稽留流産を経て1〜悲しみは後から追いかけてくる〜

2023年7/28に稽留流産で吸引手術をうけました。2022年に11w無頭蓋症で人工中絶しています。2021年には元気な長男出産。

流産宣告された直後は割と穏やかだった。悪阻で休職していたのであぁ、仕事に戻らないといけない。とあぁ、またか。またダメか。とぼんやり思った。前回、無頭蓋症を宣告された時よりは辛くなかった。前回は手足をバタバタさせる様子をエコーでしっかりと見た後に医師から告げられた。それはそれは悲しかった。泣いて泣いて看護師が診察室の奥の個室に通してくれた。今回はエコーを見ながらあぁこれはもしかしてと思った。それを踏まえてなのか前回の経験もあるからなのか分からないが悲しみは少なかった。

自然排出か手術か選ばないといけない。悪阻も診察後からスンッと軽くなったもののある為、夫と相談して手術を選択した。宣告から2日後に行われることになった。ラミリア痛いのかなとぼんやり思いながら手術を待った。

入院当日息子を保育所に送り届け夫と病院にむかった。無痛分娩を希望していた為家から遠く離れた街である。福原愛と元夫のいざこざのニュースを夫とぼんやり見ながら車で走る。病院について診察を受け心拍が確認できない事をエコーで再確認した。なんと辛い作業。ラミリアを入れられ(前回より痛かった)病棟に案内されベッドで休んでいてくださいとの事だった。看護師さんが点滴のルート確保に来たけれど入らず先生が取ることに。前回1番痛かったプレメディの筋注は無かったのでホッとした。そのおかげかなんなのか手術中に激痛を感じた。前回の病院ではしっかり麻酔を効かせてくださいと直談判し(理由はまた後に書けたら書きます)始まりから終わりまで記憶無し!といった感じだったのだが、今回は「ちょっとボーッとするぐらいの麻酔です。みんなそれで痛みなく手術受けて帰るから大丈夫〜」という主治医の言葉を間に受けてしまいそれなら、、、とちょっとボーッとするぐらいで手術を受けてしまった。始まってしばらくは記憶無しだが終盤、とても痛く軽く暴れた(苦笑)痛いのは後屈子宮のせいだと言われた。終わっても痛い痛い!と騒いでいるとソセゴンをいれてくれた。スーッと痛みは引いて麻酔もすく覚め早めに帰れた。

あぁ悪阻が終わったー!と言う気持ちが大きかった。とにかく何か食べたい。帰りに夫と洋食を食べた。バクバク食べた。胃が相当びっくりした様で満腹になると悪阻の気持ち悪さとは違う吐き気で吐きそうになった。

長男を迎えに行き自宅に帰った。妊娠前の様な軽快さ。悪阻で休職していた事もありしばらく休める事も決まっていた。明日から何しようとあれこれ計画したりした。

宣告から手術まで終始、穏やかだった。
次の記事ではタイトルの意味について書きたいと思う。

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