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公平という言葉

小規模特認校という市内に居住していれば通える義務教育機関の学校
というのが全国で小学校、中学校と合わせて257校あります(2019年度時点)

地域のお子さんは校区の子どもとして通い、校区外の子どもは特別認定という形で通学することができる制度です。

六甲山小学校は神戸市にある小規模特認校の1校です。

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当時オルタナティブスクールへ通うことを前提に
関西圏でさがしていたところ、

公立で小規模な学校があるということで見学を経て入学となりました。


しかし、
そこに存在したのは「公平」という言葉を理解していない、
もしくは都合よく使う人の巣窟(旧式組織の論理に染まっている人)なのかもしれないという現実を突きつけられ課題を感じざるを得ない出来事が目の前にやってきたのです。


4月の入学式1週間前に
娘ちゃんは旦那さんと自転車で遊びに行っていたところ、
自転車の後輪に足がはさまれるという

なかなかの怪我をしてしまい、、
入学式は歩くことができないので旦那さんに抱っこしてもらい入場行進
六甲山までは毎朝、車で送ることとなり

親子でまだ霧のある六甲山の朝を楽しませてもらい、
1年生の時の担任の先生はまさに「神」といえるような先生で

担任した生徒はもちろん保護者からの熱い信頼や
たしかな指導が適切で、
今でも学級通信は保存しているほど大好きな先生です。

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1年生になってできないことも多い中、

遊びまわりたいのに足が怪我をしていて遊べなかったのにおんぶして
校庭に連れて行ってくれたり、
休み時間にも声をかけてできるだけ寄り添おうとしてくれていました。


すべての子供に対して同じ姿勢で5年先10年先のこの子がどうなればよいか
についてひとりひとり丁寧にお話してくださる先生でした。

そんなクラスメイトの一人に
あきらかに療育が必要なお子さんが共に入学されていて、

毎朝のバスやケーブルでの登下校でのトラブルが絶えず、
保護者の付き添いもなかったので、

1年生の中ではちょっとしたトラブルが続いていました。


こどもたちの中では上級生のお話をききながら登下校して頑張っている子
まだ慣れないけれど頑張ろうとする子
できない子を助けたい子

とそれぞれの頑張りがありましたが、
サポートが必要な子についてどんな風に関わると良いかを
1年生だけで対応するにはかなり難しく、

そして当時のPTAの会議で話し合うには途方もなく時間が掛かりすぎるのではという事も予想されたので

まずは1年生の保護者で集まろうという事で話し合いが何度かありました。

それぞれの家庭の方針や価値観
なぜ六甲山を選んだのか
共に歩む仲間であるクラスメイト

そうか、、こどもも6年間全く変わらないけれど
保護者同士も6年間同じなんだとはたと気づき・・・

とても家族的ということは、
全ての出来事を共有するということなんだなと。。

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保護者間での話し合いを経て、まずは管理職へ対応をお願いしに
準備にかかっていきました。

当時のPTA会長は、六甲山の山の木の保全活動でご一緒していた方でしたので、六甲山を盛り上げようという気持ちも共にすることが
できていて

小学校での出来事も良い方向性を模索したいという話を常に話し合っていました。

そんな中、、
管理職は問題はあきらかに見えているにもかかわらず、
公立学校というのは地域のお子さんを受け入れる場であるので
たとえどんなもんだいがあろうとそれは
保護者間で協議してください

の一点張りで
当初はまったく介入する気はないという印象でした。

「公立」=「公平」
「公平」=「一律」??

公立の学校の言うところの公平さとは何かという問いを
この出来事がきっかけとなり
私のなかでの闘争がはじまりました。


療育の必要なクラスメイトは1学期はなんとか切り抜けたものの、
2学期に関しては本人が不安感が増してしまい、
通学そのものが厳しい状態となって

ついにPTA会議でも取り上げられて議案となりましたが
管理職は議案としては確認したものの
保護者で対応する内容ということで
表面上は大きく動きはなく

担任と校長で個別で保護者との面談、聞き取りをしていたようです。


神のような担任の先生はどの子も同じこども
できることを伸ばしてあげようと毎日準備をし、保護者とも話し合い
あきらかに疲労がみえてきていたのもあり、

学校へは足しげく通って、
先生と話し合ってできる事をできるだけしようと
動いていました。

保護者へも直接話をしたこともあり、
なぜこどもの事をみてあげないのか
困っているのは子どもなんだという事を伝えてみましたが

「六甲山が好きで通わせたいから来ている」

という言葉しかなく、
こどもが困っているのにも関わらず親のエゴを優先させる意味が
全く理解できませんでした。


学校の管理職側も保護者も動かない、
公立は公平ということをしきりに言うけれど、

校区外の子どもは選んで通うわけだから、通えないという「選択」も
あるということが公平でないという論理が
どうしてもわからず

とにかく悶々と日々が過ぎていきました。


そんな中、
こどもたちは困難があればあるほどどうしたらよいのかを一生懸命に考えて

できない子にはどうやってサポートするか、
全校キャンプ、運動会、遠足、山歩きなど

ひとりひとりとっても良く考えて行動していました。


運動会は小さな校庭をみんなで走り回って応援の言葉が目の前で聞こえて
高学年の協議や応援団の迫力にも感動して
なんてあったかい学校なんだろうなと感じ

毎日楽しかった様子や担任の先生とこんなことしたよという言葉に
心があったかくなり
六甲山というお山が癒してくれる時間をたくさん感じました。

秋の行事が一通り終えつつある音楽会の日に
やっと校長と話せる機会がやってきて

今までの経緯やどうしてほしいかについて陳情し、
解決へ向けて動いてほしいということで
ひとつの方向が傾きはじめました。

最終的に3学期に入ってから校区の学校側の受け入れと
保護者もある程度納得してくれての転校ということで
1年生の長い長い最初の1年が終わろうとしていました。


※予告「まさかのPTA、そして変えるなら徹底的に改革する!!」です。







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