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古きものから思考し感じとる

先日、東京駅すぐ近くにあるJPタワー/KITTEの「インターメディアテク」に行ってきた。

無料で観れてしまうのに、あまりにボリューム感のある展示で、見応え抜群、脳みそが痺れる素晴らしい展示だった。是非色んな方にこの展示の良さを感じて欲しいため、拙い文章で申し訳ないが、私の備忘録と共に少し紹介させてもらいたいと思う。


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この「インターメディアテク」は日本郵便株式会社と東京大学総合研究博物館(UMUT)が協働運営する公共施設である。
これが無料で観れてしまうのだからこの国は末恐ろしい。


ロビーに入るなり目に飛び込んでくるのは幾何学な鏡のモニュメント。
そして更に目を惹いたのがその奥にある大きな恐竜だろうか、はたまたワニだろうか、なにやら爬虫類らしき骨格標本。
まるで「車力の巨人」を骨格標本化したような生き物。
キャプションが見当たらなかったので、これが一体何の生き物だったのかは不明であった。現存生物を巨大化したのか、想像の生き物なのか……。



メインである奥へ進んでいくと、心地よい重厚感溢れる空気が身を包む。知識欲が高まって胸踊った。
ちょうどいい薄暗がりは異世界に迷い込んだような気持ちにさせる。たまらないタイムスリップ感。
間違いなく私は今、古き良きものを目の当たりにしている感覚を覚えた。



展示に用いられているケースやキャビネットは、ほとんどが研究の現場で使われていたものらしく、手垢の馴染んだ木目の使用感に長い年月を感じた。
その歴史を刻んだキャビネットの中には、東京大学が創学して以来、大量に蓄積してきた骨格標本や剥製がずらりと立ち並ぶ。

生き物が育んできた長い年月と、人間がまた長い年月をかけて物を生み出し、研究し、大事にした先にこの標本とキャビネットがあると思うとなんだか胸がぎゅうっとなる。



このキャビネットの中には小動物と小型犬などの骨格標本が所狭しと並んでいた。

ダックスフンド、シーズー、ビーグル……etc.
知っている犬の名前をちらほら見かけるも、骨になってはまるであの可愛らしさはない。尻尾や胴体、鼻の長さでなんとなくそれらしくは見えてくるが、その違いを見分けるのは難しかった。
耳の形でも分かればなぁと考えて気付く。人間の耳も骨は残らない。

一緒に行った友人が「骨から生きていた状態を想像するって凄いことだ」と言っていたのに納得した。
骨になると無くなってしまう部位もあるし、毛並みも色も分からない。
絶滅した生物たちの研究は、謎の生態の発見や生物史もそうだが、研究者たちのロマンなのだろう。
こんな姿でこんな風に生きていたのではないかと想像するのは楽しいに違いない。


小動物の骨は本当に細かった。
ツンと突いただけでバラバラと砕け散りそうな細さ。
こんなに繊細な骨で肉を支え、内臓を守り、活動するのだから凄い。

逆に大きな生き物の骨格標本は、骨でありながら大迫力であった。一つ一つの骨が大木のようだった。
立ち上がった状態の、荷車を引くような大型馬の骨格標本の横に並んでみると、なんと人間の小さいこと。
お尻の高さが人の頭くらいで、そりゃあ馬の後ろに回り込んで蹴られた時には一溜りもないし、肋骨はいとも簡単に折れるだろうなと合点がいった。



哺乳類以外にも水生生物の骨格標本もあり、中でも驚いたのはイルカの骨格標本だ。
生きた状態から私には想像が付かない骨格をしていた。
想像よりも歯は鋭く、尾びれ・背びれに骨はない。逆に胸びれには人間の指のような骨。しかもしっかり5本ある。そのせいか何処となく人間が泳いでるように見えなくもない。パッと見た時に「なんだこの気持ち悪い生き物…」と思ったくらいだ。
それがなんとあの水族館No.1人気のイルカで、私も例に漏れず散々イルカショーを見ては「かわいい〜!」「すごーい!」とはしゃいでいる身としては、気持ち悪いと感じるなど、無知とは悪だと思い知った。
やはり、骨の状態から生身を想像するのは難しい。


反射で見にくいが、一番上がイルカの骨格標本


展示の奥の方へ進んでいくと剥製になった動物たちが並んでいた。骨格標本として展示されていた動物たちが多い。
先に骨格標本を見たことにより、剥製の状態で見た時に「あの骨で形作られているのか」と改めて生き物の逞しさを感じることができて、より面白さが増した。
展示の順路は大事である。


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様々な展示や、水族館・動物園・植物園を見ても思うことなのだが、こうして骨や剥製になってまでも私たち人間に学びや進化を与えてくれる生き物に、ヒトは敵わない気がしている。

『ミイラ』というものが太古より存在はしているが、いつか近い未来、著名になった人がもっと綺麗な状態で、それこそ『剥製』として展示される日が来るのではないかと想像している。


「インターメディアテク」のHPごあいさつにて以下の文章があった。

まずは、説明書きにとらわれず館内を散策し、個々の展示物や空間が発するメッセージを楽しんでください。

インターメディアテクHP 館長ごあいさつ より

キャプションがあることによって、人は思考する物が偏るのだそう。似たような現象だと、味覚が一番それに近いように思う。知らない物を食べた時に、既にその中に記憶されている味があったとしても、説明された味は感じられるが、されなかった味は感じられない、もしくは感覚として遠のくのだとか。先入観とは怖い。
元々この展示にキャプションは少なく、これは一体なんだろう?と考えるのが非常に楽しい空間であった。
分からなかった時に初めて説明書きを読んで、答え合わせをする方が思考の幅が広がって楽しい。答えが分からなくても、想像するだけで楽しい。
館長様は、その一人一人が感じ取るものを尊重してくださっているのだなと思う。


当たり前なことを言うが、骨格標本や剥製は所謂"生き物"ではなく既に死んでいる。だが、明らかにそこにある"魂"を私はこの展示で強く感じられた。
彼らが標本や剥製になってくれた意味は大いにあるし、それを研究し発表し展示することによって様々な意見が飛び交うことに意味があるのだと思った。

生き物が持つ力は偉大で壮大だ。
ヒトはこのピラミッドの下層にいる生き物たちに支えられて生きていることをこの展示から私は改めて感じた。
そして何より、知らないことを知ることの楽しさ、想像することの自由さ・楽しさ、人と意見を交わし合うことの重要さを、ここで思い出したように思う。

是非、これを読んでくれたあなたも実際に目で見て肌で感じて、色んなことを感じ取って欲しい。そして共有、交換してほしい。
また何度でも伺いたくなる、素晴らしい展示だった。
思考が硬くなりそうな時に戻ってきたいと思う。

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