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天狗の履物は第三の目を開く

FBの投稿を見ていたらカメラマンの藤代冥砂さんが一本下駄の写真を載せていた。しかも古武術の甲野善紀さんも履かれているらしい?とのこと。これは試さねばと早速お散歩用に購入してしまった。

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一本下駄といえば天狗の履物?山伏や僧侶など修験者が山中の傾斜を上り下りする時に便利だったので履いていたとあるけれど・・・便利なのか?
まだ山中を歩いていないのでわからないけれど散歩で使用してみた。
意外と歩けるものなのね。一本歯は8センチもあるので視界はかなり良くなる。
背筋も伸びるので気持ち良い。そして、なんといっても体幹が鍛えられる。
カランコロン歩いているとかなり目立つのだけれど、鎌倉という町は変わった人が多いので、まぁ、大丈夫かとw
家から出て数分歩いたら早速知り合いに会ってしまった。足元を見て「一本下駄を裸足で履いて散歩とはやるねぇ」とのお言葉を頂いた。冬の寒空、確かに裸足は冷える。けど、気のせいかそこまで寒くない。それ以上に歩くことに緊張しているということかもしれないけれど。

初日は北条政子が妙庵栄西を招いて創建した寿福寺まで散歩してみた。日本に茶文化を広めた人である。佇まい美しく好きなお寺の一つだ。
我が家から15−20分ぐらい。そこまで一本下駄で行かれるか心配だったので靴も持参した。結局、行きは一本下駄、帰りは靴となる。
一本下駄散歩は脱いだ時にその凄さを感じる。まっすぐ立てるのだ!!体幹が見えやすくなっている。そして、気のせいか第三の目も刺激されているような気がする。内側の感覚が明らかに違うのだ。

体幹は天地を結ぶのに必要な要素の一つである。そこを育てていけば現代人が失ってしまった自然や宇宙との呼応が蘇る。今はあまりにも身体を使っていず、使い方もわからなくなってしまったので古代の人が当たり前に持っていたその感覚が消えてしまっているのだ。
素晴らしい職人さんと出会うと、その身体に惚れ惚れすることがある。効率の良い無駄のない動きは無駄のない美しい筋肉を育てる。そういう風に身体を使いこなしている人はしなやかに重心が入っている。

がんばろー。
しばらくは一本下駄がマイブームになりそうだ。

そうそう、散歩の途中、とってもローカルな靴屋さんの前を通りかかったら、なんと!ショーウィンドウに一本下駄が飾られていた。さすが鎌倉である。

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