「そのままの自分でいいんだよ」という言葉に苦しんでいます【解答:人生は色粘土です】
「そのままの自分でいいんだよ」という言葉に苦しんでいます
ある学生さんからの相談です
これ何となく分かる人も多いと思います
「人間はそのままで完璧なのだから」という言葉に
・「頑張って色んなものを得た自分は『作られた自分』で、そのままの自分ではないから『ニセモノ』?」
・周りに「そのままの自分」を免罪符に好き勝手な行動をしたり、他人を傷つける言動をとる人がいる
・「頑張ってステップアップすることって、今以上の自分であろうと努力することって良くないことなのかな」
先に結論から言いますね
「そのままの自分」って「色粘土を買ってきて袋から出してそのまんま」って意味じゃないからね
訳わからなくなりましたね
「色粘土って何だよ!」
キレそうですね
答えが欲しかったのに!
意味わかんねえ!
もう読むの止めた
時間の無駄だったわ
【知的好奇心の持ち主】
前回のお話で「知識欲」についてお伝えしました
小さな子供が、誰に言われなくても沢山の事を知りたがり、一生懸命に絵本やチラシに書かれた文字を見て、真似をして書いている
こんなに勉強好きに見えた子が、数年後には「宿題したの?漢字終わったの?」と叱らないといけなくなる不思議(笑)
まあ、この話はまた今度するとして、テーマに戻ります
さあ!今ここを読んでる人へ
あなたはとっても知識欲が高い方です
「知的好奇心」と言い換えてもいいです
少し前の文章で
・答えが欲しかったのに!
・意味わかんねえ!
・もう読むの止めた
・時間の無駄だったわ
と書きました
「読み続けるのを止める」誘導をしたのです
にもかかわらず
ま〜だ読んでいる
「止めなさい」と言われても興味があることはヤメラレナイ
これがあなたの隠れた性格です
その「興味」がいわゆる「普通の人」とは少し違う
「知的好奇心」と呼ばれる分野のために
同じ興味を持つ子どもが少なく
だからこそ
「子供らしくない」という言葉に傷付き
「自分らしく」=「その年令らしい」ことなのかと思い
自分の中にある向上心を押さえつけている
だから苦しい
この「子供らしく」を「オンナらしく」「オトコらしく」「センパイらしく」「ハハオヤらしく」と入れ替えてもいいと思います
「◯◯らしくない」って言葉に苦しんでしまう
【何かを知ると、次が知りたくなる】
私はオバちゃんのくせに、土木現場とか工場見学が好きになりました
子ども達に色んな経験をさせてあげようと思っていたら、自分がハマってしまったのです
私はオバちゃんのくせに、仕事しながらまた大学生になりました
海外に住んでいたのに英語がブロークンなので、しっかり文法から学び直そうと思ったのです
私はオバちゃんのくせに、zoomとかメッチャ使えるようになりました
老眼ひどくて文字をよく打ち間違いますが、まあタイピングも早いほうです
10年ほど前に「野菜を育てるオンラインゲーム」で毎日チャットしてたら出来るようになりました
「〇〇のくせに」と言われ続けてきました
今ではもう誰も言いません
たぶん言うのに飽きたのでしょう
あ、ちなみに私は今50歳超えです
野菜ゲームしてたのは10年前
40歳超えて初めて「オンラインゲーム」を始めたということですね
で、40歳を超えて生まれて初めて「パソコンで文字を打った」ということです
1つ何かを知ると、その知識を使ってまた別の新しいことをしたくなる
その繰り返しで50歳を超えた今も毎日、30代向けの「ビジネス系YouTuber」の講義を聞いて世界の流れを学んでいます
もう◯歳だから、と「そのままの自分」でいたら出来なかったことばかりです
【知識って便利】
知識があると便利です
エラくはないけど便利です
勉強ってエラくなるためでも褒められるためでもなく
「便利」だからしといた方がオススメです
私は年齢を重ねても知りたいことが無くなりません
そして
「そのままの自分」でいたら見れなかった世界を知りました
ただ、今の知識はその前の知識があったからこそ学べたことです
もし私が未だにガラケーで、インターネットとかよく分からなければ
「zoomとは何じゃろか」って言ってるはずです
ある教育シンポジウムに参加した時に、分科会で「生徒たちのYou Tubeへの情熱を勉強に活かせないか」と議論していた時です
同年代のベテラン先生が「そのユーチューブっちゃなんですか」とおっしゃいました
過去の自分よアリガトウ!と思った瞬間です
本来なら私もその先生と同様「なんですか」って言ってたはずです
仕事上も生活上も別に困っていない、変わる必要なんてないのですから、「そのままの自分」でいたら「ユーチューブっちゃなんですか」の出来上がりです
若い頃の自分が、若さを失いかけた頃の自分が、完全に若者ではなくなった頃の自分が、半世紀を生きた今の私を助けてくれている
いや「助けてくれている」というより「世界を広げてくれている」が正しいですね
【カオスに見えても】
「そろそろ色粘土の話をしろよ!」と怒られそうですね
お待たせしました
100円ショップなどに売っている、色がついた粘土を知っていますか?
私はよく甥っ子や姪っ子たちと、その粘土を使って色んなものを作ります
その子だけの「世界に1つの作品」が完成します
・丸めてリンゴやミカンを作る子
・人形を作る子
・まさかの「熊本城」を作る子
・車を作る子
ふと気付くと、さっきまで粘土の固まりだったものが、家やら橋やら人間やらに変身して、レゴ・ブロックで作った街のようになっている
みんな手渡されたものは同じ「色のついた粘土」です
これを使って、自分の出来る範囲で、自分が作りたいものを作る
元は同じなのに、全く違うものがそこにある
みんな違うけど、それでいい
いや、それがいい
コレが「そのままの自分でいいんだよ」だと思います
上手な形も不格好な物も、ちゃんと街の一部として存在感を出している
「みんなリンゴ作ってるんだから、あなたもリンゴ作りなさいよ!」ではなく
「あの子は熊本城作ってんだから、あなたも姫路城くらい作れるでしょう!」でもなく
まして
「そのままの自分でいいんだから、粘土の固まりのまんまでいいんだよ」でもない
車と同じサイズのでっかいリンゴの横に、
橋を押しつぶすゴジラサイズの人形がほほ笑み
腕が取れたクマさんの横には
なんと立派な熊本城
こんなカオス状態でも
それぞれが胸を張ってそこに居る(いる)
それを作った子ども達の「そのままの自分」がそこに在る(ある)
【人生も色粘土】
きっとあなたもそうですね
色粘土の作品と同じように
あなたが作った生き方や考え方
それが「そのままの自分」です
無理して頑張って人に合わせて
リンゴを作らなくてもいい
本当は熊本城を作りたいのに
目立つのが怖くて無難なクマさんに逃げなくていい
「そのままの自分」の意味を勘違いして
「そのままだから粘土の固まりをドン!」とする人がいたら
優しく教えてあげてください
そして
「皆んなみたいに上手く作れない」と泣いている人がいたら
その時が冒頭の言葉の出番です
「そのままの自分でいいんだよ」
「自分が作りたいものを作っていいんだよ」
「上手く作るのが目的ではないんだよ」
そう言ってあげてください
私は腕の取れたクマさんも好きです
取れた腕をつまみ上げて「う◯こ〜」と笑う「クマの作者」は更に好きです
無理に上手く作ろうともせず
無理に下手に見せようともせず
今の自分が作りたいと思えるものが完成したら
次の色粘土を手にしましょう
きっと更に良い作品が出来るはずです
人生も色粘土の繰り返し
若い頃の自分と、経験を積んだ自分が作るものが一緒になって
あなたの中に存在していきます
思っていた物が出来なくて
イライラして作品をグチャグチャにしたら
「あれ?ピンクの粘土ができた!」とまさかの展開になることも
失敗しても「う◯こ〜」と楽しめるのだと5歳に学びましたね
だから大丈夫!
「失敗」は、人生を振り返った時に「あの時にあれがあって良かった」に変わります
その時には、もうそれは「失敗」ではなくなっています
若者よ、ファイト〜!!!
(*ここまで3300文字。こんな長い文章を読みきったあなたは、やっぱり知識欲が高いです〜)
見に来てくれてありがとうございます! 「国境の島」で先生してます。以前は香港で先生してました 先生として保護者としてオンライン上の親戚オバちゃんとして、子ども達に伝えたいことを文字や音声にしています (トップ画像は私が撮影した「島」の写真です)