沼津経済新聞の記者をはじめたきっかけ。

6日目のnote、今日は沼津経済新聞の記者を始めたきっかけについて書いてみようかと思います。

3年前、私はエフエムぬまづとエフエム御殿場とFMIS(エフエム伊豆)、 3つの局でラジオパーソナリティをしていました。

その時の経験は今にも繋がっていて、本当にありがたかったと、今でも感謝しています。

FMISでは月に1回、函南町の道の駅:伊豆ゲートウェイ函南でサテライト放送をしていました。(ラジオブースがある、全国的にも珍しい道の駅なのです)

その日の放送が終わって、施設の担当者さんが沼津経済新聞の前身となる伊豆経済新聞の編集長をやっていたことから、記者に興味があるかと質問されて、「興味あります」と答えたら、午後にあった取材に同行させてもらったのでした。

その時の記事がこちら

しょうた画伯、すっかり大きくなって今年は沼津市公認おさかなアートクリエーターにも就任して

「海外の水族館で個展をしたい」という大きな夢に向かって頑張っています。


3年前、取材に同行させてもらって、全国にあるみんなの経済新聞ネットワークではハッピーニュースだけを取り扱っているということや、

編集長の「夢中でがんばる君へエールを…のレオパレス方式で仕事をしている」という言葉にも共感して、気づけば今こうしてお手伝いをさせていただいています。

取材でお話しを聞かせていただくと、それはラジオでもそうなのですが、一人ひとりに様々なドラマがあって、それを教えてもらえることが本当にありがたくて、

そのストーリーを伝えるってこと、とてもやりがいのあることだなあ、と

毎回本当にいい刺激を受けながらお仕事させてもらっています。

これからも沼津をはじめとする静岡県東部エリアの魅力的な人と繋がっていくこと、すごく楽しみで、

私も、そんなみなさんに全力でエールを送っていきたいなって思っています。






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