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バイトの思い出。

弟がバイトを始めたらしいです。

彼は全寮制の高校に通っているのですが、卒業間近で授業回数が減ったからなのか、帰省のタイミングだからなのか、人生ではじめて労働環境に身を投じているらしいです。

ガソリンスタンドで汗水流す日々だそう。年始の繁忙期と被ってとても忙しいらしく、初バイトだと言うのに、早朝から8時間×5連勤とかとか……頭が下がります。

タイミングや立地条件のせいで選択肢が少なかったために不本意な環境だそうで、「しんどい」「早く辞めたい」とのこと。

大学に入学したら選び直せるといいね。

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私もフィリピンに来る前まではバイトしまくっていたなあ。

渡航費用を貯めるのに必死だったので、なんなら渡航日の前日夜まで働いていました。よくあのシフトで1年以上分の渡航準備をしたな、と自分を褒めたいです。

近所の補習塾と、某文京区の有名ドーム内の飲食店で1年半。

どちらも「近所にあったから」とか「知り合いに紹介されたから」とかいう適当な理由で選びました。バイトアプリで調べて吟味して……が面倒過ぎたんです。

とはいえ、投げやりに選んだ割にはノリノリで続けていました。

塾のほうは、元々教えることが好きだったのもあって、結構楽しんでやっていて。

ただ、小規模塾だったので、長いことバイトの学生が私一人だけで、あとは親世代の先生しかいなかったことだけ、肩身が狭かったな。

また教えるバイトはやりたいなあと思いつつ、受験の知識がもう皆無なので進学塾で教える素質はないし、かといって補習塾にまた戻るのも刺激が少ないよなあ……とか死ぬほどわがままなことを考えています。

帰国したら考えよう。

ドームの方は、野球の試合やコンサートに合わせてオープンする催事店形式だったのですが、「だからこそ」の雰囲気が面白かったです。

例えば野球の試合の時は、店員はパソコンに食らいつき、絶えず場内の試合の状況を見ています。

なぜなら、巨人が攻撃側の時は客足が遠のくのに、攻撃が終わった瞬間に行列ができるから!

だからしっかりゲーム状況を見ていないと、お客さまに提供が間に合わずお待たせしてしまうことになるんです。あとは店員が変なタイミングでシフトを離れてしまって、人手が足りずパニックに……みたいなことが発生するのです。

あとは延長戦になったりすると、試合としては盛り上がるところですが、店内では「いつ帰れるの〜〜」なんて不満が漏れ始めたり。独特ですよね。

一方コンサートの時は、アーティストさんごとの客層を勝手に分析して楽しんでいたな。今回はマナーの良い方が多いな、とか、イケてる中高生ばっかりだな、とか、見渡す限り派手なお姉さましかいないな、とか。

コンサートの開演と同時に閉店するので「音漏れめっちゃ楽しんでました!」みたいなことは無いのですが、レジ締めをしながらオープニングの歓声が聞こえてくるのはおなじみでした。自分までちょっとだけ参加している気分になれて楽しかったな。

あとはそういえば、それらとは別に、スタッフ派遣の会社に登録して働いていた時期もありました。「イベントスタッフ」との前触れだったのに、蓋を開けたら警備ばかりやらされた苦い思い出があります。

極寒の中サッカー場の入場手伝いをしたり(雨が降っていた日もあったなあ泣)、極寒の中サービスエリアで夜まで車の誘導をしたり(あんなに全力で誘導灯を振ることはきっともうない)、極寒の中で何時間も通学路に立って旗を振っていたり(それも新人だったので一番小学生が通らないエリア)……

肉体的にも精神的にもめちゃめちゃしんどくて、規定の回数働いた瞬間に辞めました。

もう絶対やりたくないけど、あれはあれで良い社会経験だったと言い聞かせています。

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そんな感じで、今となっては遠い思い出となったバイト戦士生活。

フィリピンでは、(もしかしたら日本以外の多くの国が?)家計に困難がある等の事情がない限り、学生が働くことはほとんどないそうで、「日本では多くの大学生がバイトしているんだよ」と言うと驚かれます。

こういうのも、「日本の大学生は勉強しない」と言われる一因なのかな。

……話が逸れてきましたが、「バイトを始めた弟」に時の流れを感じて感慨深くなりながら、回想した日のつれづれでした。

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