節目です。 一年、無事に過ごせたことに感謝。 たくさんの人に支えられ、 今日の日を迎えられました。 「お陰様」を 自然に口にするようになりました。 歳を重ねても 謙虚に生きている姿は美しい。 私もそうありたい。
年齢を重ねてから出来ること。 そういうものもあると知った。 タロットカードに触れ、集中し、 自分に向き合う。 この時間が好きだ。 自分に正直に、素直になる。 自然と導かれ、 姿勢を正すように気持ちが引き締まる
裏切られた、と思うことありますか? 私はないです。 そもそも期待をしていないせい なのでしょうか。 たとえば 誰かにお金を貸したとして 返してもらえなかったら それは裏切りでしょうか? ある人に一万円を貸して トンズラされたことがあります。 ひどい人だな、と 思いました。 でも裏切られた、とは思いません。 私からしたら 裏切られた、は 一方的な 自分を正当化するような 自分勝手な 言い分のように思えます。 あくまでも 私の考えです。
誰にも相談できない。 それが辛い。 いい年して恥ずかしいけど 相談できない。 自分が困っていることや 助けて欲しいこと 言えずにいる。 ずっと昔から。
自分がネガティブ思考なのは わかっている。 だから友人も少ないと 思っている。 友人が少ないことで 困ることは特にない。 家が落ち着く場所であるなら 生活が出来ているなら それでいいと思っています。 静かな環境が好きで 一人の時間が好きで 料理を楽しくできたら それでいい。 これからの老後を 穏やかに過ごせたら それでいい。 あまり干渉されず 居心地の良い場所で 小鳥たちと共に。
恋愛ベタな私が 初めて男性と付き合ったのは 26歳のころ。 友人に誘われて行った飲み会に その人はいた。 私はお洒落もせず、 普段と変わらない格好で 友人に会う目的で参加した。 私を含めて4人。 会社関係の人だった。 友人がトイレに行くために 席を外すと その人は私の横に座り 話しかけてきた。 店を出て 帰り際に二人きりで プライベートな話をした。 誰かと会話する時には 聞き役にまわる私。 彼の話を ただ聞いていた。 だけど彼もいろいろと聞いてくるので 少しず
6月24日土曜日 関節リウマチの定期通院日。 高速道路で2時間くらいの距離を 今の所、月1で通院。 旦那の運転で行くので 助かっている。 膝関節の痛みは、 炎症によるものではなく 変形性関節症のためだった。 レントゲン検査の結果を見て 軟骨破壊されていた自分の膝に ショックを隠せなかった。 立ち上がりの時の痛みや 長く立っていられない理由が わかった。 自分のことが 台風の翌日、道端に捨てられている 使えないビニール傘みたいで 少し笑えた。 今はもう、昔みたいに
子供時代からの楽しかった思い出を 探してみても ほとんど見つからない。 本気でやりたいこともなかったし なんとなく過ごしていた。 嫌な思い出なら たくさんあるのに 楽しかった思い出はほとんどない。 漫画を読んだり描いたりしていたけど 漫画家を目指していたわけでもなく 「将来」について 考えることもなかった。 そうこうしているうちに 病気になってしまい ますます将来が見えなくなる。 出来ることをする。 ただそれだけだった。 40代の頃に解離性障害になり それから変
こうあるべき、みたいなことに 囚われていると つまらない生き方しかできない。 はみ出さないようにして 汚れないようにして 愛想笑いをして 疲れ果てる そこに「自分」などない。 何にも囚われずに生きたいものだ。
夫と、私の方の親戚宅へ訪問して 初対面の夫が挨拶をして 食事をしながら7人で会話をしていたら 夫が年齢を聞かれる場面があった。 私よりも7歳年下の夫は もちろん正直に年齢を伝えた。 その後の シーン…とした空気。 年下ではいけませんか? 年の差が7歳あってはいけませんか? 言いたかった言葉は飲み込んだ。 モヤモヤした気持ちで とても疲れて帰って来た。
ツイッターでは書けないことを 書いてみようかと思いました。 夫とふたり暮らし。 50代。 昨年、発達障害の心理検査をしました 検査の結果 IQ80くらいで 自閉スペクトラム症グレーゾーンでした 子供の頃からダメ人間だったから なるほど、と思いました。 少し気持ちがラクになったけど 世間には、なかなか通用しない 「大人の発達障害」という言葉。 「そんなこと、みんな有るよ」 そう言われるので もうリアルな関係の人には 言わないことにしました。 昔と何も変わらない。