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この1ヶ月のハーバード・ビジネス・レビューの記事の変遷:企業から一人ひとりへ、そして心へ

この3年ぐらい、DIAMONDハーバード・ビジネス・レビューの仕事もしています。そこでの役割の一つに、日に何個も記事がアップされる英語のHBRオンラインの記事の中から、どれを日本語訳したらいいかを週に10個程度独断と偏見で選び、サマリーを作って編集部と共有する、というものがあります。

HBRオンラインは、ざっくり言うと、①学者が書く自身の研究をわかりやすくまとめたもの、②コーチやスピーカー系の人たちが書く自己啓発系、③Podcastなどのaudioや動画、という3つのタイプのコンテンツがあり、③はリソースの制約上なかなかできませんが、①と②をそれなりにバランスよくいれて、選んで翻訳にまわしています。

自分が見たいもの、興味があるものに目が行く、というバイアスは当然強くかかりますが、それでもこの作業を続けていると、「今、こんな感じのテーマが経営学では研究されているのねー」「世界のビジネスパーソンたちはこういうことに興味があるのねー」というのがなんとなくわかってきます。

そして、今、HBRオンラインにも多くのコロナに関する記事があがってきています。

この1ヶ月ぐらい、コロナ関連の記事がどのように変遷してきたのか。

ものすごーくざっくりまとめると企業から一人ひとりへ:グローバル経済からの在宅ワーク、そして心について」という変化です。

(注:以下の記事のリンクは日本語訳があるものは日本語版、まだないものは暫定的に英語版を載せています。)

グローバル企業へのメッセージ

コロナ関連の記事は、2月後半ぐらいから少しずつ出てきました。この頃の記事は「企業のサプライチェーンはグローバル化しており、特に中国での製造、中国からの調達が大きい。そこからの供給が止まるということに企業は備えなければいけない」というものでした。

グローバル企業がサプライチェーンをできるだけリーン(無駄なく)にグローバルにしてきたことで、こういう危機があると余剰がないので影響をもろに受ける、やっぱり余剰やバックアップ、ある程度のローカル調達が大事だよね、と。これは東日本大震災の後も同じ議論がありました。

また、どうコロナがグローバル経済に影響するかであったり、企業のリーダーたちに対する心構えの記事も出てくるようになっていきます。例えば、「心理的安全」の研究で有名なハーバード・ビジネス・スクール教授のエイミー・エドモンソンが、「危機の時に悪いニュースを隠すな」という記事を出しました。ここでは、危機の時には短期的には悪いニュースを隠した方がいいように思ってしまうけれど、それをしてしまうと長期的な評判や信頼を損なうことになる。心理的安全が低い会社は隠す傾向が強く、一方心理的安全が高い会社はこうした危機のときの対応も優れている、といったことを述べています。

この頃は、グローバル化が進んだ企業のCEOらに対して「これはあなたのビジネスにも影響が出てきますよ、危機管理ですよ」というメッセージを発する記事が主でした。HBRオンラインで更新される記事においてもコロナ関連の記事はまだ2割ぐらいだったように記憶しています。

在宅ワークのヒントを提示

そこから、アメリカも影響が出始めた3月上旬あたりからコロナの関連記事が一気に増えてきて、中でも外出規制や閉校をふまえた在宅ワークの記事が目立つようになりました

いくつかの記事をまとめてみると、だいたい在宅ワークの進め方・考え方については以下のようなことが言われています。

・チームのトップはチームメンバーを心から信頼するのが大前提。また、「在宅は生産性を上げる」という研究結果もあるので、むしろ機会と捉えること。

・どのオンラインチャネルを使ってどういう時にコミュニケーションをするかをチームで話し合って決める。チームで決めた定期的なコミュニケーションと、各自の状況に合わせた柔軟な運用のバランスが大切。

・「この時間帯は家族のケアや犬の散歩で仕事ができない」なども含めて、各自の状況を透明性をもって共有し理解し合う。

・チームとして何を目指しているか、そこに対して各自が何をやるのかについて、いつも以上に意識して話し合い、伝え、共有する。

・オンラインだとプロセスは管理できなくなるので、パフォーマンス・結果を評価する。

・オンラインミーティングでは、メンバーがそれぞれきちんと発言しているか、発言していない人には促すなど、ファシリテーションや運営がより重要になってくる。

・オンラインに移行することで失われるのは、コーヒーを飲みながらのちょっとした雑談などの、仕事に直結しない同僚とのやりとり。物理的な場を共有していれば自然と起きるけれど、オンラインでは意識的にこうした機会をつくることが大切。オンラインミーティングの始まりにそれぞれの生活の近況を共有する時間を設ける、同じ時間に各家庭にピザが届くようにしてピザを食べながら会議する、各自が家のバーチャルツアーをするなどの工夫をする。

・なんとなくこの人元気がないなーと感じたら、一対一のオンライン会話・電話をしてみるなど、より能動的な働きかけを行う。

・上司の立場にある人は、今までは「仕事」と「家庭」を分けて、「仕事」だけみていればよかったのが、みなその境目がなくなった状態で働いていることを理解し、それを前提として、チームをマネージする。これまでの考え方ではダメ。

どの項目も、優れたリーダーであれば、在宅であろうとなかろうと、やり方は違えど、すでに本質的にはやってきていることだと思います。でも、メンバーが物理的な空間・時間を共有していないときは、こうした効果的であたたかなチームマネジメントがより一層重要になってくる、ということなのかと。

人の心

そしてこの一週間でコロナ以外の記事を探すのが大変なぐらい、HBRもコロナ一色に。またいつもはHBRオンラインは有料会員しか読めないのですが、コロナ関連記事については誰でも読めるようになりました内容としては、隔離・在宅が続き、多くの人が精神的にも大変になってきたのを受けてか、人の心についての記事が増えてきました

いくつかの記事が共通で言っているのが、こうした危機や脅威を前にして、人が不安や怖れを抱くと、人間の思考の幅が狭まるという現象が起きる、ということです。それがゆえに間違った意思決定や衝動的な反応をして、他人とつながろうとしなくなり、それが孤立感を深めて、ますます不安になる、という悪循環につながっていく。しかも不安はリアルに伝染力がある。

だから、一人ひとりが、心を静かにして、「今ここ」に注意を向けて、感情と自分をいったん切り離すというマインドフルネス(瞑想)が有効である、と。一日を数分の瞑想で始める、チームのミーティングで全員で数分瞑想する、などです。

ある記事では具体的には以下の3つが有効だと書かれています。

①まず自分の思考を静め、注意がどこに向きどんな思考が湧いているのかに気付く。

②ニュースや状況にすぐに反応するのではなく、窓の外を見て一呼吸し、反芻する。(反応ではなく反芻)

③コンパッション(思いやり、慈悲の心)を持って他人とつながる。

中でも個人的に深く染み渡った記事が現在フルリモートで動いているHBR編集部が「今私たちが経験している感情は、グリーフ(喪失の悲しみ)なのではないか」という気づきから、グリーフの専門家のデイビッド・ケセラー氏にインタビューした記事です。

ケセラー氏は、まさに私たちは今グリーフ、とりわけanticipatory grief(予期するグリーフ)を集団として経験していると言っています。予期するグリーフとは、例えば自分の大切な人がいつか亡くなるというグリーフ、喪失の悲しみを、前倒して感じ経験することを指します。

グリーフは、①否認、②怒り、③駆け引き、④寂しさ、⑤受容という段階を経るもので(この順番で行くというわけではなく、また行ったり来たりする)、コロナで言うと、①コロナは私たちには関係ない(否認)→②コロナのせいで家にずっといて活動ができない!(怒り)→③2週間我慢すればそのあとは戻るんでしょ!(駆け引き)→④いつこの状況が終わるのかわからない...(寂しさ)→⑤これが起きていることなのだから受け入れてどうするか考えよう(受容)、という感じにになります。

そして、ケセラー氏は「受容」の段階にこそ力があり、人は受容することでコントロールを取り戻す、と説きます。

予期するグリーフとは、起きうる最悪の事態を想像すること。これに対応するには、最悪の事態が起きうることは否定せずに同時に最善の未来も想像してバランスを取ったり、マインドフルネスを実践して思考を未来から「今ここ」に持ってきたり、人の行動など自分ではコントロールできないことを手放したりする。そうすると受容へと近づいていく、と。

ケセラー氏は最後にこう言っています。

グリーフに長年関わってきた経験から、グリーフには「受容」の先に第六段階「意味付け」があることがわかった。きっといつか私たちはこの経験に意味を見出すだろう。

雑感:危機だから、ではなく、これを機に

HBRオンラインで「企業から一人ひとりへ:グローバル経済からの在宅ワーク、そして心について」という変化を眺めながら、私もそこから学んだり、今まではあまりやらなかったことを始めています。

まずマインドフルネスについて。私は瞑想に苦手意識があり「瞑想は私がやると結局妄想になってしまうし、いけばなという動的なマインドフルネスがあるからいいや」と瞑想を真剣にやることはないまま、これまできていました。でも、日本のビジネス界へのマインドフルネス導入の第一人者荻野淳也さんが3月頭あたりから主宰されている毎朝のオンライン瞑想に日々参加するようになり、HBRオンライン記事に書かれているようなことを自分ごととして実感するようになりました。

そして、自分のまわりへのまなざしも、少しですが変わってきたように思います。もともとは、買いだめをする人や、クラスターにつながりうるイベントを強行する人に怒りを感じることもありました。でも、記事のおかげで、そういう行動は不安や否定からのもので人間としては自然な行動だということを学びました。

自分の怒りの感情に気付いた上で、「そうか、人間だからか」と思えば、そういった人たちに対してでもコンパッションが自然と湧いてくる。あとはそもそもその人の行動なんて自分のコントロール外なのだから、そこでやきもきするのではなくそれを手放して、自分の中に静けさを保つという自分がコントロールできることに注意を向けるように心がけるようにもなりました。

まだ朝の瞑想も始めてからたったの二週間なので、最初の一歩すら踏み出していないぐらいですが、こうしたことを「危機だからやる」のではなく、これを機に自分の日常に取り入れていけば、自分も変わるし、それによってまわりも変わっていくのでは。そんな気がしています。

また、在宅ワークに関しては、私自身は独立してからのこの3年強、時間や場所は(勝手に)自由にやってきたところもあり、ぜひ今の流れが新しい普通になったらいいな、と願っています。日本は今のところ(3/27時点)強制的な外出禁止令は出ていないため、あくまでも各組織や各自の判断で、それでもこれまでとは違うスピード感で在宅勤務が広がっています。でもだからといって、これですっかり世界が変わる、ということにはならないと持っています。

これを機に本当に対面・物理的な場を共有することでしかできないこと、在宅・オンラインだからこそのよさを見極め、組織のあり方や仕事のやり方を深く変容させていく組織が出てくる。そういった組織は、在宅勤務などの柔軟な働き方を広げることで今までは時間的・物理的制約で一緒に働けなかった人たちもチームに入り、より多様な人材がいる組織になっていくかもしれない。一方、今は緊急事態ということでとりあえず在宅勤務をやっているけれど平常になればまた元に戻す、という組織も結構な数あると思います。

社会が元に戻ろうとする力はものすごく強い。とりわけ日本は強いかもしれません。日々を生き抜いていくというよい意味でも、なかなか変化は難しいという意味でも。

東日本大震災の後、それをいろいろな場面でまざまざと見ました。そしていくつかの被災地域を継続して見ていて思ったのは、危機があったから変わる、ということもあるけれど、実際には、もともと危機感を持って変わろうとしていた・もしくは変わり始めていたところが危機を機に変わった、ということだったように感じています。なので、今ぐんぐんと変わっている組織は、この危機の前から、これまでとは違う会社のあり方や人の働き方をすでに実施しているか、もしくは考えてはいたのかなと思います。

だいぶ先になるかもしれませんが、今の状態が一段落して落ち着いた時、これを機に大きく変わった人・組織・社会と、あれは危機だったからと言って元のやり方に戻る人・組織・社会との違いが、今よりももっと大きくなっているような予感があります。

その分断をつなげるのが、コンパッションなのかな。

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