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誕生日の夜に寄せて。能動的に生きたいと思った。

私事ですが、本日が誕生日でした。

なんてことない日常。
朝から雨で、夫に車を出してもらい保育園へ娘を送り、少し出勤時間まで余裕が持てたのでドトールでコーヒーを飲めた。
最近ポイ活をしており、貯めているdポイントで。お得。

仕事に行くとやはり、疲れるなぁ。
当たり前のことを思いながら、ぼーっと歩く。

わたしの誕生日って、生まれたその日はもちろん赤ちゃんだから記憶にない。
誕生日、その日付は、両親から聞いたり、母子手帳に書かれた記録などから、その日だと知る。
毎年毎年その日にお祝いを受ける。ケーキを食べたりプレゼントをもらったりする。

若い頃は付き合ってる彼氏とデートをしたりする。特別にディズニーランドに行きバースデーシールをもらったりとか、横浜でクルーズ船に乗ってみたりとか、お家でパーティーだとか、普通に居酒屋で飲んだりとか(※全て実話です ※それぞれ異なる元カレです)。

とりあえず、その日付は自分にとって特別なんだという認識が頭に刻まれてきた。
あぁ、クリスマスの前の時期で華やかで良いなぁなんて思いながら。

でもこれは、結局「受動的」なのだと思った。

生まれた日そのものの、記憶が欲しいと思った。母からは何度か出産の様子を聞いたけれど。

12月の雪国での夜中の授乳とか、さぞかし寒かっただろうなぁ…

想像がつくのも、私が親になったからである。

私にはもう一つ誕生日があると言っても良い。
それは、娘の誕生日。第一子の出産日。

その日から私は母親というステージに立った。たいそうなものではないが、とても立派だ。なんせ、色々三日坊主な私でも、授乳期間は毎日、何なら3時間に一回ペースをしっかり欠かさず守って授乳し(胸が張るタイプだった)、育児日記もつけ、寝かしつけもお世話も、毎日毎日…

あの日から毎日が、見える景色が変わったのだ。
第二の誕生日と言っても過言ではないだろう。

育児は確かに毎日毎日同じようにやることが降ってきて、ネガティヴに捉えると「逃れられない」ものだった。
でもどうだろう、子供の成長は1日1日進んでゆき、気づけば、全く同じ日などなかった。

気づいたら、エプロンをつけて保育園の先生の真似をして
「ぜったい、やめてくださいね?いい?」
「それでは、どうぞーー!」
「〇〇ちゃんがせきおおくでてたのと、〇〇くんが両ひざいたかったので、冷やしてまーす」
などとお話ししている娘。

めっちゃ笑わせてもらった。

地続きの毎日を、辞めないで良かった。
これは何にも代え難いプレゼントであった。

うーん、30代後半だし、高めの美容液でも買おうかな、クリスマスコフレでも選ぼうかな、とも思ったのだが、
感動の大きさでいうと、今は育児における出来事の方が圧倒的に上だ。。

でもこの世に生を受けて、そこから三十数年も元気でいられたのはありがたいことなので、これから先も能動的に、心の動く方へ行こう。

次の一年は、人生において大きなことを考えていかなきゃいけないかな。
楽しもう!

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