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今年を振り返って

あと数日で2024年の龍年だ。
気が付けば、うわあ、いつの間に?
一年って短いと思えてしまうぐらい、忙しかったんやな。
個人事業主といっても好きな時に働くため、共働き、パートを持つ主婦が羨ましい。だって規則正しい生活、固定給もある。個人事業主だとラッキーな日があればそうでない日があるから、不安定や。働くときはずっと「本気」。めちゃ重い買い物の仕事も引き受けてた。エレベーターの無い建物で一番上った階段は7階だった。
それでも感謝され、誰かのために役立てているのは嬉しかったし、買い物代行というお仕事はすごく楽しい。実はこの仕事に入りたくても一年経っても入れない人がごまんといるんだって。
人気業になる前に入って良かった。

春には、結婚記念日にルイジアナ州のニューオリンズを訪れた。初めてではなく、ハリケーン・カトリーナ(大型台風)の前に何回か通った場所なんだ。葬式専用の音楽、ジャズが生まれた場所。
今回は酒吞みながらのジャズ鑑賞と、ワニとの対面できる川巡りツアーに参加したり、以前霊巡りしたあらゆる場所まで自分たちだけで足を運ぶという形だった。霊が出るという有名な思い出のあるホテルは、すでに廃ホテルと変わってしまってた。
そこで身体に良いと云われるワニ肉唐揚げと、名物ケイジャン食とクレオール食をこれでもかというぐらい、食ってきた。ニューヨークにもニューオリンズを特化したバーとレストランなどがあるが、比べるとやっぱり、現場の方がずっと美味しかった。
結婚記念日を祝う場に相応しいレストランはニューオリンズ生まれの現地人によるお勧め。現地人が好きというところには外れがない。観光地からちょっと離れた場所にあり、値段はそんなに高くなかったし、周りは現地人が来るような、素敵な隠れ家という感じのレストラン。すべてが旨い。もう一度行きたい。

夏には、ブロンクス区からクィーンズ区に引っ越し。それは私、いや家族全員にとっては大きな出来事だった。
家具はベッド以外、すべて捨ててきた。家具がなかったとしても、持ち運ぶ荷物の箱は山ほどあったからね。トラック一台借りるのは経済的に勿体なかったからと、自家用車で一日三回は前のアパートと繰り返してきたんだ。暑い太陽の下で友人と義理の甥と合わせて六人で運ぶも、すごい汗たく、夜はみんなヘトヘトに。その日のことはよく覚えてる。全員一日中、何も食べてなかったんだ。お腹空いた、という感覚まで麻痺したほど動き回ってた。
これまで私たちは「引っ越し」を8回以上は繰り返していたから、慣れているほうである。家具は持ち運ばなくても新しい住み家でフレッシュスタートとして色々取り寄せれば良い。
新しいマンション、新しい土地での生活は以前よりずっと快適になった。

ニューヨーク🗽の地図

ブロンクス区はブルックリン区と並ぶ、低所得者が多い貧困地域が広いところであり、私たちが住んだとこはイーストブロンクス、収入のある職持ちのアフリカ系とジャマイカ系、ドミニカ系など肌が黒い働き者移民が集まる地域。
三階建て一軒家がズラリとすごい並んでます。つまり前のアパートは一軒家の一階が改造された独立型アパート。外からみれば家です。大家は二階、三階の方に住んでました。隣の家は半地下室もあり、二年前の大型ハリケーン「アイダ」によって濁流被害を受けた住人を目の当たりにしたことがある。
そこから離れた理由は三つ。

一つ目。
自分がアジアン系でコロナ渦とパンデミックに増加したアジアンヘイトクライムのお陰で住みづらくくなったこと。前市長が「アジアン系は白人と同じだ(成功している人種として)」と問題発音をしたことがきっかけでヘイトクライムが加速。
というか、黒人が集まる地域にはゴミが散らかってるし、臭い。そこにアメリカンドリームが全く見れないし、アジアン系に対するヘイトクライムについては自ら改善しようとせず、同じ人種である犯罪者たちを庇うカルチャーがある彼らに「底沼のくせに開き直るんじゃねえよ恥を知れ」と心底から軽蔑するようになってしまった。
長女の元カレ2人共、コリアン系アメリカンの米軍人。地下鉄でうちのアパートまで訪れるときに、毎回、必ず誰かに攻撃されるという事態があった。軍服着たままなのにアジアン系というだけで罵倒、恐喝、喧嘩が売り込まれるなど。長女は黒人とのミックスだから攻撃を受けなかったが、毎回、アジアン系へのヘイトクライムがある度に彼氏を身を持って庇ったりしたとか、話を聞いてとても悔しかった。とにかくそこから離れたかった。

二つ目。
自家用車のタイヤが二週間ごとにパンクするから、この辺りの誰かに刺されたとちやう?と気付くも、黒人である夫は「そんなばかな」と完全否定。
しかし、私の推測は引っ越した後に当たってしまった。
隣の家人と話してたら、私たちがかつて住んでたアパートの前にあるストリートに駐車していた車が全台、タイヤがほとんどが穴を開けられたという異常事態が起きてたという。車はストリートの右側、片方だけで約10台は停まっている。その中にずっと駐車してきた夫は「このまま、もし引っ越ししてなかったら悲劇に巻き込まれただろう」と言ってた。

三つ目。
高校卒業ときに家を出て自立した次女が一緒に住みたいと言い出して、住んでたアパートは2LDKと狭かったため、彼女を受け入れるよう3LDKを探すことになった。
これまで彼女は社長秘書として社長宅に居候してた。
社長は高校時代の元カレの母親。富裕層が多いロングアイランドと、ペンシルベニア州、マンハッタン区に近いクィーンズ区に三つの一軒家を所有してて、その中の家に社長と家族と一緒に暮らしてたが五年以上経ってるし、人間性と人間関係までも見えてしまって、家の中だけでなく職場でパワハラする社長に振り回され、精神的にもきたして「それなら職場で会うだけにして、住むなら自分の家族と暮らす方が快適に決まってるわ」と彼女が決意。
わたしがほとんど家で調理してるから、彼女のする家事が一気に楽になるのはこつちも解ってる。社長秘書として24時間やるのには若い彼女には無理があった。
それでいいんだよ。夜はバーテンダーという、二つの仕事もやってるし、趣味はコンサート鑑賞とあるし、応援したいからね。
息子も高校卒業後、職持ち。高校時代はニートしてたとしても、仕事はマネージャーという管理職。オンラインゲーム仲間が中高時代から来てるのと、広い人脈がある模様でずっとゲームしてる。
ニューヨークは家賃が高いため家族が家賃を割り勘をして支払って助け合うルームメイトとして一緒に暮らすのは当たり前なんだ。

こんな感じで今年はニューオリンズへの旅と、生活水準の高い地域に越せたことが大きな転換となった。
健康でいたこと。
仕事があること。
好きなことして生きていること。
美味しい食べ物を楽しんでいること。
愛されていること。
朝起きるたびに「こんなに恵まれている。ありがとう、ありがとう」と感謝しか起こらない。

今年は素敵な一年だったよ。

来年は比べられないぐらい、もっと良い年にしよう。


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