ベッドタイムティ

換気扇下にスツールを置いて、そこへ足を組んで座った。ぐるぐる回るファンを眺めながら、莨に火をつける。コンロの傍には寝る前に飲むハーブティを置いてある。食器は白でまとめるのが私の好みなのだが、茶具だけは色とりどりに、不調和に揃えてしまう。ハーブティが湯気をあげるマグカップは、いつだかにテーマパークで購入した、キャラクターの絵柄がファンシーなお気に入りの逸品だ。それを手に取って、一口。甘草の甘さとシナモンの香り、ベースになっているのはカモマイルとスペアミントだろうか。ティーパックを仕舞っている籠を取り出して箱に記載されている成分表示を読む。どうやら、私の舌はまだ腐ってはいないらしかった。
寝る前にハーブティを飲む習慣を与えてくれたのは、ちょっとヘマをして精神病院の入院施設に放り込まれた私にその当時できた、入院仲間だった。病棟内のラウンジで睡眠導入剤が効くのをぼんやりと待っていた私に「良かったら飲まない?」とティーパックを差し出してくれたときのことをよく覚えている。色を抜いた金色の髪を綺麗なボブカットに整えた、線の細い女性だった。歳は、私と幾つも変わらないように見えた。私は彼女からティーパックを受け取って、カップに溜まる飲みかけの緑茶を煽った。カップは忽ち空になり、そこへティーパックを入れ、給茶機からお湯を注いだ。消灯まで三十分近くあったから、彼女も私の隣に座ってハーブティを飲んだ。
「最初、男の子かと思った。」
「ああ…こんな成りだからね。」
私は当時、髪をメンズライクなウルフカットにしていて、服装もメンズを好んで着ていた。入院初日に病院内の喫煙所で「お兄さん」と声をかけられたことを話して聞かせると、彼女は納得した風だった。お兄さんは、あっちの病棟の人ですか?…ええ、いやはや、均整のとれた体付きをしているから、てっきり大学生のお兄さんかと。喫煙所で声をかけてきた別病棟の老父の言葉は、見事に全て外れていた。私は女だし、学生でもない。
「学生さんじゃないんだ?」
「フリーターってとこかな。お姉さんは?」
「美容の専門学校に行ってるの。」
なるほど。私は改めて、彼女の綺麗なボブカットを眺めた。ムラなく均一に色の抜けた金色の髪は、ブリーチで痛めつけたとはとても思えないほど艶やかだ。きっと、入念な手入れがされているのだろう。
「専門学校か、大変だね。」
「まあ、ね。」
学校のことはあまり話したくないようで、彼女は微笑みの中に言葉を濁した。
「このハーブティ、気に入ったから自分で買いたいんだけど、なんてやつ?」
「これ?これは、ヨギティーって言って…」
話の流れを変えようと咄嗟に振った話題は、どうやら彼女のお気に召したらしい。彼女は嬉々としてこのハーブティを作っているブランドや、安く買えるサイトの話などを聞かせてくれた。
「へえ、ありがとう。退院したら買ってみる。」
「うん、おすすめだよ。」
「寝る前に温かいものを飲むのはいいね。今日はよく眠れそう。」
「よかった。」
「これで、好きなときに莨が吸えればなぁ。」
「喫煙者なの?」
私は普段、病棟外への外出が許可される九時半にはここを飛び出して喫煙所に行くから、他の入院仲間は私がニコチンに肺を売っている事をよく知っているのだが、今日の昼頃にこの病棟にやって来た彼女はそれを知る由もなかった。
「まあね。」
「珍しいね。」
「そんな事ないさ。それに、ここでは私も君も珍しいの部類だよ。」
「そうなの?」
「だって見ただろ、この病棟、年寄りばかり。」
私が肩を竦めて見せると、彼女はふふっと笑った。同世代の入院患者が全く居ないわけではないが、それでも私たちはこの閉鎖空間の中では珍しい存在なのだ。
「さて、もう部屋に戻るよ。ハーブティ、ご馳走様。」
「おやすみ。」
「おやすみ、良い夢を。」
私と彼女はラウンジで別れ、私は与えられた部屋に戻った。口の中に、甘草の甘いのが残っている。
その日は結局、本当に良く眠れて、私は彼女に言った通り、退院後すぐにそのハーブティを購入した。そして寝る前に一杯、入院生活時代は付けられなかった莨も付けて、換気扇下で楽しむのが常となった。部屋に転がっていた小説を読むともなしに読みながら、私は甘草の甘いのや、シナモンの芳しい香りや、カモマイルやスペアミントが口に広がるのを楽しんだ。今夜も、良く眠れるだろう。