進めると最後に出たメッセージは、
「このフライト情報にアクセスできません。
 今すぐに空港スタッフへご連絡ください」
オンラインチェックインが締め切られていた。
電話するにしても、ロシア語が喋れない上、
電話番号がそもそも分からない。
色々検索しているうちに駅に着いてしまった。

(つづく)

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