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劇場版「きのう何食べた?」から感じた怒りの所在について

遅ればせながら、劇場版「きのう何食べた?」を観ました。

主演の西島さんと内野さんが本当に素晴らしく、劇場版でもよしながふみ先生の原作の世界観をそのまま(それ以上?)に演じてくださっていた印象です。シロさんとケンジの関係性がとても素敵で、もちろん美味しいお料理もたくさん出てきて、心もお腹も満たされる2時間でした💕

印象的な場面はたくさんあったのですが、その中でも特に刺さったシーンがあります。(以下、若干ネタばれあり。)

シロさんはケンジに対して、自分の両親から、お正月にケンジと一緒に里帰りするのをやめてほしいと言われたことを伝えます。(シロさんの母親は、息子のパートナーが男性だということを受け入れられていないのです。)ケンジはその言葉を笑顔で受け止めるのですが、後日、来ないで欲しいと言われたことについてひどいと感じていたことをシロさんに吐露します。

「怒りたかった・・・でも、俺怒れない。だって俺、シロさんのお嫁さんでも奥さんでもないしさ。やっぱ世間から普通じゃないって思われる。・・・(中略)・・・それに、怖いの。俺が怒らないのはシロさんと壊れるのが怖いから。俺が何でもいいよいよって言うのは、実は自分のためで、シロさんへの思いやりとかじゃないもん。」

性別、年齢、国籍、その他さまざまな属性で周辺化された(社会的な主流と異なることで弱い立場に立たされてきた)人々にとって、怒りを感じても表現することが難しいという現実があります。

今回のケンジのコメントからも、同様の反応が見えてきます。異性愛が”普通”とされる社会において、同性を好きになるケンジは周辺化されてきた経験を持ち、それゆえに臆病になりがちです。思う事があっても本音を言えず、「いいよいいよ」と笑顔で返してしまうのです。

この構造は、女性へのジェンダーバイアスからも見てとることができます。同じ表現や声量でも、怒りを表したのが男性ではなく女性だと「ヒステリー女」と言われたり、「もっとやさしく話したほうがいいよ」などと諭される傾向があります。女性はやさしく笑顔でいるのがよい(=当然)というバイアスにより、ちょっと怒りを表しただけでも目立ってしまう構造がある訳です。

また、「女性はよく気がつくよね」「女性は笑顔がいいんだよね」という(一見すると褒め言葉のような)声が聞こえてくることがあります。気がつくかどうか、笑顔がいいかどうかは性差ではなく個人差であると私は感じています。周辺化された経験を持つ人には、気を回し配慮を重ね、周囲が気持ちよく過ごせるように笑顔になっている傾向が強いのではないでしょうか?女性が生まれもった特質ということではなく。

ケンジのセリフを聞きながら、そんなことを考えていました。

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