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今、ここを生きる〜呼吸のはなし

呼吸を学ぶ

私は、今、呼吸を学んでいます。
ちゃんと学び始めたのは、今から約3年前からで、呼吸を学んでからすごく自分のことが理解できるようになってきたなと思っています。
私の学んでいるのは、呼吸・整体といって、森田敦史さんという方が開発されたもので、呼吸法とか健康法、というよりも、呼吸そのものの概念を捉え直すという感じが近いと思っています。森田先生のホームページでは、養生法とも書いています。
(呼吸整体については、森田先生のホームページや著書がありますので、ぜひそちらを読んでみてください。)
ホームページ:https://www.kokyu-seitai.jp/
参考図書:森田敦史「なにもしていないのに調子がいい ふだんの「呼吸」を意識して回復力を高める」

呼吸を学ぶ、というと、ちょっと変に思うかもしれません。
生まれてから今まで、ずっと呼吸し続けてきているから生きているのだし、赤ちゃんが生まれてくるときに、呼吸の仕方をレッスンしてきたというわけでもありませんよね。
お母さんのお腹から出てきて、外の空気に晒されると、人間は肺で呼吸を始めます。だから、改めて学ぶ必要があるの?と思うでしょう。
でも、私には必要でした。呼吸を知らないから学ぶ、というよりも、今まで生きてきた中で学習して身につけてしまった癖を、自然のまま、私本来の自然な形で呼吸するように、一番自然体で楽な呼吸で生きられるように、学びなおすことが必要だった、と言った方が良いかもしれません。
わたしは、この自然な呼吸をもっと早くに知っていたら、もっと楽に生きられたのに!!!とほんとうに何千回、何万回も思いました。
ずっと自然体で、あなたらしく生きていくことの手助けになってくれると思うから。

自然な呼吸とは

生まれたての赤ちゃんは、もっとも自然な状態で呼吸をしています。生物としての人間の自然のままで。赤ちゃんが、肩こりしたりしないのは、動きに無理がなく、力み(緊張して硬くなる)がないから。
だんだん、おとなになるに連れて、外からの学習で、力まなくていいところでも力んだまま、力が抜けなくなったり、力を入れようとしても力が入らなくなったりしていくんですね。
わたしの子どもが、赤ちゃんでハイハイをしていた頃、一緒に並んでハイハイをして遊んでいました。そのとき、わたしは、床についた手も痛いし、膝も痛いし、腰も痛くなり、長く一緒にハイハイできなかったんですね。
わたしとは対照的に、赤ちゃんはずっとハイハイしていても、全然平気。ニコニコしたり、ご機嫌でハイハイし続けることができてました。膝が赤くなったりもしないし。
それは、力がちゃんと抜けているから。
どこかで力んで、力が止まるとそこでロックしていて、呼吸が止まっているまたはとても浅くなっている、ということが起こってます。
呼吸の学びの中で、これを知って体感したときに、自分の体のあちこちの不調が、謎解けました。わたしが、今まで如何に力んで、固めて、息を潜めて、止めていたか!ということが、体感としてわかったんです。
それを、1日3万回とも言われる呼吸で、いつもやっていたから、自然に逆らうように生きていたということだったんだ!と気づいて、ほんとうに目から鱗が落ちまくりました。
身体が悲鳴をあげている、と30代になった頃には十分自覚があったのだけど、自分を大切にするという感覚がまったくわからなかったんですね。
痛みがあれば、薬を飲んで我慢する、というのが普通になっていました。
それ以外に対処がなかったし、それが正解だと思ってました。
今思うと、「病院行って、薬もらっている。それでも治らないのだ」というのが、もっともつうじる言い訳だったのだと思います。
だんだん、薬が効かなくなっていることに薄々気づいていたけれど、それ以外の方法は”怪しい”と思って排除していました。
自分を信じて、自分自身がもともと持っている治癒力を引き出す、なんてことには全く思いも寄りませんでした。
でも、病気になって、それを治癒するのは、お医者さんではありません。薬が治してくれるのでもありません。人間にもともと備わっている、「自然治癒力」で、治癒するんです。
お医者さんや薬は、自然治癒力を手助けしてくれるというだけなんです。人間は、自分で自分を癒します。
そんな自然治癒力がもっとも高まっていて、自分の自己肯定感も安定しているし、回復力(レジリエンス)もある、今ここに集中している、いわばマインドフルネスな状態でいることができると、とても楽で、自分の本当の自然体でいられるようになってきます。

ちなみに、マインドフルネスというのは、『今、この瞬間』を大切にする生き方」のことで、マサチューセッツ大学医学校名誉教授のジョン・カバットジン(Jon Kabat-Zinn)博士が、「マインドフルネス瞑想」を医療分野に最初に取り入れ、慢性の痛みとの共存を目的としたプログラム「マインドフルネスストレス低減法」を開発したことで、世界中に普及するきっかけとなったと言われています。

私は、自分で自分を癒せるということにはまったく思いも当たらず、自分の力がない、自分がダメだからこうなる、そんなダメな自分を誰かになんとかしてもらえたら・・・と思っていたことに、呼吸を始めてから気づくようになりました。

身体の声を聴く

そもそも、私は、自分の身体がとても嫌いでした。
自分の身体の何もかもが気に入らなかったし、これを気に入るように変えることはできないと思っていました。
顔の造作も気に入らないし、髪がくせ毛なのも嫌だったし、肌が乾燥してガサガサでちっとも治らず、皮膚全部剥ぎ取って交換したいと思っていました。
そのくらい、自分が嫌いでした。
自己嫌悪もここまでくれば極まっていると思うけど、10代の頃からそれはずっと続いていました。
その大嫌いな身体でも、そこから逃げることはできない。
この身体で生きるしかないんだなーということを、おぼろげながら、子どもを産んでから思うようになりました。
この子たちが大きくなるまで、生き延びたいと思うようになって、そのために、向き合わなくてはならなくなって。
他人からよく、「あなたはどうしたいの?」と問われて、答えが出せなくてギリギリしました。自分のことなのに、自分の答えがわからないということがよくありました。
たぶん、これは、思春期と呼ばれる頃に、自分の価値観のすり合わせをする時に起きることなんじゃないか?と思います。
わたしは、思春期にそれをやっていなくて、40歳をすぎてから直面することになりました。

自分に、なんども問いかけて、じゃあ、それでどう生きようか?どう生きたいのか?どう生きるのか?を考えた時、自分のままで正直に生きたいと願っていることに気づいたんです。
だけど、「自分のまま、正直」って??? それって、どんな自分??
今まで、親や上司や恋人や友達や、自分以外の誰かの言うことを聞いて、正解を探して生きてきたから、自分というものがよくわからなくて、すごくあやふやだった。
それで、とりあえず、「身体の声を聴いてみよう」と思いました。
身体は、触れるから。
痛いのも、苦しいのも、身体が教えてくれるから。
今まで、ずっと無視して、嫌って、酷使ばかりしてきた私のカラダに、耳を傾けてみよう!
って思って。

身体の声を聴くと言っても、今までやったことないんだから、何をしたらいいかわかりません。とにかく、まずは、身体を動かすことで、自分にできることを片っ端からやってみたりしました。
ヨガ、太極拳、エクササイズ、ストレッチ、バランスボールなどなど。
もともと運動習慣がなくて、身体を動かすことが嫌いだったけど、やってみると気持ち良いと感じることも出てきました。でも、苦手意識が強くて、なかなか継続できない。。

そんな頃、呼吸・整体に出会って、呼吸をやってみることにしました。
それは、ただ単に、呼吸法というのではなくて、自分の生き方そのもの、みたいなことを学んでいるような感じでした。
いつも自分と共にいて、しかも意識するだけで変えられるのは、呼吸だけです。
心臓のリズムや、脳波や血液の流れを意識で変えるのは難しいけど、呼吸が浅くなった時に、深く呼吸してみるというのはすぐにできる。
始めた頃のわたしの身体はガチガチで、「力を抜く」ということがまったくできませんでした。力を抜いているつもりだけど、緊張が抜けてなくて力んでいて、そのことに今までまったく気づけていなかったんだ、という気づきがありました。
脱力してゆるゆるになる、というのと、力を抜いている、というのは違うことだということもまったくわかってませんでした。
40年以上この身体で生きてきたのに、自分の身体を全然、認識できていなかったことに気づいて愕然としました。
コーチの指示通りにやろう、とすると、外側に意識が向いて、自分の身体から意識が遠ざかっていて。
見せかけだけうまくやろうとしている、ということがあからさまで、それに自分で気づくので、ウゲーっていう気分になったりしました。
自分が如何に自分を無視してきたかにはっきり気づくようになりました。
身体が、自分を無視して他人の声を優先させて、人の顔色を伺って、それに合わせているよ、と教えてくれたという感じ。

誰かや、何かに頼って、いつもいつも自分の外側に答えを求めていたのだということを、体感を持って知った瞬間でした。
呼吸がそれを教えてくれる。
ようやく、身体が「それは、もう無理!」って言ってた声を聴くことができました。
「誰かや何か」ではなくて、私の中に私の答えがある、ということに気づかせてくれたのです。
「自分と息を合わせる」ことがもっとも自分らしく生きるを体現している、と思います。
自分と息を合わせて初めて他人と息を合わせることができるようになります。
自分と息が合っていなかったら、他人と息を合わせて繋がるのは難しいのです。
わたしは、40年以上かかってそのことに気づきました。

息をしているだけで価値がある、ということ

呼吸が自然にできる。
そこが自分の居場所なのです。
誰かや何かに頼るのではなくて、呼吸に戻れば、ちゃんと教えてくれます。
「私が私であること」の中心。
「私らしく、正直に」というのは、どこにも無理がない状態のこと。
呼吸がその場所を思い出させてくれます。
あなたは、呼吸が浅くなったり、息を詰めて止めていたりしてることはないでしょうか?
ゲームの画面に夢中になったり、スマホをずーっと見ている時、呼吸が止まったり浅くなったりしてませんか?
呼吸していないと、人間は死にます。
だから、呼吸は止めないほうがいいんです。止めないのが自然です。
どんなときも呼吸を止めないでいられると、どんなときも自分らしく自然でいられるようになります。

呼吸は、1日に3万回くらいしていると言われているけど、丁寧に観察すると、一回一回、全部違っていて、そのことに感動します。
毎回毎回、吸う、吐くのタイミングも、量も、長さも、全部違います。
ああ、こんなにもいろんな調整をして、わたしを助けてくれているんだなーと感じたりすることもあります。

そういう微細な違いに気づくことも面白く、「私」という存在を知る手がかりになるなーと思っています。

呼吸がととのうことで、自分に余白ができます。
緊張しすぎて、息が浅くなったとき、深呼吸したら、ちょっと落ち着きませんか?
その余白が、「いまここにある自分」という存在に戻れるのだと思います。
そして、一回一回、こんなにも違う呼吸から気づくことは、「呼吸しているだけで、本当にそれだけで、生きる価値があるのだ」ということの確信に繋がっていきました。
「息をしているだけで価値がある」というのは、真実なんです。
自分の呼吸を観察していると、そう思います。

呼吸って、本当にすごいですよ!
わたしは、自分の自然な呼吸をして余白が生まれるようになって、「わからない」ことをわからないまま保留にしておけるようになりました。
それまでは、「わかるまでやらないといけない」と、答えを探してずっと焦っていました。
わからないことは不快で、直ちに解消したがって。
でも、わからないことの方が人生は多いのです。
答えがすぐに出ないことの方が、よっぽど多い。
大切なことほど、時間をかけて考えたり、感じたり、持っておくことが大事だったりします。
わたしは呼吸をやり始めたら、それができるようになりました。
それは、自分で、自分をこんなにも変えることができるんだ、という実感でもあり、変えようと思って変えなきゃ!!と必死に努力したということでもなくて、呼吸をやってきた結果、そんな風になりました。

だから、これからたくさんのストレスフルなことが待っているかもしれないあなたに、伝えておきたい。
そんなとき、自分の呼吸に目を向けてみてほしいのです。
あなたが自然であなたらしくもっとも力を発揮できるのは、あなたが一番自然な呼吸をしているときです。
自分と息を合わせて、あなたらしく生きていけますように。


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