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都(みやこ)選びとプラットフォームビジネス

リー・タイトーがホアルーからハノイに都を移したのは1010年のこと。
こここそ探し求めていた物件だ!と首都レベルで思えるリー・タイトーの視点はどういうものなのか。
(首都であり続けるという意味で)1000年後にも通じるリー・タイトーの目利きはどこにあったのか。

A)豊かな土壌と広い平地、B)物流拠点としてのポテンシャル、C)外敵(中国)からの安全性がその答えなんだろうと思う。
一般化すれば、人口、経済、安全保障の3つ。
具体的には、A)紅河デルタの豊かな土地を生かした稲作、B)種々の支流から成る紅河水系の結節点に立地すること、C)海を伝って襲来してくる中国に備える物理的な猶予があること。

AとCだけなら該当する土地は他にもありそうに思えるけれども、Bについてはハノイしかない。
紅河水系は、上流には紅河本流以外にダ河、ガム河といった源流が存在し、下流はドゥオン河、デイ河、キンタ河、バクダン河、タイビン河などの支流から成る。
そして地図を眺めていると、これらの上下流の河川らの結節点(「紅河水系の頂点」と言うらしい)に存在するのがハノイだということがわかる。

江戸の物流インフラが運河だったのと同様、南越の物流インフラは紅河デルタに張り巡らされた数々の支流だったろうことは間違いないと思う。
例えば、呉権が中国を打ち破ったことで有名なバクダン(白藤)河。
バクダン河は、ハノイの外港であり国際港であるハイフォンとハノイを繋いでいる。
日本では考えられない、安定陸塊ならではのこの緩かな川を伝って、運搬船が今も行き交っている。

話は変わって、多くの売り手と買い手が集うことから一層多くの売り手と買い手が集まる好循環が生まれ、そこから利益を得るのがプラットフォームビジネスだと言われる
オンライン上でこうしたことを実現するのが時流だけれども、これを物理的に行ってきたのが市場であり都市ということだと思う。
新興都市に分類されるコペンハーゲン、ベルリン、アムステルダムなどは、各人の自己実現を促す都市とのブランディング(とサービス)を通じて、売り手と買い手(企業と市民)を集客し、好循環を生んでいる(Be BerlinだとかI amsterdamとか(駄洒落でいいのかが気になる。東京でやるならTo Kyo(今日)などと言ってみるのか。)。)。
エストニアが、Eエストニアというインフラを整えることで世界のノマドの自己実現を支援し、電子上で企業と人材の集積を進めているのも、プラットフォームビジネスとしての都市の延長線上に整理できる(エストニアの人口規模的に都市と比較するのが全くの誤りということにはならないと思う。)。
ジェフ・ベゾスがAmazonの映画が受賞するたびに靴の売り上げが増えると語ったことを受け、現代の「カミソリと刃」は「映画と靴」なのだと論じられる。都市の文化コンテンツを充実させることが、創造的人材を引きつけ、都市の発展に資するとする割と古い議論に通じる話だと思う。

どういった人達のどういったニーズを満たすためにどういった条件を最適として、都市/プラットフォームを築くのか。
その時その時の技術水準を踏まえながら、どこにどういったプラットフォームを築くべきなのかを見極めようとする営みは、現在を見回しても歴史を訪ねてみても、考えて飽きない。

画像は、紅河上流からハノイ中心を臨んだもの。

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