見出し画像

自分の人生、語ってみようかな…

 10代の頃、独りで悶々といろいろ考えていた時期。自我が目覚め、自分について、親との関係、学校のこと、さらには、社会について、人間関係について、悩み、考えていた。

 その頃の私は小説家になりたかった。小説の中には私小説というものもあるのだから、私も私自身を題材に、小説を書いてみようかなと思った。
 だが、有名な人ならともかく、誰が私の考えや生い立ちなんぞ知りたいというのだ?こんな平凡でつまらない私のことなんて、誰も興味ないだろう…

 なのに今、私はこうして書き始めた。
 書こうとしているのは、自分史だ。
なぜそんな気になったのかというと、きっかけは母の死だ。

 一昨年、母は肺病が悪化して、この世を去った。75歳だった。闘病生活約5年。後半3年はコロナ禍と重なり、全く会えなかった。
 症状が悪化するにつれ、普通に生活しているだけでも苦しくなるそうで、電話で話すのも儘ならず、少し話すと咳込み始める。最後は会えずじまいで死別となった。
 早く会いに行くべきだったのに、会いに行こうと思えば行けたのに、忙しさを理由に延ばし延ばして、結局会えなかった。
 その年、5月に一度病状が悪化して入院したが、1ヶ月ほどで退院。退院後電話で話した時はまだ元気そうだった。だから油断した。
 年末には長めに帰ろう、そして一緒に年越ししようと思った。精一杯親孝行しなきゃ、と。大学生の次男も連れて帰ろう、学校も冬休みのはずだから。母にそれを告げた時、一瞬沈黙。私は1ヶ月は長すぎたかな?と思い、「お父さんはいいって言ったよ」と告げた。母は「お父さんがいいなら、いいんじゃない?」と答えた。今思うと、その時、母はもう会えないかもと、心で悟っていたのかもしれない。
 9月に入り、電話をかけようと思ってかけそびれた数日後、危篤を知らされ、母はそのまま旅立ってしまった。あの時、電話しようと思ったのは、思えば、虫の知らせというやつだったのかもしれない。

 まだ幼い頃、おやつの時間に、よく母は自分の子供の頃の話をしてくれた。母方の祖父母や親戚との思い出。母と過ごす時間のおしゃべりが好きだった。
 何度も聞いたはずなのに、毎回ちゃんと聞いていたはずなのに、今ではもう覚えていない。
 母が子供の時の話だから、父に聞いてもおそらくあまり知らないだろう。母方の祖父母はもちろん、もういないし、叔父や叔母も遠方に住んでいて、会って話すチャンスもない。もう母が子供の頃のことを知る術はないのだ。
 母の記憶がそうやって次第に消えていくのだと思うと、やりきれない。  
 私が覚えている間は、母は私の記憶の中で生き続けるが、それが消えれば母がこの世で生きた証は消えてしまう。

 私自身、50歳になり、ここからは確実に人生の後半である。そして、この生命もいつ終わるのかわからないのだと思うと、いつか自分も消えてしまうのが怖い。
 そんな思いから、私自身の話、書きとめておこうという気持ちになってきた。
 息子たちはもちろん、誰も読まなくたっていい。ただ、私が消えた後も、しばらくの間は、私がこの世にその足跡を残していられるように、思いのままに書いてみよう。私を知っている誰かが、私を思い出すきっかけになれば、なおいい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?