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教員志望だった私が代表取締役になっていた経緯②〜ワーホリ編〜

教員になることを先延ばしにして向かったオーストラリア。見送りに来てくれた両親とおばあちゃん、バイト先の居酒屋の店長、そして私を好いてくれていた男の子。笑 私の手は震えていました。怖いと、人って本当に震えるんだなって思ったのを今でも覚えています。両親と離れてからオーストラリアに着くまでの記憶があまりありません。でも、オーストラリアに着いた時の感覚は今でも覚えています。

空があって、地があって、空気があって、人がいる。日本と大差ないじゃないか。

そう感じた時、一気に恐怖がなくなりました。ただ、そこからは、言葉も通じないし、仕事は見つからないし、バスも電車もうまく乗れないし、大変でした。それでもホームシックになることもなく、何もかもが新鮮で、うまくいかない経験も楽しんでたように思います。

最初はストロベリーファームで働き、仕事と生活環境が辛すぎたのと、アジア人ばかりの環境に違和感を覚えて即辞め、そこからはヘルプエクスチェンジでおよそ10件ほどのお家を転々と滞在させてもらいました。場所も、ゴールドコーストから始まりクックタウンまで北上した後、タスマニア、へ一気に南下、メルボルン、モーニントン半島へと移りました。

いろんなことを経験しました。最初の滞在先はバンブーファームで、ホストはおじちゃん1人。そのおじちゃんに好かれすぎて、それが返ってストレスになり、喧嘩別れして飛び出しました。他にも、あまりにもお家が汚すぎてショッキングなお家があったり、夕食にワラビーの胴体を丸ごと料理するように頼まれたり、ドラマのごとくめちゃめちゃな3兄弟のナニーをしたり、75歳くらいのおじいちゃんにキスされそうになったり。。エピソードを話すと止まらないのでこの辺に。

ワーホリも3〜4ヶ月が経過し、なんとなく英語にも慣れてきた頃。オーストラリアで教壇に立つと決めていた私は、周囲の小学校へアポなしで出向かい、「ボランティアでいいので日本語を教えたいんですが」とお願いに回りました。最初は日本語は教えていない、ということで断られましたが、5、6校目くらいで日本語を教えているという学校が!そのまま校長先生に対面し、「ボランティアでいいの!?」と即OK。日本ならありえない。ありえないポイントがたくさんある。笑 オーストラリアを選んでよかった。

ボランティア先が決まって浮かれていた矢先、滞在していたお家のホストとのミスコミュニケーションにより、1週間で家をでなければいけないことに。部屋を借りるにも、お金の余裕がそこまでなかった私は、別のヘルプ先を探したり、ボランティア先の先生に相談したりしていた。すると数日後、学校の保護者の中から、うちに空きスペースがあるから住んでもいいという方が・・!しかも、食事も滞在も完全に無料で構わないと・・!そんなことありますか!?しかも、そのお家の女の子がとっても可愛い・・!ということで、そのお家に4ヶ月くらいお世話になりました。

その間に12才年上の長身(2m超)オージーと交際?もしてみたりして、最後の4ヶ月が一番落ち着いてまったりとオージーライフを満喫したように思います。オーストラリアの良いところは、自由に暮らしてる人が多いということ。みんな、「こうでなければいけない」という観念に縛られていない。「やりたいことをやれば良い」という考えが定着しているせいか、子どもに対しても「勉強しなさい」という親も先生もいないし、学校でも宿題がほぼ出ない。教員も学校が終わったら即帰るので、16時以降は学校に先生たちがほぼいない。私のboyfriendも、当時は大工さんとして勤めていたはずが、廃材を使ってアートを始め、今はアーティストになっています。

そんなオーストラリアの地でよく聞かれたのが、「将来何したいの?」ということ。日本だと、意外と聞かれない質問。オーストラリアに行ったばかりの時は「教員になろうと思っている」と答えていましたが、帰って来る頃には答えが変わっていました。「もっといろんな国に行きたい、もっといろんな世界を見たい」と。日本でそんな風に答えたら、きっと、「仕事はどうするの?」と返ってきそうなところですが、オーストラリアでは大抵「おお!良いねえ!!次はどこ行くの??」と返って来るのです。

そんな環境にしばらくいたものだから、「なんでもできるかも!」「海外で働こうかしら」「こっちでこのまま結婚して移住しようかしら」「世界中旅するぞ」なんて、自分の未来の可能性が広がったような気がしました。同じ大学の友人たちよりも、少し大きくなれた気がしていました。日本に戻ってから路頭に迷うことも知らずに・・。

でも、8ヶ月間のオーストラリアでのワーホリによって得られた経験や感覚は、私の人生で今でも活かされています。

・新しい挑戦は、踏み出す前は怖いけど、踏み出してしまえばなんてことはない
・国境に大きな壁はない
・必要な時に必要な出会いがある
・やりたいことはやったほうがいい
・大抵のことは何とかなる
・経験したことがない人からのネガティブなアドバイスは聞くべからず(海外に滞在したことがない人からのネガティブな注意喚起は、ほぼ無意味だった)

行ってよかったなあ。また行きたい、いや、行く。オーストラリア一周するって決めてるので。(ワーホリ中の話ももう少し掘り下げて書いてみよう、そのうち)

そして、オーストラリアから帰国した私に待ち受けていたのは、「自分の未来との対峙」でした。

続く。

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