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What is confidence?

授業や何かで英文と対峙するたび、この便利な時代に生まれたことにつくづく感謝する。

スマホがあれば分からない単語はすぐ検索できるし、高校生の頃はEx-wordが私の味方だった。Kindleは単語長押しで語義がポップアップするし、DeepLはやっぱり最強。

英語を理解できるだけで、アクセスできる情報は格段に増える。英語が使いこなせなくても、読み解くためのツールはすぐ側にある。そんな時代に生まれてラッキーだと素直に思う。

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しかし「読み解くためのツール」を使いこなせることすら当たり前ではないと気付かされたのは、皮肉にも「オンライン英会話といえば」の国、フィリピンにいた時のことだった。

フィリピンはかなりの多言語国家。公用語は英語とタガログ語だが、地域によって使用する言語は異なる。私のいたミンダナオ島では、ビサヤ語という言葉が人々の母語だった。

ではなぜフィリピン人が英語が堪能かというと、学校の授業がほとんど英語で行われるためだ。家族や友人とは基本的にビサヤ語で話すのに、授業で使う教科書は英語で書かれている。

これだけ聞くと「生まれた時からバイリンガル確定でうらやましいなあ」なんて思ってしまうけど、その一方で、誰もが苦労せずに英語での学習に適応できるわけではない。

特に私が現地で支援していたのは、児童労働や早期妊娠の当事者で、学校にほとんど通えなくなった生徒たち。彼らは英語を使う機会も限られているため、学校の補習クラスに通ってみても、教科書の内容が分からない。英語が分からないことで、それ以外の全科目が理解できなくなってしまうのだ。

なるほど。全ての教科書が母国語で書かれている日本って、なかなか恵まれているのかも知れない。

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英語力の欠如が全体的な自己肯定感の喪失に繋がっているのを目の当たりにした私は、「何かできないか」と、動画を使ったオリジナル授業を実施することにした。

時間が限られた補習クラスにカリキュラム通りの授業は親和性が低く、英語の能力を上げることはおろか、英語の面白さを享受することすらできないと感じたからだ。

学校の先生と話して選んだのはこの動画教材。アニメや字幕付きで分かりやすく、かつテーマも身近なので、楽しんで見てもらえるかなと考えた。

授業の初日。事件が起きたのは、「分からない単語を各自で調べて、自分のプリントにメモしてみて」と指示を出した後のことだった。

やはり知らない単語が多そうに見える生徒たち。教室にあるパソコンを使って、各自意味を調べている。

しかし一人の女子生徒が見つめる画面に目をやると、様子が少しおかしい……

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その日の教室

彼女が開いているのはどう見てもYouTubeのページだった。しかし極めて真剣な表情で動画を眺めているのだ。

覗き込むと彼女が見ていたのは、一人の男性が熱弁をふるっている何かしらの動画。検索窓には、"What is confidence"の1文。

……なんと彼女は、"confidence"という単語の意味を知らず、かつ、その意味を正確に調べる方法も知らなかったのだ。その結果、「自信がない人に告ぐ」みたいな自己啓発動画にたどり着いてしまったようだった。

時に〈リテラシー〉という言葉は持て余されるが、この時の彼女は「リテラシーが低い」の最たる例だった。私が小学校で辞書の引き方を習ったことも、10代の時に電子辞書を買ってもらったことも、彼女から見れば、ひとつの特権に違いなかった。

英語が苦手な生徒が多いことは知っていたけど、ここまでとは。簡単な音読すらためらう彼女たちのリアルを改めて認識した日だった。

その一件以来、「もっと『実用』にこだわった何かを届けたい」と思い、「学校の教科書の掲載単語に対応した辞書を作ってみるのはどうだろう」と考えたりもした。しかし他の業務を言い訳にして取りかかれないまま、あっという間に帰国の日を迎えてしまった。

きっと今も多くの生徒が、何が何だか分からないまま授業を聞いたり、教科書を読んだり(目線でなぞったり)しているのだと思う。単語の意味の調べ方すら知らないままに。

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こんな1年以上前の日のことを思い出したのは、就活用のエントリーシートを書くために、当時の週間報告書を読み返していたのがきっかけだ。

あの時感じた問題意識ももどかしさも変わらないはずなのに、今、あの教室から遠く離れた場所で、当たり前のように資本主義社会に組み込まれようとしている。

フィリピンでの日々を通じて、現場に身を置いて課題を見つめ続ける以外のやり方があると感じたから、まず民間企業を目指そう、と考えるようになった訳だけど……

フィリピンや国際協力とは距離を置いた就活に対して、あまりしっくり来ないような顔をする人もいたりする。その度に「これで良いのかな?」と悩み込んでしまう。

どうしたら自信を持って選択ができるんだろう。自分の将来を選び取るのに、便利なツールは無いみたい。

フィリピンでの1年半は最高に充実したモラトリアムだったけど、社会人への助走を始めてからより一層、その認識が強まっているのでした。


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