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【832/1096】よろこびをあらわす

個人セッションで話をきいていて、
「それは、お祝いですね」
とお伝えすることがある。
お伝えすると、たいてい、
「え?あ、これはお祝いしていいことなのか・・・そう言われればお祝いな気がする」
というような反応になる。
その人にとって、そのことをお祝いするということはあまりなかったからだけど、気がつくと「たしかにお祝いだ!」となる。
そのあと、よろこびを素直にあらわせる人もいるが、そうでない場合も多い。

よろこんではいけない、よろこびすぎてはいけない、と自分を抑圧していたり、
笑いたくない時に笑って、笑いたいときに笑わないでいるというなぞの教えが身に染みていたりして、
よろこぶということをなかなかしてこないと、
よろこび方がわからないという感じになる。

よろこんでいいですよ、と一緒によろこぶと、
こんなふうにしていいんだ!とホッとしてよろこべる。

よろこびもかなしみも、湧いてきたものは、すべてそのまま自分の中にあらわしていい。
そうして表情が変わったり、身体の感覚が変わったりするのは当たり前のことで、それをしていいのだ。

そうすると、ずっとそのわいてきたものに浸るというよりは、一時はわーっとそれに包まれて細胞全部がよろこぶけれど、それもだんだんと薄れて落ち着いてきて、元に戻る。
戻る場所がちゃんとあるから大丈夫。

自分の中に湧いてきたものには、いいも悪いもない。
表現とはそこも含んでいて、人に対して、外に対して表すだけではない。
ただ、自分にそれをしていいとゆるせばいいのだ。

でも、お祝いして、よろこんでいいと気がつかないといつまでもそこに辿り着けないので、セッションで気づいたときはお伝えする。
セッションの場は、普段は人の前でしないようなこともしていいところなので、湧いてきたよろこびをそのままにして表現する。
その方が、安心して、安全を感じていないとそれができないので、そこはかなり繊細に集中して場をつくる。
そういう場でよろこびをあらわしてくれると、場が共振するので、私のほうにもそのよろこびが細胞レベルで伝わってきて、ああ、この人のよろこびはこういう感じなんだなあと共鳴する。

自分のよろこびを抑圧しないで、解放したいときに、どうしたらいいかわからないという人は、人と一緒にやってみるといいと思う。
もちろんセッションを受けてもらってもいいのだけど、身近な人とやってみるのもよい。

セッションはこちら↓ 

では、また。

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