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【1011/1096】息を吸いたかったら吸って、吐きたい分だけ吐く

「感じる」をどこかに置いてけぼりにしていると気づいたのはいつだったか。
たぶん、30代の半ばくらいだったと思う。
すごくいろんなことに神経質だが、その実、なにも感じていないということが起きていた。
どうにかして「感じる」をしたかった。
だが、ずっと
なにが正解なのか?
どうしたら合っているのか?
ばかりをやってきたので、そればかりを追い求めてしまっていた。

呼吸・整体の呼吸ワークに、「深呼吸の衝動」がある。
ものすごく端的に言うと、

息が吸いたくなったら吸いたい分だけ吸って、吐きたい分だけ吐く

というワークである。
ものすごくシンプル。
これがひたすらに好きでずっとやっていた。
今もやっている。

息を吸ったり吐いたりしているだけなのに、
自分がものすごくいろんなことを感じていることに気づいた。
ものすごくいろんなことを感じていて、
ああ、生きているとこんなに感じているのか
と涙が出た。
自分の命に感銘した日である。
生きている、という実感であった。

ずっと生きている実感が薄かった。
いつ死んでもいいと思っていて、
生きている価値がないと思っていた。
生きる価値のある人になりたいけど、
自分はなれないと思っていた。
生に対する渇望と、死に対する憧れが強くあった。
死んだら何も感じないで、すごく楽なのだという思い込みが出来上がっていた。
若い頃は希死念慮が強くあって、生きていくことより、どうしたら死ねるかばかりを考えていた。
そして、そんなに考えているのに、死なない自分に呆れていたのだ。

息が吸いたくなったら吸いたい分だけ吸って、吐きたい分だけ吐けばよい。
そのことだけに集中して取り組む。
だんだん自分の中から雑音が消えて、雑味が減っていく。
残ったものが、自分である。
その自分とは、頭で考えていた物とは違った。
人は、感じている。
生きているだけで、すでに感じている。
時に、それに気づくだけでよいのだ。

では、また。


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