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期待しないこと、でも信じること。

……ってすっごく難しい!!

相手に「期待」はしないけど、相手を「信じる」姿勢は貫くって、なんて難しいんだろう。その大切さはよく説かれるけど、全然できません。

今まさに悶々と考えながら、突き動かされるようにキーボードを叩いているところです。

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フィリピンに来てから、あらゆることへの期待値が下がったと言うか、物事が自分の思う通りに進まなくても、あまり焦らなくなった気がしていました。

集合の時間を守ってもらえなくても、お願いしていた資料が締め切り通りに提出されなくても、成果物のクオリティが想定より低かったとしても、「まあそういうものだよね」と思えるようになりました。

もちろん約束は約束だし、プロジェクトの進行に関わることなので、私自身が「約束を守ってもらえるように努力すること」は、なんにせよ必要です。リマインドするとか、なぜ協力して欲しいのかきちんと伝えるとか、そういう小さなこと。

でもその一方で、それらは結局「私が」して欲しいと願っているに過ぎなくて、それによって相手を100%拘束することなんてできなくて。日本フィリピン関係なく、「向こうには向こうの都合がある」のが常だし。

そういう意味で「期待」って「自分が相手に望むこと、理想的な状態への欲求」であって、それを押し付けるべきではないし、叶わなかった時にいちいち落胆していてもキリが無い、と思えるようになったんです。

……しかし!最近気づいてしまったのですが、私の場合、そういう風に割り切れるかどうかって、相手によっても変わってくるんです。

最初に書きましたが、まさに今、それが発生していて。

今日ミーティングをするはずだった現地スタッフと、全く連絡が取れなくて、少しだけ困っているんです。信頼しているからこそ、一緒に頑張りたい相手だからこそ、「来られないならせめて一報欲しかったなあ」なんて、切なくなっている自分がいて。

いや、なんだろう。これって自然な感情ではあると思うんですけど、でももしこれが接点の少ない先生だったら、または普段から遅刻しがちな他の誰かだったら、「まあいっか」って開き直れたと思うんです。

なのに今日のその子に対しては「あの子ならちゃんと時間を守ってくれるはずだ」っていう、「私の作った理想像」を勝手に規定してしまっているように感じて、ああこれって押し付けだよなあ、とか申し訳なくなってしまって。考えすぎだろうか?

とはいえ、「やっぱり時間通り来てほしかった!または連絡欲しかった!」気持ちは拭えない。「一つの出来事」が、「私の作った理想像≒信用」を微かに揺らがせているのを感じています。

(一応フォローすると、基本的に関係性はすごく良いです!!!)

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勝手に規定したイメージなんて壊して、フラットに接することができたら良いのになあ。うーん、でもそんなの無理な気もする、にんげんだもの。

てか「信じる」ってそもそもなんだろう。定義が分からない。

「約束を破る」「期待を裏切る」「信用を失う」きっとそれぞれ関連しているけれど、意味するところは絶対違う。前者ほどより具体的な事象の話で、後者ほどその人自身への根拠のない愛情の話?分からない!

うーん、どんどん考えが脱線してしまいますね。

とにかく今日は、返信が返ってくるのを待ってみようと思います。

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